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「ゆっくり解説」シリーズを見てたらそのまま寝てしまって、イヤホンの音に気づいたらこれをやっていた。

ドラえもん』って日テレだったんだね。それでテレビ朝日に移ったと。なんだか、プロレス中継みたいな話だな。
ほとんど、とおうかまったく記憶にないけれど、ただドラミちゃんとジャイ子の話はなんか、「わかる」ような気がする。どちらも妹だね。「妹キャラ」の元祖は『ドラえもん』だったんだねぇ。
それはいいとして。

観たことないけれど面白かったね。

風の谷のナウシカ』って(観たことないけれど)『未来少年コナン』の続編だったんだね。

未来少年コナン』~『ルパン三世 カリオストロの城』~『風の谷のナウシカ
宇宙戦艦ヤマト』~『機動戦士ガンダム』~『さらば宇宙戦艦ヤマト

がそれぞれ(宮崎駿から見た)ライバルだったらしい。
片仮名表記が流行ったんだねぇ。

僕らなんかがみた印象では、『未来少年コナン』は、物理法則を無視した爽快さ、であって、『宇宙戦艦ヤマト』は物理(距離)空間を無視したダイナミックさ、なんだよね。それで、どちらにも(共通して)印象に残っていることが「音」なんだね。

未来少年コナン』のクライマックスは、なんと言っても、飛行機の翼の上を走り抜けるシーンで、これこそコナンに期待していたこと。次の日、すごく学校で話題になったよ。それが素足でトタンの上を走るような、リズミカルな軽い音で表現されていた(ちょうど音楽の時間で  を習う時分だったよね。そういう発達段階だったのかな)。

宇宙戦艦ヤマト』はもちろん、波動砲であって、これが聞いたことのない複雑な機械音で表現されていて、これが子どもの心を打ったんじゃないかね。とにかく「すごい」となった(ちなみに、この対極にあるのが、『銀の匙』の音で、コナンの音はこちらに近い)。

音以外にも、構図や色も対照的であるような気がする。
宮崎駿のスタジオは色遣いがいいよね。うまく「隠し味」を入れる感じで、音と反対に、複雑な色をだす。

岡田さんは『機動戦士ガンダム』が『ルパン三世 カリオストロの城』を凌駕した理由に時代背景を挙げていたけれど、どうだろう、モダニズムっぽいよね。ただそれが資本主義や工業化と関連して語られないだけで、対象化された「個」の位置関係がテーマだよね。前段に『伝説巨神イデオン』がある。

アニメ雑誌は読まなかったけれど、ムック本の延長で、辞書みたいな厚さの「○○百科」は好んで読んでいた。『機動戦士ガンダム』と『伝説巨神イデオン』の「百科」は持っていた(あと、『ドラえもん』と。ちなみに最初に勝ったのは恐竜だけれどね)。

それを思い出すと、「イデ」って、いろいろとニューサイエンスがどうたら神秘系がどうたら説明されていたと思うけれど、なんのことはない、ユングなんだね(なぜか、それを隠したがる?)。「ニュータイプ」なんて言っても要はユングであって。
テーマは孤独と邂逅(偶然による出会い)なんだね。それが成長物語としてまとめられている。

 

僕なんかの興味範囲で謂うと、戦前における(世界的なオカルト席巻後の)生命主義の、太陽主義と日本主義への分岐の影響になるけれど(文壇が使う「○○派」はイデオロギーや党派性というよりも、学統の影響があるとはいえ、ムーブメントであると思う。)、それが人間像と人間観の対立も孕んで、自然観と世界観の違いとして帰結したかなという気がする。
そこに『冒険ダン吉』にあった近代性―すなわち、この漫画は、近代的個人の黎明を告げた『ロビンソン・クルーソー』の翻案であろうが、合理的個人の評価を通じた「近代性」の評価への批判が伴奏としてある。

 

宮崎駿の矛盾」として語られる戦争批判(戦争嫌いなのに、軍機好き)の問題があるみたいだけれど、この人たちの「戦争嫌い」は戦前の体制批判―というよりも毛嫌いといっしょくたになっているからね。要は、心理主義的なオカルトが嫌いだったんだろうね。
ただ、彼がオカルトを無視できるかというと、『坂の上の雲』といっしょだろうなって思う。素朴な人間像に回帰するだけなんじゃない?って思う。
やはり、ドストエフスキーじゃなく、トーマス・マンを読まないと。
だって、ドイツの影響が一番大きかったんだから。ロシアに流れるのは、単に、党派的な問題だよね。


今はどうなのだろう。ガンダムをまったく観ないからわからないけれど。
新世紀エヴァンゲリオン』は、巷であんまり「エヴァ」「エヴァ」って言われてるから、若いタレント(当時)が出ているテレビを観るにも不自由に感じて、レンタルして観た。
大人になったファーストガンダム(再放送でブーム化)世代が見ると、「トレンディー」なノリにびっくりしつつ体のよい中学生日記以上のことを感じられなかったけれど、『バビル二世』なら原作も読んだし、敵キャラの造形の美しさに本当に感心した。

何が言いたいか。
サブカルチャーってハイカルチャーより遅れて来るなってことで、アマゾンプライムの『バチェロレッテ2』を観て、そう感じた。
こういったものは『あいのり』にしても『テラスハウス』にしても、ねるとん世代だから抵抗ないはずのような気もしつつ、まぁ、この年になったら見ているだけで恥ずかしくなってくるので見ないのだけれど、『バチェロレッテ2』は、のぞき見感覚というか、所謂「ハイスペ」な人たちの「パーティー」に興味があって見ている(だから、もっと業界話を自慢して欲しい。そういった腐ったエゴも惜しみなくさらけ出して欲しいけれど、それは身勝手な話で、煽り演出による出演者のリスクがあるからか抑制的で、それはそうだろうと思う。そういった意味でも「今の文化」だと思う)。

すなわち、岡田さんが言った『未来少年コナン』の「自由」の「戦後」がここにあると思った。しかしそれは日本的な―すなわち、敗戦国の無責任な「戦後」と同じではない。

十分制御された「自由」がひとつのテーマだった。それが(ハイカルチャーである)コミュニタリアニズムの文法で語られる。コミュニタリアニズムとは、コンサバティブでも、「リベラル」(コミュニズム)でもない。それらが交差する「点(対象)」としての個人が「広がり(或いは近傍)を持つ」というロジックだ。それぞれの広がりは文化の違いとして表現される。
婚活なのだから、もちろん、個人対個人なのだけれど、「その「個人」を作るのは誰か」にフォーカスされる。


未来少年コナン』は、『宇宙戦艦ヤマト』の波動砲だけいただいて『ドラゴンボール』になった一方で、NHK連続テレビ小説あまちゃん』になったと思う。『あまちゃん』では多様な歌だったね。

『ちむどんどん』は『バチェロレッテ2』とテーマがかぶっているんじゃないかな。

 

宮崎駿の「戦争嫌い」に

ちなみに本文の十節には「『Aの住所に行ってみると人の住まいが無くそこには稲荷の祠があり小僧は驚いた』というようなことを書こうかと思ったが、そう書くことは小僧に対して少し惨酷な気がしたため、ここで筆を擱く」というような擱筆の文が挿入されている。

小僧の神様 - Wikipedia

に近いものを感じるねぇ。

「小僧の神様」を精読する-接近と隔絶の線対称構造 分析を中心に,宮越,勉

これは明らかに芥川龍之介の『羅生門』の変奏だよね。
それをどう可能にしたかというと、ここに在る通り、ネガ/ポジに割ったことで成し遂げ、それを単に「王子と乞食」の入れ替わり噺にしないのは、

読み物:コラム・楼蘭抄

「心の秤」を導入したことからで、ねじれ位置にありつつも、心の成長という「長幼」を入れた。そしてそれはやはり対照的であって、「若い貴族院議員―若い妻」「小僧ー伯母」という「点対称」も見せる。男女×長幼を描くと若い貴族院議員を侯爵家出身として28歳、若い妻を20歳(婚姻3年目、子どもあり)、小僧を13歳、伯母(父の姉か妹)が35歳だと、それぞれ15歳差でちょうどよいような気がする。

貴族院 (日本) - Wikipedia

侯爵 - Wikipedia

初めて「孫が生まれる」年齢は、昔と こんなに違う! | 高齢者住宅【中楽坊】

平均寿命は、平均余命で、0歳児の平均余命と5歳児の平均余命は結構違う。

明治時代の女性の若さと結婚観 ② 令嬢の結婚 | 化粧の日本史ブログ by Yamamura

ちなみに、この頃、

寿司 - 歴史まとめ.net

寿司屋もハイカラになってきていたのだ。

最後の余計とも言われる付記だが、これは

「夏目漱石ゆかりの本法寺など」 | 人生ビックリだらけ~~

じゃなかろうか。白樺派なんだから。

ともあれ、志賀のロジシャンぶりが出ていた。
もちろん、二コマコス倫理学を踏まえてる。
ニコマコス倫理学 - Wikipedia