橋下徹はチェチェンで行われた非人道的な戦争がソ連崩壊後のロシア時代に行われた事を知らないらしい。シリアで現在進行形で行われている事も当然ロシア時代の筈だが。彼の言う「安全保障の枠組み」とは何かすら意味不明だ。 https://t.co/SLiwG2nGaK
— JSF (@rockfish31) March 17, 2022
この「安全保障の枠組み」というのも、橋下さん以外の日本人は使わない日本語。誰も意味がわからない(たぶん彼もわかっていない)。 https://t.co/W0ganAzzDq
— 池田信夫 (@ikedanob) March 17, 2022
「(鈴木氏は)ロシアに対してじくじたる思いを持っている人で、ロシアに寄っているわけでは全くない」というのは日本語として意味をなしてないが大丈夫?
— 池田信夫 (@ikedanob) March 17, 2022
維新・松井氏、立民代表を批判 鈴木宗氏擁護―ウクライナ侵攻:時事ドットコム https://t.co/Asl4na99I7
橋下徹が言う『安全保障の枠組み』は文脈上まずは国際連合であることが明らかでしょう。
集団安全保障に関する国際法のことだろうが、国際連合で目指した「集団安全保障」は、紛争を内部処理にかける「統治行為」で、集団的自衛権による「渉外(の不法行為)事件」への対処(行為)と対比されるのではないか、と思う(厳密な定義に沿っているかは知らないが、集団的自衛権が当初の国際連合の企図をこえて戦後成立した歴史的経緯、すなわち、当時の南米の主張を考えると、以下に述べるとおり、主権と侵略の関係に含意を与えるのではないかと思う。彼らは、現実に起こる、切迫した侵略の危機を訴えたのではなかったか)。
橋下徹の一連の国際関係に関する発言の内容を吟味するときに特に前提とすべきなのが、「伊藤真の憲法」観であって、そこから考えて、橋下徹が国際連合を念頭に置いていると推論することがそう間違ってはいるとは思わない。
国際連合が発足したのが、10月で、ソ連が北海道を侵略(不法占拠)したのが、終戦を待って8月中のこと。
ただそうであって、仮に、よく指摘されるように、国際連合が連合国のことだとすると、ソ連はその一員だったのであるから、係る「統治行為」が侵略を覆い隠すこととなる。そして、それが、巷間言われる、プーチンの主権観と齟齬をきたすものでもない。
もちろん、国際連合の発足が10月であるから、これは成り立たないが、侵略へのバックドアを擁護する発言だろう。
cf.連合国による占領統治方針(イタリア方式)
当初、イタリアも後のドイツ同様に米英ソによる共同統治が計画されていたが、イタリアが予定より早く降伏したことからイギリスの気が変わり、ソ連の占領統治への参加を渋るようになった。結果、「制圧した国が占領した国の実権を握り、他の連合軍は形式的に参加する」との取り決めがなされ、この方法は「イタリア方式」と呼ばれる。
赤字強調は引用者。「連合国」、「連合軍」の使い分けが見られる。
【田中均】「叫ぶだけでは解決しない」 日本に足りない、対北朝鮮外交に必要なもの:朝日新聞GLOBE+
鈴木宗男の「忸怩たる思い」で「片よりがない」は田中均の主張(方法)と同じである。
田中均が『朝まで生テレビ』などにも出演して自己の主張を吹聴して回っていたが、そのひとつに、北朝鮮とのパイプ(交渉窓口など)がなくなり外交努力が続けられないことへの憤りがあった。それはもちろん、外交官として、「忸怩たる思い」だっただろう。
戦前の軍と政府の対立を見る際にも注意しなければならないのがこういったことで、外交には外交官の存在理由と充足理由に基づくバイアスが付きまとうことである。
彼らはもちろん「彼らなりに」正しい結論を導く努力をするのであり、それが不当な利益追求を直ちに意味するのでなく、方法的に限定されているだけである(これを一般的に述べると、セクショナリズムと呼べるが、それは解説的説明であって、原理的説明ではなく、また、セクショナリズムが普遍的に「悪い」と考えるのは、ダブルスタンダードと同じで、単純な誤解である)。
文章が熟れてこない。