今日のNew Chat(ChatGPT)

 

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結局、学習に関して「アクティブ」な主体と「成る」かどうかを巡って、一方では、成長過程から「使用」(一般的な機能の代替)の問題と捉え、一方では発達個性からの「利用」(個別の対象)の問題と捉えたと整理することができるかもしれない。
前者は「大人と子どもは違う」という言葉に代表され、後者は「バカは黙ってろ(俺とお前は違う※)」という言葉に代表された。
※彼は、資質的に、相当「アクティブ」な人格の持ち主である。

これは、AIが、機械学習という、学習する(疑似的な)主体だから起きた問題のようだ。「人工知能」と謂うが、本質は、学習の方であると思う。
ならば、「機械学習」の特質を理解する方が、円滑に議論は進む。

そもそも、こういった問題は、教育の文脈に乗りやすい、というよりも、明治大正から、連綿とそういった議論を積み重ねて来た旧い問題である。

アメリカのデューイの業績を説明してください

アメリカの哲学者・教育者であるジョン・デューイ(John Dewey)は、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍し、プラグマティズム哲学の創始者として知られています。彼は教育の分野でも重要な業績を残し、現代の教育理論や教育実践に多大な影響を与えました。

デューイの最も重要な業績は、「体験主義教育」の提唱です。彼は、教育を生涯にわたる学習と捉え、子どもたちが自らの体験を通じて学び、社会に参加する力を身につけることが重要であると考えました。彼はまた、教育において知識の習得だけでなく、自己実現や社会性の育成も重要だと主張しました。

さらに、デューイは実験学校の創設者としても知られています。彼はシカゴ大学の実験学校で、教育の現場での実践を重視し、学生たちが自らの体験を通じて学ぶことを促しました。この実験学校は、現在の教育実践に多大な影響を与えました。

また、デューイは民主主義に関する著作も多く残しており、教育を通じて民主主義の理念を育てることが重要だと主張しました。彼は、教育が社会の改革にも関わることができると考え、社会改革を目指す教育の必要性を訴えました。

以上のように、デューイは教育の分野で革新的なアイデアを提唱し、現代の教育理論や実践に多大な影響を与えた教育者・哲学者です。


—デューイは学ぶ主体をどう定義しましたか

デューイは学ぶ主体について、個人が単独で学ぶのではなく、社会的な関係性の中で学ぶことが重要だと考えました。彼は「社会的な環境」や「社会的な相互作用」が、学びの主体に大きな影響を与えると主張しました。

具体的には、デューイは個人が新しい経験を通して学びを得ると同時に、その経験を共有し、社会との関係性を通じてより深い理解を得ることができると考えました。彼は、個人の経験を重視する一方で、それを共有することが重要だとし、社会の中での相互作用が、個人の学びに不可欠な役割を果たすとしたのです。

この考え方は、デューイが提唱する「体験主義教育」の根幹を成しており、彼が実践したシカゴ大学の実験学校では、学生たちが社会との関係性を重視した学びを行うことが求められました。このように、デューイは学びの主体を単独の個人ではなく、社会との関係性に重きを置いたものと捉えていました。


—デューイは発達と成長をどう区別しましたか

デューイは、発達と成長を区別する考え方を持っていました。彼によれば、発達とは、個人が経験や環境の影響を受けて、自己を変容させることであり、成長とは、体の大きさや能力の向上による変化を指します。

具体的には、デューイは、子どもが自己を発展させるためには、豊かな体験や環境への適応が必要だと考えました。このような環境や経験を通じて、子どもは自己を発展させ、より高次の能力やスキルを獲得することができます。一方で、成長は体の大きさや能力の向上によって変化するため、生物学的な要因が大きく関わっています。

デューイの考え方は、子どもたちが健全な成長と発達を遂げるためには、豊かな環境や適切な経験が必要であることを示唆しています。彼は、教育においても、子どもたちが自己を発展させるためには、多様な体験や社会的な相互作用を通じて、自己を発展させることが重要であると考えました。

 

さて、

PP.6-7,生徒用教材『学習課題ノート』見本
令和5年度版 高等学校国語教科書のご案内|三省堂

 

聞いてみた。

https://chat.openai.com/からの回答


『 言葉によって世界はつくり出される。事実、私たちは言葉を知ることで、目の前の世界を意味付け、認識することになる。
 例えば、「虹の色はいくつ」という話があります。日本では、普通に七色と答える人が多いはずだ。でも、「黄色」や「赤色」という言葉をもっていなければ、「黄色」や「赤色」と認識することはできないはずであるし、そこに色の認識があるからこそ、「虹は七色である」と言えるのであって、もし複雑な色の違いを認識しないまま、そしてその違いを説明する言葉をもっていなかったら、どうなるだろう。
 言葉をもつということは、私たちの認識を豊かにし、世界を広げることである。言葉を知れば、私たちは世界のさまざまなものにアクセスすることができるのである。』
上の文章を読んで、わかりにくいところや、もう少し具体的に説明できそうなところを指摘してください

上の文章は、言葉の重要性や意味付けの必要性を説明するための文章です。しかし、次のような点がわかりにくいと感じるかもしれません。

  • 「事実、私たちは言葉を知ることで、目の前の世界を意味付け、認識することになる」という文の前半部分が、何を指しているのかが明確でない。
  • 「もし複雑な色の違いを認識しないまま、そしてその違いを説明する言葉をもっていなかったら、どうなるだろう」という文が、具体例を示さずに言及されているため、何を指しているのかわかりにくい。

これらの点について、より具体的な例を示すことで説明を補完することができます。例えば、最初の文については、「私たちは言葉を知ることで、例えば『おいしい』や『美しい』といった感情や価値観を表現できるようになり、それによって食べ物や景色などの評価が変わるようになる」というような説明が加えられるとより具体的でわかりやすくなります。また、2つ目の文については、「たとえば、青みがかったグリーンや、赤みがかったオレンジといった微妙な色の違いを見分けることができず、言葉で表現することもできなければ、人々の意見が分かれたり、共通認識が形成されなかったりするかもしれない」といった例が加えられると、より具体的で理解しやすくなるでしょう。

 

ということである。
違和感を覚えないだろうか?

「概念」を「構成」するとき

  • 概念を構成する原理(同定、分割、合成)
  • 概念を構成する要素(言葉)
  • 概念を構成する効用(比例※)
  • 概念を構成する意義(共有)


—哲学上の比例原則とはナニデスカ

哲学上の比例原則は、「同一であるものは同一であるという原則」と「他者であるものは他者であるという原則」から成る、論理学や形而上学における基本的な原理です。

つまり、同一であるものは同じであり、異なるものは異なるという原則を指します。これは、物事を議論する上での基礎的な前提であり、その妥当性が疑われると、議論自体が成り立たなくなってしまいます。

例えば、あるものが「同じ」と言われる場合、それは他のものと「同一である」ということを意味します。そして、比例原則によれば、「同一であるものは同じである」という原理に基づき、同じものとされる二つの物体は、どちらも同じであると言えます。


—原理と原則のニュアンスの違い

「原理」と「原則」は、似たような意味を持つ言葉ですが、微妙なニュアンスの違いがあります。

「原理」は、物事の根本的な法則や理論的な根拠を指します。例えば、科学的な法則や原理、哲学的な原理、経済学的な原理などがあります。原理は、ある事象が起こる理由やメカニズムを説明するために用いられます。

一方、「原則」は、ある事柄において遵守すべきルールや指針、規則を指します。例えば、法律上の原則、道徳的な原則、ビジネス上の原則などがあります。原則は、ある問題に対する判断や行動の指針となるものです。

つまり、「原理」はある事象の原因や仕組みを説明するための理論的な根拠であり、「原則」はある事柄における遵守すべきルールや指針、規則です。


であるとして、

    1. 言葉によって世界はつくり出される。
    2. 事実、私たちは言葉を知ることで、目の前の世界を意味付け、認識することになる。
    1. 例えば、「虹の色はいくつ」という話があります。
    2. 日本では、普通に七色と答える人が多いはずだ。
    3. でも、「黄色」や「赤色」という言葉をもっていなければ、「黄色」や「赤色」と認識することはできないはずであるし、そこに色の認識があるからこそ、「虹は七色である」と言えるのであって、もし複雑な色の違いを認識しないまま、そしてその違いを説明する言葉をもっていなかったら、どうなるだろう。
    1. 言葉をもつということは、私たちの認識を豊かにし、世界を広げることである。
    2. 言葉を知れば、私たちは世界のさまざまなものにアクセスすることができるのである。

[「言葉」に関して]

    1. 言葉(によって世界はつくり出される)。
    2. 言葉を知る(ことで)
    1.  
    2.  
    3. 言葉をもっ(ていなければ)
    1. 言葉をもつ(ということは)
    2. 言葉を知れ(ば)

[「世界」に関して]

    1. (言葉によって)世界はつくり出される
    2. (事実、目の前の)世界を意味付け、認識する(ことになる)
    1.  
    2.  
    3.  
    1. 世界を広げる(ことである)
    2. (私たちは)世界(のさまざまなもの)にアクセスする(ことができる)

[「認識」に関して]

    1.  
    2. (事実、目の前の)世界を(意味付け、)認識する(ことになる)
    1.  
    2.  
    3. (でも、「黄色」や「赤色」という言葉をもっていなければ、)「黄色」や「赤色」と認識する(ことはできないはずであるし、そこに色の)認識がある(からこそ、「虹は七色である」と言えるのであって、もし複雑な色の)違いを認識しない(まま、そしてその違いを説明する言葉をもっていなかったら、どうなるだろう)
    1. (言葉をもつということは、私たちの)認識を豊かにし(、世界を広げることである)
    2.  

「言葉」「世界」「認識」の関係をプロットするとこの通りである。

 

以前、このようなことを考えた。

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嫌なことを覚えているもので、中学生のころ私の様子を見に来た  が私に落胆して帰るときに、唯一妙なことに感心していた。「ガウスと同じだね」とにやり、、、としたのは、右眉の癖のある持ち上げ方である。
ガウスは7つの証明を与えて、ガザ―リーは20の証明を与えた。ここで私は1つ考察を加えてみた。「面対称」という概念を考えたのは小学生の頃であったが、「矛盾」を与えて「無限」を現出させることで概念を操作するアイデアは、ここに引っ越してから、パスタをゆでているときに思いついた。様相論理K4で似たようなことが可能であると思いついたのは、ここ数年のことである。

  1.   世界〈は〉、それより〈大なる〉もの〈が〉可能でない対象である
  2. 仮定1  世界〈は〉概念(言語)において存在する
  3. 仮定2  世界〈は〉事実(形象)において存在する可能性〈が〉ある[可能性]
  4. 仮定3  もし任意の対象〈が〉概念(言語)においてのみ存在し、事実(形象)において存在する可能性〈が〉あるならば、その対象は、それ自身よりも大なる可能性〈が〉ある
  5. 背理4  世界〈は〉概念(言語)においてのみ存在すると仮定する
  6. 背理5  世界〈は〉概念(言語)自身よりも大なる可能性〈が〉ある
  7. 背理6  世界〈は〉概念(言語)自身よりも大なるもの〈が〉可能な対象となる
  8. 背理7  それよりも大なるもの〈が〉可能でない対象〈が〉、それよりも大なるもの〈が〉可能な対象となる
  9. 背理8  世界〈は〉概念(言語)においてのみ存在することはない。
  10.   世界〈は〉事実(形象)において存在しなければならない[必然性]

このとき、ガザーリーは言う。

 

 人は、ユニコーンを考えることができる

 

純粋に観念的存在である。

 

このとき私は、自然数の無限から実数の無限を構成できても、(そうしたうえで)今現に問題にして「数えている」のは自然数の無限であるから、実数の無限は考えない、と言ったのだ(つまり、この「問題」が「自然数の問題である」ことの輪郭を、明確にした)。言語的な操作だと、そういった説明が、リーズナブルにできる。