『おまえらは手足の生えた図書館だ』
とは、小林全鼎(雲道人)が親交のあった西田幾多郎や鈴木大拙へ放った言葉らしい。
嫡子と謂えるかわからないが、家を出さされたご子息の小林東五さんは、金閣寺(臨済宗相国寺派;鹿苑寺。京都市)のご住職と誼があったということであるから、
この言葉の背景には、旧仏教系と新仏教運動の軋轢でもあっただろうか。わからない。
当時の知識人の多くが通って参禅体験を積んだ円覚寺(臨済宗円覚寺派大本山;瑞鹿山円覚興聖禅寺。鎌倉市)で出会っただろうか。わからない。
西田幾多郎もカントに騙されなければ、もう少しましなことも言えたと思いたいが※、オカルトに走ってしまった。『図書館』とは「禅堂」ではないという意味で興味深い。元寇由来の寺に知識人が集まって、本音では西洋哲学批判だったろうか。
※「西田哲学」などとは大げさな話で、高木貞治と違って学がないから、フレーゲを知らなかっただけである。卑下する必要はないが、正しくとらえる必要はある。「不立文字」とは禅の教えであるが、そのせいかは知らないが、論理の軽視は如何ともしがたく、西田のNOTE:思索(レベル)のことを「哲学」として称揚するのはいかがなものかと思う。
その点、鈴木大拙は、世界的なオカルトブームに乗って知己を得たのもあるが、実践的で、結社主義を背景に持つネットワーク社会のアメリカで成功して、日本でも「太陽信仰」は芸術、エンタメ方面で大きく花開いたのであるから、「天平文化」「鎌倉文化」並みに社会の教科書に載せてよい。
ただ、残念なことに、現在の世界では、韓国エンタメの後塵を拝していて、BTSを興味をもって視聴すると、どうも『グレート・ギャツビー』の世界観といっしょなようで、アメリカ的な普遍主義を取り入れたようだ。韓国は、憲法はレーニン主義だが、エンタメはアメリカニズムなのだ。政治態度としての中国寄りの事大主義と、「フッ化水素事件」でもう過去のことになっただろうか、日本への要求が激しいジャパン=コモンウェルスという返礼一辺倒の朝貢主義があって、その韓国で熱心に布教活動を行っていたのが、(プロテスタントではなく)カトリックの曽野綾子さんなのだから、不思議なブレンドである(韓国で普及しているキリスト教の裏には巫俗―民間信仰のシャーマニズムがあるらしい。キリスト教の普及によくみられる土着化のひとつだろう。日本の場合、反対に、仏教へキリスト教とギリシャ哲学を取り込んだ。冒頭の背景である)。
新仏教運動を批判したいのでも、旧仏教を擁護したいのでもない。カントに騙された体たらくが残念なだけである。むしろ(「論理派」の西田幾多郎とくらべて)「ロッジ派」の鈴木大拙は興味深い。のちのジャニー喜多川に繋がる。「日本」へ向かった西田幾多郎と、「太陽」へ向かった鈴木大拙の違いはあったろうか。
その点、高木貞治は大したものだった。
うがった見方をすれば、ドイツの世界戦略もあったと思う。
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さて、
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夏目漱石、徳田秋声、志賀直哉、藤沢清造、永井荷風、西村賢太である。
古くは、『枕草子』の清少納言と『源氏物語』の紫式部であるが、中原・中華派(高天原信仰)と仏教派(浄土信仰)の教学=政治争いである。
「誼」にすでに「縁」は含まれているか。
それでも「厚誼」と謂うのだから、修飾は重ねてよいのだろう(「誼」にすでに「親しい(つきあい)」が含まれている)。