シンどろろ ⑪

こうなると、今度は、三島がなぜ、ヨーロッパの哲学から仏教に「転向」したのかが気にかかる。

美輪明宏だとまだヨーロッパ寄りの雰囲気だろうか、石原慎太郎こそアメリカを意識していただろうか。

芸歴64年、1951年(昭和26年)に進駐軍のキャンプ廻りでジャズを歌いギャラを頂いたことがプロとしての始まり

美輪明宏 - Wikipedia

淡谷のり子は「ブルースの女王」と言われたが、もともとは東京音楽大学声楽科首席卒業のクラシック出身だったりする。

淡谷のり子 - Wikipedia

美輪明宏国立音楽大学付属高校を父親との不和で中退した。
淡谷も美輪もどちらも生活に困窮して苦労したらしい。

渋谷がブルースを歌い、美輪がジャズを歌ったように、三島も仏教へ向かったのだろうか?
実生活のためとは考えにくい。
手塚治虫が、社会思潮としての「生命」乃至「生活」に関わったように、三島もそうではなかったかと思う。ただ、手塚に所謂「思想」はなかったように思う。エンターテイメントである(その意味で芸術表現としてのアナーキズムも受け入れられる)。三島には、旧いエリートとしての出自と抜きがたいコンプレックスがあった。
ともに「大正生命主義」(「大正新仏教」)の子と言えるかもしれないが、大きな違いがある。三島は自己自身を1個の芸術表現とみなしたようにも思える。手塚にそんなところはなかっただろう。

そう考えると、石原の芸術の表現であったと思しき「玩具」の性格について、不思議な気持ちになる。石原ー三島ー美輪に見られる実際の人間関係の不思議さと、それとは独立に、太宰ー石原ー梶原に見られる文芸の影響の不思議さとがある。

一方、清顕と同じく学習院に通う裁判官の子息の本多繁邦は、近代法学(啓蒙思想)やヘーゲルニーチェを学び、清顕との「歴史」を巡る会話の中で、「西洋か東洋か」、「自力か他力か」、あるいは「一神教多神教か」に繋がる内容を語っている。

遺作『豊饒の海』から読み解く三島由紀夫と仏教思想(全編) | 國體派カタカムナ玄学史観研究会

肝心のアンリ・ベルグソンが出てこない。

ベルクソンは〈運〉というものをポジティブ価値でもって考え,〈真〉,〈善〉,〈美〉との連関性でもっても説明しようとしている。ベルクソンは,〈運〉というものを自らの意志の行った決断と期待される結果との間隙を埋め得る可能性を有するものと考えようとした。

ベルクソンにおける〈運〉と〈偶然〉 ──『 道徳と宗教の二源泉』の記述を中心に ──,土屋 靖明

九鬼周造と武士道,大東 俊一

九鬼の「偶然」「意志」「永劫回帰」「武士道」から三島は影響を受けたのだろうか?

三島の陽明学唯識がどこから来たのかよくわからない。

「大正新仏教」と暁烏敏についてよくわかるものがこれ以外にない。だいたいにして「大正新仏教」という言葉がこの本以外で見当たらない。

鈴木貞美「生命観の探究」&「大正生命主義と現代」(図書館からの借りだし) - - 松永史談会 -

『大正生命主義と現代』内容(一部)

透谷の「生命」、藤村の「生命」 紅野謙介 96-103
一九一一年・〈太陽〉・らいてう誕生 岩見照代 130-141
大正生命主義と仏教 正木晃 著 142-150
夏目漱石の生命観 石崎等 著 151-157
室生犀星の「生命」 竹内清己 著 188-195

(編者 鈴木貞美 - Wikipedia

honto.jp

私が密教にことよせて三島を考えようというきっかけは三島と唯識の問題であるが、三島の思想に触れようとするともう一つの問題に突き当たる。それはあらゆる視点から論じられてきた三島論に、仏教的視座から論じたものは見当たらないということである。もしも仏教的三島由紀夫論など的外れだというなら、「唯識まで」だった三島の説明がつかないのではないかと私は考える。

スカラベの愛 三島由紀夫と密教(2)|高橋憲吾のページ -エンサイクロメディア空海-

三島の天皇論はそもそも明治の建国におけるドイツの歴史法学を無視している時点で特に注目に値しない。それは『源氏物語』を世界最初の「小説」という体である。それはあくまで三島の「作品」乃至「芸術」の話である。


美輪明宏三島由紀夫について「能力には自信がある」と言ったが、ベルグソン九鬼周造といった彼のアイデアの素を隠さなかったか?検索してもたまたまヒットしないだけなのか。それとも本当に関係がないのか。