今日のNew Chat(ChatGPT)

 

markovproperty.hatenadiary.com

 

  1. ジョージ・ワシントンは,アメリカ合衆国の初代の大統領です。(長崎大)
  2. ジョージは,クラスで一番勤勉な学生であることがわかった。(慶大)
  3. 顔色が悪いですね,どうなさったのですか。

P.18,第2章基本5文型(Five Basic Patterns)

ジョージ・ワシントンは,アメリカ合衆国の初代の大統領です。
ジョージ・ワシントン
アメリカ合衆国の初代の大統領です。
ジョージ・ワシントンアメリカ合衆国の初代の大統領です。
ジョージ・ワシントンは,アメリカ合衆国の初代の大統領です
ジョージ・ワシントンは,アメリカ合衆国の初代の大統領です。
ジョージ・ワシントンは,アメリカ合衆国の初代
大統領です。
ジョージ・ワシントンは,アメリカ合衆国
初代の大統領です。
ジョージ・ワシントンは,アメリカ合衆国
初代の大統領です。
ジョージ・ワシントンは,
アメリカ合衆国の初代の大統領です。

(訂正)Adv→P

理屈がまるでわかっていないので、見様見真似で苦労したが、どうだろう?
不思議な感じである。

「句」を考えるにしても、「名詞句」「形容詞句」「副詞句」「動詞句」と割り振るとき、the very good singerは、名詞”singer”を含んでいるので名詞句、形容詞”good”を含んでいるので形容詞句、副詞”very”を含んでいるので副詞句であるようだ。

日本語の場合、ここでは、「は」は副助詞で、「の」は格助詞で、「です」は(断定の)助動詞である。後は、名詞である。
ただ、この助動詞は、be動詞と同じ働きであるが、そこらへんをどうするか。日本語は日本語なのか。cf. is illustrating(Wikipedia句構造」)。is は助動詞である。

 

f:id:MarkovProperty:20210531232311p:plain

句構造文法 - Wikipedia

この図では、APではなく、NPとなっている。
自分のは、どうも相当混乱しているようだ。

このとき、「バー方式」というのは、動詞句(VP)から動詞(V)を抜くという具合なのか、(あくまで)仮にそうだとして形容詞句(AP)ならば形容詞(A)を抜くところ、日本語の場合、助詞(P)が名詞を伴って形容詞句を形成するので、形容詞句(AP)から助詞(P)を抜くと考えた。

そうすると、おのずと、名詞を中心に考えるようになると思える。

これがなぜ、助詞を含んだ助詞句としなかったかというと、

(S (NP (N' (N ジョージ・ワシントン))))
(VP (V' (V は)
(NP (N' (AP (A' (A アメリカ合衆国の)
(AP (A' (A 初代の)))))
(N' (N 大統領))))
(V です))))

と回答され、”AP”は何か聞いたら、「形容詞句」と言うから、そうしたのだが、別の機会には、”PP”と返したこともあるので、素直に「助詞句」で良かったかもしれない。

 

(訂正)AdvP→PP,Adv→P,V→Av

この方がすっきりする。”NP”だけイレギュラーに見えるのは、下に枝が連なるからだが、より複雑な文になると、どうなるのかわからない。なんか変な気がする。

よくよく考えてみたら、日本語もそんなに勉強をしたことがないのだが、これも今までひそかに迷っていたことで、米国の大統領かつ初代の大統領なのか。米国の初代かつ初代の大統領なのか。今までは、習った通りに、前者での理解に努めてきたが、枝構造にするときに、困る。「初代の」というのがジャンルとして実は奇妙に感じるのだ。アメリカの大統領が居並ぶ中での序列としての意味を持つ「初代」であって、「アメリカの」と「初代の」が実際には並ばない。日本のプロ野球でどれだけ実績があっても、メジャーではルーキーのようなことだ。ただ、そういった具体性を無視して、形容関係だけを考えると、「米国の」と「初代の」は価値中立に「大統領」を形容しているようにも感じられる。なるほど、そうなると、依存関係ということになるのか、ベン図を書くならば、後者である(そういった「ベン図を書く」ということが批判されているのかもしれない☟note)と思った次第である。

それはこれからおいおい考えてゆこう。

☞note

ゴットロープ・フレーゲのころ、これと対抗する文の論理の理解が生まれた。フレーゲは文を二分することをよしとせず、文の論理を述語とそれに関わる文法項群として理解するものとした。この場合、節を主語と述語に二分することはできない。それにより依存関係という考え方が生まれた(フレーゲ以前の文法にも依存関係的考え方は不明瞭ながら存在した)。

句構造文法 - Wikipedia

テニエールのスタンスは、主語と述語という分割は名辞論理に由来し、それは言語学的ではないというものであった。

依存文法 - Wikipedia

「統語的」と謂うときは、厳密には、「依存的」であることを謂うのだろうか。
今まで遊んできたときは、上で述べたとおりに、迷いつつ習ったことを尊重してきて、特に心理的な問題以外の問題も感じなかったが。はて、弱ったな。

[比較参照]


(PP.38-39,§1.4略式モンターギュ文法,第1章関数型高階論理,圏論による論理学)
句構造らしきものから動詞への依存らしきものへの変形らしきものも見られる。
いや、知らない。→john believe(s) that a fish walks(s)

これが次の問題と関係する(that節:~こと)。

 

英作文の問題を考えるときに、ちょうどこのような、何かしらの「ナチュラルな変形」を致す際に、意味を考えられないか(たとえば、前回の問題で、inhabited byとするか、there live とするかの意味合いである。)、考えていたのである。