今日のNew Chat(ChatGPT)

 

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世界には皮膚の色や風俗を異にしたさまざまな人種が住んでいる。

P.17,第2章基本5文型(Five Basic Patterns)

世界には皮膚の色や風俗を異にしたさまざまな人種が住んでいる。
世界には皮膚の色や風俗を異にしたさまざまな人種住んでいる
世界には皮膚の色や風俗を異にしたさまざまな
人種住んでいる
世界には皮膚の色や風俗を異にしたさまざまな
人種が住んいる
世界には皮膚の色や風俗を異にしたさまざまな人種が
住んでいる
世界に皮膚の色や風俗を異にしたさまざまな人種が住んでいる
世界
は皮膚の色や風俗を異にしたさまざまな人種が住んでいる
世界には皮膚の色や風俗を異したさまざまな人種が住んでいる
世界には皮膚の色や風俗を
にしたさまざまな人種が住んでいる
世界には皮膚の色や風俗
異にしたさまざまな人種が住んでいる
世界には皮膚の色や
風俗を異にしたさまざまな人種が住んでいる
世界には皮膚の色
風俗を異にしたさまざまな人種が住んでいる
世界には皮膚の
や風俗を異にしたさまざまな人種が住んでいる
世界には皮膚
色や風俗を異にしたさまざまな人種が住んでいる
世界には
皮膚の色や風俗を異にしたさまざまな人種が住んでいる

だろうか?まだ、このような方法を学んでいないので、適当だ。
要は、「皮膚の色や風俗を異にしたさまざまな人種が世界には住んでいる」と入れ替えが可能であることを主張している。そうすることで、SP系列とVP系列の分岐が実現される。正しい理解であるとは思っていない。なんとなくうまくいった体だ。

ところが、これが「短絡化された受験知識」であると知る。

 

—「世界には皮膚の色や風俗を異にしたさまざまな人種が住んでいる」 を英語に翻訳してください。

"The world is inhabited by various races with different skin colors and customs."

 

なるほど、

inhabitとは・意味・使い方・読み方・例文 - 英ナビ!辞書 英和辞典

である。要は、

inhabit 意味と語源 – 語源英和辞典

を考えるときに、

 

—WorldとThe worldのニュアンスの違いを説明し、inhabitの語源からその中心となる概念を説明してください

"World"は一般的に、宇宙や地球上の全ての存在を表す抽象的な概念であり、特定の文脈によって意味が異なります。一方、"the world"は具体的な文脈で使用され、特定の場所や人類が住む地球全体を表すことがよくあります。

"inhabit"の語源は、ラテン語の"inhabitare"から来ており、"in-"(中に)と"habitare"(住む)の組み合わせで構成されています。その中心となる概念は、ある場所や地域に住むことであり、"inhabit"を使うことで、人類が特定の場所に定住することを表現できます。また、"inhabit"は人類だけでなく、動物や植物が自然環境に住むことも表現できます。

—"inhabit"の語源は、ラテン語の"habeo"に反復を表す"to"が付いたものや、 印欧語根 ghehbhが語源でありませんか

「inhabit」の語源は、ラテン語の「inhabitare」から来ています。この動詞は、「in-」(中に)と「habitare」(住む)から成り立っており、「住んでいる」という意味を表しています。ラテン語の「habitare」は、「habeo」(持つ、所有する)に由来する動詞「habito」(居住する)から派生したものであり、元々は「持つ場所がある」という意味でした。そのため、ラテン語の「inhabitare」は、「中に住んでいる」というニュアンスで、今日の「inhabit」の意味とも一致しています。

一方、「ghebh-」という印欧語根は、「inhabit」の語源ではありません。この印欧語根は、「持つ」という意味を持ち、様々な言語で使われていますが、「inhabit」の語源とは直接的に関係していません。

 

つまり、(1)国によって習慣が違う。で、一般概念としての「国」が個別の国と区別されることとセットになっている。ただし、受験参考書を読んでいるわけではないので、「原仙」に掲載されている模範解答と異なる。

 

—"Each custom differs by country."と”Each custom differs among countries”と"Each custom differs in the countries"のニュアンスの違いと文法上もっとも適切な文はどれですか

"Each custom differs by country" は、それぞれの国で習慣が異なることを示しています。つまり、異なる国々の間で比較すると、その習慣に違いがあるという意味です。

"Each custom differs among countries" は、多数の国々の中で、それぞれの国々において習慣が異なることを示しています。つまり、各国の習慣の相違について言及しています。

"Each custom differs in the countries" は、多数の国々の中で、それぞれの国で習慣が異なることを示しています。つまり、各国の内部で異なる習慣があることを示唆しています。

—文法的には、"Each custom differs by country" がもっとも適切です。

文法的には、"Each custom differs by country" がもっとも適切ですが、countryにtheが付かず抽象的なのはなぜですか

"Each custom differs by country" で、"country" に "the" をつけると「その特定の国々」というニュアンスになります。しかし、この文脈では、一般的に複数の国々を指しているため、抽象的な形で表現されています。このように、文脈によっては、抽象的な形で表現することで、より一般的な意味を伝えることができます。

—"Each custom differs by country" でEachは具体的な国々のことを指して居ませんか

"Each custom differs by country" では、"each" は「それぞれの」という意味で、具体的な国々を指しているわけではありません。言い換えると、それぞれの国において習慣が異なるということを指しています。つまり、ある国の習慣が他の国と異なるということを述べています。

 

eachは未だ一般的な概念に留まるようである。1問終える前に気が付いてよかった。
つまり、「内包」と「外延」が異なるとき、「分割」と「対象」の関係である。そこへall/every/whole/each/someの理解を持ってゆきたいが、まだ足踏みしている感じである。元来、叙述と論理を繋ぐ目的があるので、all/someの論理的理解がなぜ、every/eachでないのか納得したいという動機があって、「枚挙的」なら”every”の方が相応しかったのではないかという積年の疑問があるのであった。
それについては、こういうことであった。

In predicate logic, the symbol ∀ is usually translated as "for all" or "for every," and the symbol ∃ is usually translated as "there exists" or "there is at least one." These translations are commonly used in English. However, it is important to note that the precise translation may depend on the context and the specific usage. "All" and "every" can be used as translations for ∀ in certain contexts, and "some" can be used as a translation for ∃ in some contexts as well.

なんだ。どっちでもいいのか。
∃が”a”なのか”each”なのか”some”なのか、ニュアンスの違いを聞いてみた。

∃は通常、「存在する」と翻訳されますが、正確な翻訳は文脈や使用法によって異なります。場合によっては、「一部の」と翻訳されることもあります。「each」は、何かをグループやセットのすべてのメンバーに分配または割り当てることを示し、「a」は、数量や分布を指定せずに単一のインスタンスの存在を示します。

例えば、「There exists a red apple」は、∃x(Red(x)∧Apple(x))として翻訳され、少なくとも1つの赤いリンゴが存在することを示しています。「Each person has their own preferences」は、∀x(Person(x)→∃y(Preference(x、y)))として翻訳され、すべての人が自分自身の好みを持っていることを示しています。「A car is parked outside」は、∃x(Car(x)∧Parked(x)∧Outside(x))として翻訳され、少なくとも1台の車が外に駐車していることを示しています。

疑問が氷解してしまった。

 

—Japanese、a Japanese、the Japanese、each Japaneseのニュアンスの違い

"Japanese"は、日本に関係するものや日本特有のものを形容する形容詞です。

"A Japanese"は、日本出身の人を指す名詞句で、特定の一人を指す場合に使われます。

"The Japanese"は、日本人全体を指す名詞句で、一般的に日本人について話すときに使われます。

"Each Japanese"は、個々の日本人を一人ずつ指す名詞句で、それぞれの人を別々に考慮することを強調します。

これらの表現のニュアンスは、使用される文脈によって変わることがあります。

—"The Japanese"は、日本人全体を指す名詞句が、"the"はなぜ、特定のJapaneseを意味しないのですか

"The"は定冠詞で、ある名詞について前に言及したり、聞き手に知られている名詞について話す場合に使用します。例えば、「I saw a Japanese man yesterday. The Japanese man was wearing a blue suit.」という文では、最初に言及された「a Japanese man」という名詞に対して、後に「the Japanese man」という表現が使われています。つまり、文脈の中で既に示唆されている特定の日本人を指していると解釈できます。一方で、"The Japanese"は、文脈によっては、単に「日本人全体」を指すと解釈されることもあります。

—"the good"はどういう意味ですか。形容詞にtheが付くとどういう意味になりますか

"the good"は、"good"という形容詞の前に冠詞 "the" が付いたもので、一般的には「良いもの」や「善いこと」といった意味合いを持ちます。ここでの "the" は、特定のものを指し示す定冠詞として使用され、ある種の単数形を指しています。同様に、"the bad" は「悪いもの」を、"the ugly" は「醜いもの」を意味します。ただし、これらは比喩的な表現としても用いられ、文脈によって意味が変わることもあります。

—形容詞の名詞化ですか

いいえ、形容詞に "the" が付くことによって、一般的な概念のように名詞化されます。例えば、"the good"は "善良" や "美徳" のような抽象的な概念を表します。また、 "the rich" は "富裕層" を表し、 "the poor" は "貧困層" を表します。このように、形容詞に "the" を付けることで、抽象的な概念やグループ全体を表す名詞化された語句を作ることができます。

—"Each Japanese"は具体的なJapaneseのことですか、一般的なJapaneseのことですか

"Each Japanese" は、個々の日本人を指しています。つまり、個人個人を別々に考えるという意味が含まれます。例えば、「私たちの学校には5人の日本人がいます。Each Japaneseはとても親切です」という文では、5人の日本人のそれぞれが親切だということを強調しています。一方、「The Japanese are known for their hospitality」という文では、日本人全般がおもてなしの精神を持っているということを言っています。

—Each Japanese has their hospitalityを文法的に正しく言い直してください

Each Japanese person has their own hospitality.

—"Each Japanese person has their own hospitality." は、個々の日本人一般的な資質のことを言っていますか

はい、「Each Japanese person has their own hospitality」という文は、個人としての日本人全般的な質について言及しており、各人が独自のおもてなしの仕方を持っていることを強調しています。

—「Each Japanese person has their own hospitality」という文は、個人としての日本人全般的な質について言及しており、具体的な個人を指しているわけではない。

はい、その通りです。この文は、個人としての日本人全体について言及しており、具体的な個人を指しているわけではありません。また、それぞれの人が独自のホスピタリティを持っているということを強調しています。

 

ちなみに、”Every Japanese person has”であり、”All Japanese people have”であるらしい。

昔使っていた、高校時代の英語の文法の教科書が一番網羅的でよかったのであるが、捨ててしまった。劣化して最後はバラバラになったので、惜しかったが、廃棄したのである。同じものを探したのであるが、見つからなかった。題名も忘れてしまった。
記憶が曖昧なところを補習したいのであるが、悩ましい。
結局、「受験」というのは、「問題は(あらゆるレベルで)正しい」ことを信頼して、「そのとおり」受け取って「解く」ので、そこまで気にしていなかったのだ(つまり、「正しい」問題文を「正しく」読む、読解力が試されることで、読解力で概念の理解力が多少代替されてしまっていると思う。「引っかかりがない」ときにそういうことが「起こり」やすい。多少、引っかかった方が、よいのである)。参考書を読んでも「あぁ、そうか」で済ませていたのだろうと思う。


これはどうも基本が相当あやしい。

昔といっしょで、学力が伸びるまで、「3か月は我慢する」努力を辛抱強く続けばなければならないらしい。

ただ、昔ほど、根気がない。
これはどうも先が見通せない。