そもそも、『源氏物語』は「小説」なのかって僕なんかは感じられて、文教伝来の経緯と当時の政治状況、或いは、万葉集の経験を踏まえて、『枕草子』は保守的な政治哲学、『源氏物語』は革新的な政治哲学の文書だと思っているからね。

そもそも『枕草子』って、「春は曙」ばっかりが有名だけれど、度量衡の記述も”無造作”にあるからね。要は、社会を概観してなるべく記述しているのだけれど、そこに、政治傾向が表れているのであって。万葉集もそうだけれど、「自然」ってそれこそ自然でもなんでなくって、中国ももちろんそうだったのだけれど、仏教に対しては既存の政治思想に過ぎないよ。それを輸入したんだからね。

 

そもそも捉え方がおかしいよ。

山崎ナオコーラは現代の政治乃至法哲学から言うと、そう捉えられるのだけれど、って話で。それが「ただの文学」じゃないからだよね。

そもそもおかしい。

いずれにしても外来思想である。

末法思想が広まり、浄土教が特に貴族層の間に浸透したとされる時代において、『枕草子』の中に極楽浄土への往生志向は見られない。清少納言の価値観は現世利益志向である。

日本民俗学と古典文学 『枕草子』の中の仏教 | IRDB

これらを見ると、経典や仏に関する知識がそれなりにあることが推測されるとともに、当時流行の浄土思想へ安易に流れていないあたり、確固たる思想や信仰を持っていたところも見て取れる。

清少納言曰く「坊主は○○なほうが良い」? – クイズ専門情報サイト QUIZ BANG(クイズバン)

『夷夏論』とは、「夷」(異民族)の法である仏教と、「夏」(中華民族)の法である道教との、優劣関係を論じたものである。そこでは、消極的に破悪を実践する仏教よりも、積極的に興善を行なう術である道教の方が、優れているとする立場に立っており、夷狄の法である仏教に従う要のないことを論じている。

顧歓 - Wikipedia

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清少納言の60進法は、聖徳太子の時代の数学の延長にあるか。

2×(奇数)に「閏」機能を持たせているが、『はみ出した』のではなく「爾後はみ出す」ので事前調整として抜いて積算する(👆右図)。

三上義夫 - Wikipedia
David Eugene Smith - Wikipedia
David Eugene Smith (1860 - 1944) - Biography - MacTutor History of Mathematics
遠藤利貞 - Wikipedia

本邦で暦を採用したのは推古天皇で、初めて中国歴を用いたのは持統天皇らしい(元嘉暦。持統天皇6年/西暦695年)。保井(渋川)春海は、神武即位年、仁徳11年、舒明7年に暦元があったと言ったらしい。

『皇和通歴ニ依レバ、晩古ノ暦法は、皇極天皇二十年ヲ元トシ。之ヲ行フ四十九年、持統天皇六年ニ至リテ、暦天ニ先立ツ八刻ト、当時此暦法無キヲ惜シム者ナリ。蓋シ中根元圭ガ我ガ古代ノ暦法ヲ三段ニ分チ、上古ノ暦元ヲ神武天皇東征ノ年トシ。中古ノ歴元ヲ仁徳天皇十一年トシ。晩古ノ歴元ヲ皇極天皇二十年トセシハ、其故ヲ知ラザレドモ、必ズ因ル所アリシナラン。保井春海ハ』(『日本數學史』)

斉明天皇 - Wikipedia