『聖母のいない国』に巡り合わない。図書館の蔵書には登録されているのだけれど、ないんだよね。

ヘンリー・ジェームズに興味をもったことがあったような気がする。

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何を考えていたか思い出す。

風と共に去りぬ』の有名なセリフは

今日どんなにたいへんなことがあったにせよ、明日は明日で別のなりゆきになる。くよくよと心配し、取り越し苦労をしても始まらない。

明日は明日の風が吹くとは - コトバンク

という意味ではないだろう。これではあまりにヨーロッパ的な感慨で、アメリカ人、とりわけ南北戦争後のアメリカ人には、もっと道具的なポジティブな感慨だっただろうと思う。と考えていたのだった。

このとき、after allのもつニュアンス―オフ・バランス、即ち、諸々数え上げられることの切り離し―と、今なら「風」の持つニュアンスも加味したい。聖書由来の「(無)相続」と謂うことだ。つまり、南北戦争とは「第二の建国」だったわけである。

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その背景に合ったのが、19世紀科学革命で、「リアリズム法学」というよりは「モダニズム法学」である。「社会学的」なのはそうであるが「シカゴ学的」の方がイメージが明瞭となる。「リアリズム」とは「方法論的」と謂うことである。

このとき考えていたのは、(耽美主義があまりに心理主義の系統からしか評価されないので)『山月記』と『ねじの回転』が「論理主義」という同じ方法に則っていてなおかつ(そのような表現主義としての)耽美主義だっただろうとの主張であった。

 

その後、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』とワルラスの『フランシス・ソヴァ―ル』の関係を、双子の革命―アメリカ革命とフランス革命ーから考えたのだが、あらためて振り返ってみると、

風と共に去りぬ』(かぜとともにさりぬ、英語: Gone With the Wind)は、マーガレット・ミッチェルの長編時代小説。題名はアーネスト・ダウスンの恋愛詩「シナラ」の詩の一句から引用したもので南北戦争という「風」と共に、当時絶頂にあったアメリカ南部白人たちの貴族文化社会が消え「去った」ことを意味する。

風と共に去りぬ - Wikipedia

アーネスト・ダウスン - Wikipedia
ウォルター・ペイター - Wikipedia

なんとルネサンスに行き着くのだが、ウォルター・ペイターは、オスカーワイルドになってゆくらしい。日本の耽美主義が谷崎潤一郎に帰着したとする標準的な理解を思いだす。こういった偏った理解は世界共通だったのだろうか?

ともあれ、どうもルネサンスは思っていた以上に広範な影響を世界に与えていたようだ。

マリ・エスプリ・レオン・ワルラス 1834年12月16日 - 1910年01月05日
ヘンリー・ジェイムズ       1843年04月15日 - 1916年
02月28日

だいたい同時代の人である。

アメリカ人のクリストファー・ニューマンが主人公。彼は実業で成功し、巨万の富を得てヨーロッパを訪れた。

アメリカ人 (小説) - Wikipedia

1877年。

意識と形式の分断 ― ヘンリー・ジェイムズのアメリカ

風と共に去りぬ - Wikipedia

南北戦争前に、南部の「自由主義」「個人主義」と北部の「保護主義」「国民主義アメリカ体制)」の対立があったらしい。

風と共に去りぬ』の説明が何を言っているかいちいちよくわからないのは、南部の「個人主義」「自由主義」の背景がよくわからないせいかもしれない。
興味深いのは、トマス・クーパー(Thomas Cooper,1759-1839)で、第2次米英戦争時(1812-15年)の人で、南北戦争(1860-65年)の前の人だが、スフィンクスのクイズよろしく「青年期にラディカリスト、中年期に共和主義者、老年期に反動的保守主義者」になった人だ。
このトマス・クーパーが保護主義者を無知" Ignorance"と批判した11項目の中に

偽証する意図をもたない人々は,自分のために自分自身の陳述に頼るべきではないという,周知の証言の原則を知らない。

P52,トマス・クーパーの経済学―南部自由主義経済学―,第2章 北東部および南部自由主義経済学,アメリカの経済思想 建国期から現代まで,田中敏弘

オックスフォード大学で法律を修めたトマス・クーパーによる、アメリカの特徴的な公判中心主義の擁護のような気がするが、自信がない。『周知の証言の原則』が検索に引っかからない。

南部主義者の北部批判とは、要はイギリス批判なのだが、『アメリカにおける世俗化された古典派亜流の経済学批判であった』らしいから、単純にキリスト教とだけ結びつけられない。それ自体はイギリス批判なのだが、初期「アメリカ体制」を構想したのはドイツ人という当時のアメリカならでは事情もあったのだ。もちろん、フランスの影響もあって、混沌としていたのである。
※『マクヴィッカーと同じくマカロック経由のリカードゥ経済学の受容者であった』(P58)、『クーパーは一般にリカードゥの差額地代論とマルサス人口論のエッセンスを受け入れている』(P54)、『ベンサムに従い法定利子率に反対』(〃)、『過剰生産に関しては,クーパーはマルサス,シスモンディを退け,セーとリカードゥに従い』(P55)、先に挙げた保護主義批判の11項目に先立って保護主義経済学を批判する19項目を挙げたが、『それらは,クーパーの言う"Mercantile System","Manufacturing System",および"Agricultural System "の誤りである。』(P51)ことの追加説明だった。ここで"Mercantile System"は商人主義というより重商主義批判でアダム・スミスと、"Agricultural System "は重農主義(ケネー)の擁護でなかったかと思うがどうだろう?

重商主義 - Wikipedia
重農主義 - Wikipedia

こういった南北の対立は、『グレート・ギャツビー』にも持ち込まれる。
南北の対立には、イギリス、フランス、ドイツのアメリカへの影響が背景で複雑に絡みあっていたようだ。なにしろ、イギリス人、フランス人、ドイツ人にもいろいろな主張があった。ここらへんは日本の近代化の課程にも同様のことが見られるが、日本の場合、これに近世からの影響とその後のアメリカの影響も加わり、さらにロシアからも影響を受けた。


ところで、トマス・クーパーは社会主義的改革家たちを批判して、「貧困対策」として9つの提案を行っていた。その最後に

定職をもたない人々の結婚を禁止する

というのがあって、日本における離婚研究で取り上げられたことを思い出す。あれもフィラデルフィアだったか、忘れたが。
※『ただ,注目に値するのは,クーパーが富者への累進所得税と貧民への租税免除を提案したことだろう。これは20年後のJ.S.ミルによってすら拒否された提案だった。もうひとつの特色は,小学校から大学までの公費による国民教育の提案だった。』(P58)『クーパーは,イギリスの労働貧民の困窮を取り上げ,分配の大きな不平等に着目し,その原因と対策についてあらためて検討している』(P56)
この結婚観は『フランシス・ソヴァ―ル』の背景と重なっているように思う。

被救貧者       四州  ( デラウェアインディアナ、 メイン、 バーモント)

最終の『 被救貧者』というのは、赤貧者救護制度の厄介になりつつある者という意味で、その結婚を禁ずるのは、間接には優生学的の意味も含まれるが、正面からの優生学的禁婚法ではない。 したがって純粋の優生学的禁婚法をもっている州は左の十一 州に なる。州名の後の数字は該法律制定の年号である。

穂積重遠. 婚姻制度講話 (温古堂文庫) (Kindle の位置No.1199-1203). Kindle 版.

違った。これは1917年までのアメリカにおける『劣種禁婚法』を取り上げた中で語られたことだが、日本に於いては新婦人協会の「花柳病男子禁婚法」の源流を指して、優生学が背景にあることを説明したのである。ノルウェイの先例があったが、

優生学的人種改良運動の本家本元は米国であると言わねばならぬ。

穂積重遠. 婚姻制度講話 (温古堂文庫) (Kindle の位置No.1156-1157). Kindle 版.

らしく、それは穂積によると、

まずもって米国人の愛国心に根源すると言ってよかろ う。

穂積重遠. 婚姻制度講話 (温古堂文庫) (Kindle の位置No.1157-1158). Kindle 版.

そして以下の感想に結びつく。

人種改良運動のごとき も、米国自彊の一策として宣伝される所に一段の強味を増す のである。しかして米国において特にやかましく議論される社会問題中、優生学的人種改良問題と牽連するものがかなりに多い。

穂積重遠. 婚姻制度講話 (温古堂文庫) (Kindle の位置No.1160-1162). Kindle 版.

この後、禁酒法の解説へ進む。

トマス・クーパーは、サウスカロライナ大学の学長になる以前から態度を変化させ、ついには

 綿花州であるサウスカロライナでは,クーパーはかつて奴隷制批判者だったときと同じくらい熱烈な弁護者へと変身したのであった。
 黒人は「劣った人種」だと断言し,彼らの解放はただ彼らを浮浪者や泥棒に変えるに過ぎない,なぜなら,黒人の第一の目的は自分の状態の改善ではないからだ,と公言してはばからなかった。

P50,トマス・クーパーの経済学―南部自由主義経済学―,第2章 北東部および南部自由主義経済学,アメリカの経済思想 建国期から現代まで,田中敏弘

のであった。1820年に大学に教授職を得たために、ペンシルヴェニア州ディキンソン大学の教授を離任し、移動してからこのように激しくなったらしい。
女性問題を取り上げるにも、背景も受け取り方もなかなか複雑なのだ。

なお、トマス・クーパーは、この章で『心情主義』と(著者から―何の引用でもなかったので著者の感想だろうか―)評価されている。「心理主義」でない。ここら辺の機微である。


―或る種の答え合わせ

レビュー(に拠る本書の紹介)から拾い上げる

  1. 第5の発見は、物語のラストでスカーレットが発する「Tomorrow is another day.」は、力強い決意表明ではなく、単なるスカーレットの口癖に過ぎなかったこと。(①)
  2.  この小説が南部の黒人奴隷制はそんなに悪いものじゃなかったと主張しているのは明らかなのである。
    (②)

①榎戸 誠
ベスト50レビュアー
5つ星のうち5.0 『風と共に去りぬ』は恋愛小説ではなく、スカーレット・オハラは美人でなかった
2019年2月25日に日本でレビュー済み
小谷野敦
5つ星のうち2.0 一応言っておきますが
2021年9月15日に日本でレビュー済み

ということである。これは自伝的要素も強いようで、②は、要は、マーガレット・ミッチェルが南部(主義)への傾倒を物語っている。

マーガレット・ミッチェル - Wikipedia

①については、マーガレット・ミッチェル自身が今ならADHDと診断されるような特徴を持っていたのか、ストウの『アンクルトムの小屋』のトプシーのような、或いは『赤毛のアン』のアンのような、「女性キャラクターの或る典型」でピカレスクロマンを指向したものか、それ以外なのかはよくわからない。
シャア・アズナブル云々ということであるが、私は『うる星やつら』のラムとしのぶの関係を思った。作者の高橋さんによると、しのぶが幸せになるかどうかで、この漫画を無事終わらせられるかどうかが高橋さんの中で決まったようである。

『うる星やつら』しのぶ、初の主役エピソードからも見える、少し不幸なキャラ人生(マグミクス) - Yahoo!ニュース

ともあれ、『忘れっぽい』(レビューより)性格のスカーレットの妙な『口癖』(須鴨本文より)がこれであり、巣鴨はまた『おなじない』のようなものと解説したらしいが、このようなスカーレットの資質からすると、音声チックのひとつである咳払いではないが、決まって出てきてはストレスを緩和するなり気持ちが「さっと」切り替わる合図のような或いは鼻歌だったのだろうか。こればかりは本人に聞いてみないとわからない。

こうなると、適当な訳語は難しく、自分なら語感を残して「さ、明日明日」くらいにしたいだが、どうも鼻歌っぽい(というより、鼻詩か)ニュアンスから、そのまま訳さないのが適当のようにも思える。シェークスピアの『生きるべきか、死ぬべきか』とはまた違った訳しにくさであると思う。

参考になるかわからないが、ジョージア州におけるイギリス国教会とマリア信仰

https://www.kufs.ac.jp/English/faculty/sakamoto/2puritan_09.pdf

イングランド国教会とクリスマス - 英国ニュース、求人、イベント、コラム、レストラン、ロンドン・イギリス情報誌 - 英国ニュースダイジェスト