「4色定理」の様相論理からの言語的証明

今後は、「アラビアの影響」を無視して、近代哲学も語られなくなるんじゃないかな。

ただ、今のところまだ、イブン・スィーナーとガザ―リーとイブン・ルシュドの関係を正面から扱っていないみたい。

だって、デカルト心身二元論も意味不明だよね。
ちょっと前は、英語ならドイツ哲学も簡単に説明されているってあったけれど。

「アラビアの影響」の何が、イタリアに流れてゆき、何がフランスに流れてゆき、何がドイツん流れていったか。 

イブン=シーナー/アヴィケンナ | 世界史の窓

 (引用)時代が英雄を作り英雄が時代を作るということを思想の次元において身をもって証明した人として、ガザーリーイスラームの知的文化の発展過程において特異な位置を占める。時のイスラーム文化の中心地バグダードの都にニザーム学園の教授としてその名は天下に名高く、衆望を一身に集め、幾多の高材逸足をその門下に擁した神学者としての燦然(さんぜん)たる彼の半生、突如として彼を襲った信仰と理性との劇(はげ)しい衝突、それに伴う精神上の危機、あらゆる栄誉、功名を棄て去ってバグダードを後に、俗世を遁(のが)れて、静寂と清浄を求めつつ旅に出て行く彼、「真理」を人に伝えるため哲学上の第一人者アヴィケンナを痛烈に批判する彼、円満な穏やかな人格、鋭くしかも繊細な分析的精神、天与の流麗たる文章、正にガザーリーこそはイスラーム思想史上の一偉観である。
井筒俊彦イスラーム思想史』中公文庫 p.133>

ガザーリー | 世界史の窓

イブン=ルシュド/アヴェロエス| 世界史の窓

まさに

この時代のマグレブ商人たちの「英雄観」だろうか?

ファーラービー   0870年 - 0950年
イブン・スィーナー 0980年 - 1037年
ガザーリー     1058年 - 1111年
イブン・ルシュド  1126年 - 1198年

実は同時代に、キリスト教でも

カンタベリーのアンセルムス
          1033年 - 1109年

マグリブ貿易商は,10世紀に政治的不安が次第に高まったバグダット周辺を離れ,ファーティマ朝のカリフによって支配されていた北アフリカチュニジア,すなわち西イスラーム圏(マグリブ)の一部に移住したユダヤ貿易商の末裔である.ファーティマ朝の首都は10世紀末にカイロへ移転した.マグリブからエジプトへと追随したユダヤ賞たちは,マグリブを出自とするマグリブ貿易商として知られるようになる.
P.53

マグリブ人は11世紀を通して,イタリア人,より一般的にはヨーロッパの軍隊と商業勢力がイスラーム世界からの商人たちを追い出すまで,地中海で活動した,マグリブ人はその後インド洋貿易に転向し,12世紀の終わりにエジプトのイスラーム支配者に貿易を止めるよう強制させるまで貿易を続けた.この段階で,彼らはより大きなユダヤ系の共同体に溶け込み,歴史の表舞台から姿を消した.
PP.68-69

論理学の歴史 - Wikipedia
ファーラービー - Wikipedia
イブン・スィーナー - Wikipedia
ガザーリー - Wikipedia 
イブン・ルシュド - Wikipedia

14世紀には

スーフィズム 時代背景とその成り立ち|New Mew Mew 

9乃至12世紀の地中海世界とヨーロッパ内陸部、外洋

     

ヴァイキング-Wikipediaヴァリャーグからギリシアへの道-Wikipedia

1018年にはギリシャ(東ローマ)帝国マケドニア王朝が最大版図を達成して最盛期を迎える一方で、イタリア半島の付け根には803年ベネチア共和国が独立していることがギリシャ(東ローマ)皇帝ニケフォロスとドイツ(ローマ,フランク;後、神聖ローマ)皇帝カルロス・マグノス(所謂、カール大帝)の間で確認されると、11世紀にはアジア交易中継地として莫大な富を築いた。
1054年にはコンスタンティノポリス教会とローマ教会が完全分裂した(いわゆる大シスマ)。

カンタベリーのアンセルムスが活躍したのもこういった時期で、彼はヴェネチアの反対側のブルグント王国アオスタで生まれた。フランス、スイスとの境目あたりのイタリアの都市で、フランスでブルゴーニュと言われる地方であるらしい。

アンセルムスは何をしたか?
何をしたがゆえに画期的だったか。

  1. 神はそれ以上大きなものがないような存在である。
  2. 一般に、何かが人間の理解の内にあるだけではなく、実際に(現実に)存在する方が、より大きいと言える。
  3. もしもそのような存在が人間の理解の内にあるだけで、実際に存在しないのであれば、それは「それ以上大きなものがない」という定義に反する。
  4. そこで、神は人間の理解の内にあるだけではなく、実際に存在する。

アンセルムス-Wkipedia

このWikipediaの記事が間違っているかどうかはわからない。
しかし、一つ言えるのは、上記の2が、高橋の指摘する所の、

アンセルムスが、神Aと神Bを比べて、BがAよりも大なるものと推論しているのではない点に注意してほしい。

P.206,3神の存在論的証明,第Ⅳ章ゲーデルの神の存在論ゲーデルの哲学

に注意を払った書き方を特段していないことは言える。高橋は、この4行を10行で書き、その本質を[可能性]から[必然性]を導くことにあったと説明する。

すなわち、アンセルムスが「論証」したのは、「哲学的」な方法論に則り、前提(名辞)の釈義から、構造的に不可避な結論として矛盾を導くことで、背理的に[可能性]を排除した(がゆえに[必然性]が導かれた)こと、と理解できる。
ここで、特徴的なのは、構造的に不可避な結論として矛盾を導くことで、ここに自己言及を採用しているのである。それが神Aと神Bの比較で在り、これが自己言及となって「最大」を導かない、要は、∃∀の論証となっている、と高橋は説明している。

ここで面白いのは、これはギリシャ人(パルメニデスーエウクレイドス)の、伝統的に背理法を用いた、無限の論証とも近づくからである(したがって、流出論へと近づく。また、これは「永遠」の議論も敷衍して、デカルトを助ける)。

高橋の説明をさらに進めると(そこまでは説明していないが)、神は(特に哲学の)対象化できない、ということであれば、ガザ―リーの神学に近づく。
要は、この時代、「東西」で、ギリシャ哲学と神学の調和が図られていたらしい様子がうかがえるのである。
なぜなのか。
とりわけ、アンセルムスにおいて、「なぜなのか」。

彼らに共通する認識で重要なものは神による「無からの(万物の)創造」の教義であった。

アリウス派-Wikipedia

アンセルムスの行ったことは、イエスが神であったことの擁護であり、すなわち三位一体説の擁護であったと思う。

  1. 存在と非存在
  2. 1と多

ということが、無から有を生じる(ガザ―リーが言う「行為する」)議論

  1. エスキリスト(ロゴス)は神であるか(媒介であるか)
  2. 世界に始まりはあるか

を説明してそのときに、

問—第一結果が存在し、それが自己思惟するとき、必然的にそれは第一原理を思惟する

P.125,第三問題,哲学者の自己矛盾

が鋭く問われる。

デカルトが行った神の存在証明とは何だったか。
アンセルムスの「論証」の発見であり、アンセルムスの「擁護」がデカルトによって「論証」となった。ただし、それは、自己言及構造を持たずに、モーダス・ポネンスとなっている。つまり、今でいう、妥当な論証形式だ(だからこそ、カントに批判された。つまり、今でいう、健全なレベルではないが、そもそも健全かどうかを議論すべき内容ではない—したがって、カントは神学を否定しておらず、だからこの後に、ヴィトゲンシュタインも生まれる。ただし、ヴィトゲンシュタインの論点は、再び、ギリシャ的で、  的なライプニッツの系統であるがゆえにイギリス人と対立し、また一方で、科学哲学と対立する)。

このデカルトが採用したのが(ガザ―リーが採用した)「媒介」なのである。
これはカトリックの許容できることではない。
三位一体の否定だからであり、しかし、そもそもムスリムがイエスをキリストと認める必要はない。

欺く神 (Dieu trompeur)、悪しき霊(genius malignus)を否定し、誠実な神を見出すために、デカルトは神の存在証明を行う。

省察-Wikipedia

デカルトの「欺く神」「悪しき霊」は神の存在証明に関して用いられると記事にあるが、これは有名な「コギト」と裏腹で在り、なぜなら、これがガザ―リーの第三問題で言及された「自己思惟」と密接な関係があるからであると思う。

Evil demon - Wikioedia

”evil””deceiving””Meditation”とラテン語から英訳されたこれらの語彙が意味するものは、「悪い」「」「夢」と和訳されただろうか?

ガザ―リーは第三問題をこうまとめてのち、神学から哲学に対して一喝する。

一者から二つのものが流出するとの帰結は、理性原理に反することであり、また〔第一〕原理に永遠の諸属性を結びつけることは、唯一性の原理に矛盾することであり、また〔第一〕原理に永遠の諸属性を結びつけることは、唯一性の原理に矛盾することだと主張するものがあれば、これら二つの主張は誤っている。彼らにはそれを証明するものはなにもない。

P.132,第三問題,哲学者の自己矛盾

これが、デカルトギリシャ哲学(アリストテレスストア派)に依拠しながら、多神論を持たなかった理由で在り、また、ブレーズ・パスカルから「異教的」と罵られた理由でもあるだろうと思う。イスラム神学的なのではないかと思う。彼の「自由意志(論)」は近代的な自由意志ではなく、おそらく神学的である。
彼はイエスをキリストと見做していたのだろうか?
むしろ、その方がきにかかる。
ちなみに、ニュートンは、グノーシス主義者だったという。彼もまた、異教徒だったのだが、ルーカス教授職に就けた(が聖職者としての義務は十分行っていなかったらしい)。


『オセロ』の夏目漱石解釈における「夏目漱石が感じた難しさ」には、こういった背景があったと思う次第である。

イスラム神学からの説明の完全な欠落である。
地中海世界があり、そこでイスラム世界とアジア、ヨーロッパが密接に関係をもっており、さらにヴァイキングが、外洋から内陸から、ドイツ人の勃興を見据えながら南北を繋いで栄えていたのである。


アンセルムスの「擁護」って面白くって、後にオッカムが、イブン・ルシュドの影響を受けて  

イブン・ルシュドとガザーリーの関係の詳細がわからないけれど(ガザーリーが「哲学者」として批判したイブン・スイーナーの論説は、あくまでネオプラトニックなアリストテレスに過ぎず、アリストテレスそのものではなく、「ネオプラトニック」に対する批判には同意するが、アリストテレスは擁護されるべきである、という批判だったと思う。)、

ガザリーはまた「表象」から「評価」を得られるが、それを保持して、「評価」からも「評価」を得られるとした。観念から観念を得られると論じている。

アンセルムスの「擁護」もこの(オッカムに先駆けて)観念に働きかける

  1.   神はそれより〈大なる〉ものが可能でない対象である
  2. 仮定1  神は理解(思考)において存在する
  3. 仮定2  神は、事実(形象)において存在する可能性がある[可能性]
  4. 仮定3  もし任意の対象が、理解(思考)においてのみ存在し、事実において存在する可能性があるならば、その対象は、それ自身よりも大なる可能性がある
  5. 背理4  神は理解においてのみ存在すると仮定する
  6. 背理5  神は、神自身よりも大なる可能性がある
  7. 背理6  神は、神自身よりも大なるものが可能な対象となる
  8. 背理7  それよりも大なるものが可能でない対象が、それよりも大なるものが可能な対象となる
  9. 背理8  神は、理解においてのみ存在することはない。
  10.   神は事実において存在しなければならない[必然性]

(付番、色付き強調、下線強調、()による説明は引用者。PP.204-205,P.206,3神の存在論的証明,第Ⅳ章ゲーデルの神の存在論ゲーデルの哲学)

小学校6年生の頃、対象の勉強を図工でしたときに、「自己に戻ってくるいくつかの操作」から対象を定義づけることで、「4色定理」について考えた

  1.   〈隣接〉する2面をどのように変形させても同色でない
  2. 仮定1  接線は〈隣接〉する2面のどの近傍を採ってもそれに含まれない点の集合である
  3. 仮定2  交点を挟んでどの面も〈隣接〉しない可能性がある[可能性]
  4. 仮定3  もし任意の2面が、接線を挟んでのみ〈隣接〉し、交点を挟んで〈隣接〉しない可能性があるならば、その2面は、それ自身よりも大なる可能性がある
  5. 背理4  交点を挟んでもどの面も〈隣接〉しない 
  6. 背理5  交点を変形させると、接線によって〈隣接〉する内部を持つ
  7. 背理6  交点の内部は交点を持つ
  8. 背理7  同色とならない〈隣接〉する2面が同色となる可能性がある
  9. 背理8  交点は接線から(のみ)得られ、〈隣接〉する2面から得られない 
  10.   交点を挟んでどの面も〈隣接〉してはならない[必然性]

ここから、任意の〈隣接〉する4面{a,b,c,d}と隣接する{e}は、少なくとも接線1本(を加えて分割される交点2つと接線3本)によって、高々(いずれか)3面としか隣接できず、どの隣接する5面についても同様なので、すべての面が4色で塗れる。

すなわち、以下の内容を含んでいる。

  • 交点を挟んで或る2面が〈隣接〉しないことが、別の1面を挟んでいるのと同じであるならば、その1面の色は無限の色を持ってしまって、〈隣接〉する2面の色を選べない
  • 反対に交点を挟んで〈隣接〉するならば、(無限に分割出来て、この空間が、無限の面を含むとき)すべての面を高々有限色で塗れなくなる。
  • したがって、交点を挟んで〈隣接〉しないにも関わらず、それが「別の1面を挟んでいるのと同じではない」ことを言っている。
  • こうして、交点を除いた接線のみによって、〈隣接〉する2面を同定できて、、、、、色を塗ることができる
  • このとき、この空間から、任意に〈隣接〉する5面を選んで色を塗ることができる

Cf.位相空間-wikipedia

    1. 空集合と全体集合は開集合である。
    2. 2つの開集合の共通部分は開集合である。(よって有限個の開集合の共通部分は開集合となるが、無限個の共通部分は開集合とは限らない)
    3. 任意の個数(有限でも無限でもよい)の開集合の和集合は開集合である。

Cf.層 (数学)-wikipedia

 

なぜ、こんな数学的には取るに足らない子どもの話をするかというと、「定義」から導かれることを言いたいのであった。
名辞論理から命題論理、すなわち、カテゴリーの比較から文の、記号操作を使った、真偽の評価へ。命題論理から述語論理、二項定理から関数表現へ表現の幅を拡大するときに、叙述ということが必ずかかわってきたことを見てゆきたいである。

名辞が、「理解」を通した抽象的な概念操作を経ることで、その含意を明らかにしてゆくことが、「懐疑」として方法論化されてきた一方で、その「懐疑」を通して「信」に至ることが、ここに示されたのである。

アンセルムスが行ったのは「論証」ではなく「擁護」である。
それは同時代のガザ―リーも主張したところである。


対角線論法と比較するなら、塗られる面が自然数(2と3)、境界(接線)が実数、実数(√2と√3)から別の実数(√2+√3;ここでは接戦と接線から交点)を作れることを言っている(√2+√3は自然数の集合に対応を見出せないのと同様に、交点は塗られる面に対応を見出せない)。