「和魂洋才」の「魂」は仏性的自由であり、「才」は神の授ける自由である ㊳

 

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【良かった点】

  • 元良勇次郎を評価したこと
  • 本科生と選科生の違いを、実態的に取り上げたこと
  • 学校群と文部閥などのエリート社会の動静を取り上げたこと

【良くなかった点】

  • 根拠の乏しい父子関係に拘ったこと
  • 一木喜徳郎は内務官僚であるなど、文学的興味からはずれる社会動静について間違っており、見るべき点がないこと※1
  • 当時の選科生は現代の聴講生のようなものといった当てずっぽうな説明があること※2
  • 当時の心理主義と論理主義の関係を等閑に付していること
  • 「絶対矛盾的自己同一」を文体の問題にしていること

※1 官報. 1894年09月07日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
国立公文書館 デジタルアーカイブ
内務省を一度辞めて法科大学教授になったのではなく、内務官僚のまま法科大学教授になった。

※2 制度的には、(東京帝大がどの程度募集していたかは知らないが)「選科生」と「聴講生」は別にあったのであって、
大阪帝国大学一覧. 昭和8年度 - 国立国会図書館デジタルコレクション
その結果「選科卒業生の人事取り扱い」という問題が出て来る。
帝国法科大学選科卒業生に関し外務省人事課長へ回答
「選科生」を「本科生以外」として一身のことにしてしまうのは、相当問題がないかと懸念する☟考察。

 

要は、文学以外に興味がなく、相当出鱈目を吐いている、ということである。
西田幾多郎の言った「矛盾」はデカルトの「動いている矢は止まっている」と同じと考えておそらく差支えがない。つまり、西田幾多郎の言った「連続」のデカルトの「曲線」と同じであるし、「絶対無」の本旨は、公理的集合論以前の話にあって、(現代的な)自然数の定義と同じ企図である

フレーゲは外延を(2つの中心的なアイデアである「平行」と)「概念」から考えたが、(「概念」の方は)やはりうまく行かず、ラッセルからパラドックスを指摘された。フレーゲに影響を受けたフッサール心理主義フレーゲから批判され、ラッセルもまたゲーデルに批判された。
そういったレッドオーシャンの中で、「日本の中の『世界的哲学』」というブルーオーシャンがあっただけである。
西田にはそういった、世界に伏流する知識が欠けていて、潮流として現れた表面的な批判に走ったのが失敗の原因だろうと思う。これは、国内に居たときは、穂積八束の先鋭的な批判者であった上杉慎吉が、イェリネックに師事して学問の実際を知ってみると、とたんに穂積八束の後継者を自認するようになったことを思い出させる。(金沢を挟んで南北に離れているとはいえ)同郷の二人の話というより、日本における先端学問の「流通」の状況がうかがえる話である。
法律家のフェルマーや電気技術者のヘヴィサイドのような不思議な人たちは居るが、基本的に学問は突如成立するわけでもないので、そうすると、大学院へ進学してさらに留学をした方が、説得力が増しただろうことは想像できるのであって、そうでない西田幾多郎は、世界的に見れば(バックラッシュを起こした)傍流に迎合しただけだったのである。
※と言っても、案外、法学と数学、それ以上に技術と数学がまったく無縁なわけでない。その程度の学識上の余裕がまだあった時代もあった、ということである。西田幾多郎も時代に迎合して「ワンチャンス」を狙ったのであるが、学識の系統が根本的に異なっており、「接ぎ木」が無茶だっただけである。

西田幾多郎は数学を離れたのが致命的で、しかも選科生ゆえに大学院まで進めず(その先の留学は言わずもがなだったため※)、適切な方法論を身に付けられなかった。
※その点鈴木大拙は運がよかった、と言うと語弊があるが、禅との出会いから普遍的な信念を持つ神智学会に入会できたのがよかったのか、日本における禅系の仏教と世界的な広がりを持つ神智学会との関係が気になるが(別の結社であるが、フリーメイソンなどのロッジを思い出させる。)、ともかく『1897年に釈宗演の選を受け』(鈴木大拙 - Wikipediaアメリカへ渡り、進学はしていないが、知己を得て研究を進められたようである。
同じ選科生で、同じように仏教に関心を寄せても、本質的に数学の話に過ぎないことを中途半端なオカルティズムで乗り切ろうとした西田幾多郎と、そもそも神秘的なことを本格的な神秘思想に向かってさらに考察した鈴木大拙の違いが出た。

フレーゲフッサールもみな数学者だった。
この研究者はそういった文学以外のことをいっさい無視しているため、意味のある論考を構成できていない。
ただ、文献で調べられる程度の知識は豊富で、興味深かった。

★★☆☆☆

星3つが平凡な出来だとすると、面白いには面白かったが、それは四方山話であって、主題に関して評価できることがなかった。とにかく、無知が酷くて、まともに勉強したように思えない。

小林敏明 - Wikipedia

せっかくドイツに留学しているのに。なぜかね?


☞考察

www.courts.go.jp

家事事件のうち、夫婦関係などに関する調停については、これだけある。
夫婦関係調整調停には(離婚)と(円満)があるわけだが、離婚調停を申し立てるにも、そもそも離婚には、協議離婚、調停離婚、裁判離婚とある。
満足な条件を引き出して離婚したいのであるが、同時に婚姻中から別居したいとき、「同居義務違反」から「悪意の遺棄」を引き出されて有責配偶者となる惧れがあるならば、(離婚時の財産分与とは別に、まずは)「婚姻費用の分担請求調停」を置いてヘッジすることは考えられる。

婚姻が「正当」(な身分)なのだから、「それ以外」はみないっしょ、というわけにはゆかないのであった。
それが「実相」であって、【良かった点】で挙げた「実態」は(「実相」も「実態」も「実情」であることに辞書的な意味の違いはないが。)個別のふるまい、すなわち、エピソードのことであった。

素人が感想を漏らす分には(口が悪いだけで)構わないが、研究者がそういうわけにもゆかないだろう。