①右(②)に振り向く猫
②後ろ(①)を振り向く猫
③左(②)に振り向く猫
歩きながら振り向くパターンは6種類なのだろうか、それ以上なのだろうか?
6種類の場合、背面から振り向く猫はその後ろに振り向けず、正面から振り向く猫はその横に振り向けないのだ。
こうやって考えると、「振り向く」には、首の回転角、肩の回転角腰・腰の回転角、膝の回転角・足首の回転角の分解能の話じゃないかと思えて来る。
上の3猫は、D2線上に並んでいるのだが、進行方向が違う。
②は横に振り向けるのか。
分解能とは
であるが、互いに垂直な線は3本しか描けないこと(だけ)から世界は自明な3次元であると喝破したのはプトレマイオスらしい。
ニュートンは幼い頃、プリズムによる分光に感動し、何日も飽きずに見ていたらしい。
レンズを拡大鏡に使うということは、ギリシャ時代の天文学者、プトレマイオスの時代(2世紀ごろ)にはすでに知られていました。
「消失点」の起源はこんなところにあるのではないか?
日本でレンズが用いられるようになったのは室町時代で、あのフランシスコ・ザビエル宣教師にによって眼鏡が持ち込まれたそうです。1620年には国産の眼鏡の製造が開始されたという記録が残っています。
レンズの歴史|ケンコー・トキナー
フランシスコ・ザビエルが日本に来たのが1549年。
慕帰絵詞は1351年に製作されたらしいから、なるほど、手で調光して「望遠」している。
手を丸めて望遠鏡を作ると対象が少し見えやすくなりますが、この仕組みを教えてく... - Yahoo!知恵袋
日本語では三稜鏡(さんりょうきょう)とも呼ばれた。
面白いのは、プトレマイオスの光学が否定されたころに(同時に)、プトレマイオスの天動説も否定されていることだ。
もしも惑星の周転円を2つにしたら中世の数学者には複雑すぎて計算できなかったためである
この二つの式では、は楕円の離心率である。エカントは、このように円運動一つで楕円運動を効率よく近似する。ケプラーも楕円軌道を試みる前はエカントを用い、コペルニクスよりも精度のよいモデルを得ている。
「エカント」という考え方は興味深くて、これは「エーテル」と(実は?)関係があるように思う。
そういう説明を直接見たわけではないが、『4次元図形百科』では(一部)「エーテル」を(素朴に観察できない)4次元(パラメータ)と考えており、(一般相対性理論で「エーテル説」を葬り去った)アインシュタインの「エーテル(論)」はこれに基づいている(この本では、ニュートンも「エーテル」を信じていたことになっている)。
自分は、数学の発展は、簿記に由来する「表解」、コンパスによる作図に由来する「図解」、数詩に由来する「読解」、吉凶に由来する「盤解」があると思っているので、コンパスだけの理解では整合がとれなかっただけだろうと思う。この場合、「図解」への「表解」からの挑戦である。それは例えば複式簿記の調和(的世界)であって、それを利子から説明すると「読解」になる(しかし、これらが分かれているのは、「表解」の成立に「読解」は必要ではなく、互いに独立しているからである。だから、挑戦が起こる)。
さて、日本画のセンスはどこにあるかというと、「消失点」ではなく「稜」にある。同じものを見ていても、受け取る感覚は異なる。
日本画は消失点に帰着させることなく分解したことに特異性があると思う。
エカントがやがて楕円を必要とした限界を持ったように、日本画にはどのような限界があるかを考えると、「振り向く」ことではないだろうか。
現実を「超えた」手前の世界は、『四季耕作子供遊戯図巻』にある。
つまり、等高線(D線)とは別に稜線(R線)を考えたときに、中世までは、一様な稜線であったが、江戸時代のそれになると、稜線も複雑になってどう理解しようか迷っていた。
牛や仔馬を引く児童の稜線と、向き合う児童の稜線の角度が異なり、むしろ手前に居る2人の稜線が急角度になることの説明を考えていたが、連続パノラマ図であることから2点透視的であり、この動画で言う「虚の世界」に至る縦長の楕円の接線と考えると腑に落ちる。
すなわち、二点透視は手前に引きすぎると、平面から立ち上がるのだ。
日本画はクソコラから始まり、二点透視のコチラ側に到達したと考えるとわかりやすい(ただし、埋め込み)。
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こう考えて、葛飾北斎を「スーパーカメラ」と考えるのは、持ち上げすぎだろと思う。
透視図とは単に「見え方」だけを意味するのではないからだ。
それは分解であって、運動もそれに従うならば、「透視図」を描けなければ白波も厳密に描けない。
むしろ力学的理解ではなく抽象的な幾何学的文様であると思う。
青い波の中から白い(小さな)波が表れてくるところに、エッシャーや に近いものを感じる。
北斎は不思議な画を描く名人であったからそういうことだったろうと思う。