youtubeを見ていたら、算数オリンピックの「超簡単」な問題として紹介されていた。
そうですか。例によって答えは見ていないが。

Q 21n+4/14n+3が既約であることを証明せよ

既約ではないとして、素因数kを法に21n+4≡14n+3の連立合同法定式を解いてゆくと(左右の式をkで割った余りを求めると、合同式が成立するとき同じ数があまるが、規約の時はその余りが0であるはずのところ―n≡0となるnを求めたいところ)、21n+4≡14n+3≡7n+1≡7n+2(≡0、したがって、-1≡0もしくは0≡1)となり不可

この途中の式が、ユークリッドの互除法と同じ意味である。

すなわち、「既約である」=「互いに素」=「最大公約数が1」であるから、ユークリッドの互除法で求めると、

21n+4=(14n+3)×1+(7n+1
14n+3=(  7n+1)×2+1

よって、最大公約数は1

「簡単」と言うのは、ユークリッドの互除法を知っていたら即座に解けるとのことだろうと思う。

解が存在する必要十分条件はmとnの最大公約数を dとしたとき、a≡b (mod d)となることです。特にd=1の時(言い換えると、mとnが互いに素)

コラム 合同式と剰余定理 | 江戸の数学

ほかにもいくつか解き方を考えてみたが、まぁいいか。

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つまり、(『万葉集』は勅撰、すなわち、今なら「一般教書」くらいだっただろうが)『枕草子』と『源氏物語』は真名/仮名を巡る学問性=哲学(=諸学)を秘めていただろうと思ったのである。つまり、政治であり、法哲学であり、数学である。

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聖徳太子小野妹子に持たせたという国書はそれ一通で考えられるものではなかったということは、とっくに学校で教えられるべきことだろうと思う(学説として確立していないのだろうか)。

すなわち、この一連の文書群の変遷が、新しい文明国家の在り方を規定した所作(様式美)を含んだ、高度に政治的な交換だからだ。

それを説明しないのは、あまりにあんまりであって、あってはならないと思う。
そしてその経緯こそが、『枕草子』と『源氏物語』の底流にある対立図式乃至包含関係を示していると思う(『源氏物語』は最終的に『枕草子』の世界観を飲み込んだと思う―  の当たりで)。この場合、『枕草子』は、最初の国書が隋の皇帝にたしなめられて激怒する日本の側である。

「日出処天子」で隋の煬帝が激怒した、、、からどうしたというのだろう?
日本だって激怒していたのだ。

日本の歴史の教科書は本当にどうかしている。なぜ、歴史を教えず、政治を教えるのだ。きわめて馬鹿げている。

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それで、『枕草子』が1001年には完成していただろうと言う、現在から見ると、まことにキリのよい成立の仕方をしているのであるが、要は、10世紀と11世紀の変わり目のことである。

この頃の日本の数学はどうなっていたのか。

和算 - Wikipedia

算道 - Wikipedia

なんと、ほとんどわからないらしい。

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条理法が採用されて60進法を使っていたと思うが、実際、どうなのだろう?

『三開重差』は「級数展開などの高等数学に関する書」ということで、級数展開ではないが、60進法の表を利用して、√2の近似値を

1+12/60+0+0+45/625+56/1036+0+0+89/2269+100/3032+0+0+133/4933
=
1+ 0.42522119346246....

と求めてみたのである。つまり、√2≒1.42であるが、これは、60進数表の対角線上の分数(#12~#133)を足し合わせた数である。「0」を足しているのは、対角線上にグレーで塗りつぶした数が当たったときである。

どうもよいアイデアではない。出鱈目である。
他の平方根が取れない。



www.youtube.com

5:30頃 渤海貿易の取り扱い品目
6:20頃 渤海使の経路

  1. 朝鮮半島経由
  2. 対馬海流

対馬海流は、日本海側の地方に冬の積雪や豪雪に由来する豊富な水資源と、夏の高温・多照をもたらし、結果的に稲作(米づくり)に適した穀倉地帯と風土をそれぞれ作り出しているといえよう。

対馬海流 - Wikipedia

越前の馬場を見に行って、「まほろば」の展示で、貿易に関しては、九州経由で港から九頭竜川を上って寺内町が栄えたって話だったかな?うろ覚えだけれど。

でも、渤海使(727年~922年の195年間で35回;新羅との交易は断絶し、遣唐使は  年に廃止されており、廃止される前でも50年度に1度のペースだったとのこと。cf.遣隋使)には、朝鮮半島経由でない航路もあった。

展示には銭(悪銭・古銭)を貯めた甕が常設されていて、初穂米で金融をしていたことも説明されている。

www.city.katsuyama.fukui.jp

豊臣秀吉朝鮮出兵は2つの派生的な出来事を残したのが重要だろうと思う。

  1. 家康の大砲
  2. 朝鮮の鉄砲

少なくとも、中国より東北の地方、東南アジアまでスコープを広げないと、日本史としてもいかがなものか、ということはある。

「仏教伝来」以前に「夷夏論」からの習合思想、「鉄砲伝来」以前に「大砲普及」(だからと言って、秀吉と明の軍隊のどちらが「強かった」と短絡できないこと。兵器体系は戦術体系に依存し、戦術体系は戦略体系に依存し、戦略体系は自然に依存する。「自然の克服」ができるようになる近代以前の話)を教えないと、バランスが悪いだろう(あまりに、近代史観—呉座さんが批判するマルクス史観はこの一環でないかと素人ながらに思う。それに加え、中央史観に注意しなければならない。渤海使の貿易品目に、当時のことなので金はともかく、朝鮮人参があって、興味深い。加賀の歴史を考える時には、東京中心、京都中心、大阪中心の歴史を相対化することも時には必要かと思う。一方で、越前福井、越中富山の歴史もおざなりにできない。前田利家が入る前は、むしろ加賀は、この2地域及び能登に比べ、港湾の発展から考えると後進地域だったとの視点も要るだろうと思う―だから、内陸の陸路、水路、湿地開拓と金融に強い浄土真宗を指導した蓮如の働きが際立つ)。

 

匈奴から夷夏論(顧歓)を経て遣隋使に至る経路、タイアユタヤ朝から朝鮮出兵を経て大阪夏の陣に至る経路(、近代以降なら、初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリー から山縣系の支配—山縣・児玉から梅津までの「陸軍中枢」人事—と軍内—陸軍・内務省—統合を経て統帥権干犯に至る経路;こうやって見ると、石原莞爾がいかに「傍流」「地方軍閥」だったかわかる※)

※そう考えると、原敬から「ファシズム」に至る経路が無理なくなされたこともわかる。「大正デモクラシー」は「昭和デモクラシー」が「昭和のファシズム」へ向かうことを否定してはいない。原敬は「我田引鉄」が有名だが、大政翼賛会は、中央に社債信託法を起草した平沼騏一郎を据えていることからうかがえるように(陸軍には、革命を「趣味」とする橋本欣五郎のような危険人物も居たが。)、地方産業の振興ともかかわりがあったのだ(ちなみに、平沼は穂積家の兄、陳重の指導を受けたようで、英学派のようである。当初「近世近代派」(一木喜徳郎、渋沢栄一)と少なくとも思想的には対立する位置にあった井上毅穂積八束らの「(ドイツ)歴史法学派」で言うならば、美濃部のような「英学流独逸学派(自由主義イエリネック)」を彷彿とさせるが、むしろ、イギリスの中での保守派で、そういった意味で、山縣と比較できるが、山縣は―戦略論ではドイツの影響が濃いように見えるが—実はもっと融通無碍だったかもしれない。また純粋に「軍人」の枠になかなかとどまらない)。
当時の政治状況としては、現代の「持続可能な社会」と比較できるような雰囲気としては「ライト」な(明るい?、軽い?、「正しい」)話ではないかと少し思っている。

 

世界史的には、「ヨーロッパ世界」の前に「地中海世界」があって、それ以前に(ゲルマン民族の大移動にも影響を与えた)騎馬民族の大移動があったという。

 

そんな壮大な歴史を追いかけても雲を掴むような話なので、『応仁の乱』の第二巻(経覚から蓮如へ)を期待するのである。
そのとき、結局、数学史が絡んでくる。そもそも「真名」が文学的解釈しかなされないことに違和感がある。哲学的解釈であるはずで、ならば、そこに諸学が含まれているはずである(し、そうでなければ、エリートとしておかしいが、ただ諸学の場合、簿記の歴史もそうであるが、浮き沈みがある。聖徳太子の時代は、算学は、エリート学問だったが、清少納言から紫式部の時代には、格落ちすると同時に門閥化してゆくことがあったようだ。清少納言において古い卜占—古代的な、巡回群の理解に関する象徴の割り当て—がどれだけ出てくるか知らないのもあるし、紫式部に陰陽説は出てきても、数秘術は出てくるだろうか?知らない)。


美濃部達吉は、一木の弟子だけに、(留学はしたけれど)或る意味で我流のイエリネック理解だったわけで、上杉と学説上対立したけれど(公私の付き合いは継続した。)、「憲法の番人」を脅したり国会を手玉に取ったりした「革命家」で、要は、夏目漱石すらそうだったけれど維新から自由民権運動でいうときの「自由主義者」だったかもしれない(夏目漱石は「個人主義」を標榜していたようだが)。

www3.nhk.or.jp

岸田さんが踏み込んだ発言をするせいか、「過料を請求せざるを得なかった」のであって、どれだけあやしくても「解散請求はできなかった」というところ。

なぜ、「過料を請求せざるを得なかった」かというと、

    1. 審理の新たな材料に乏しい

      公判前整理手続 - Wikipedia

      裁判官、検察官、弁護人が初公判前に協議し、証拠や争点を絞り込んで審理計画を立てる。

      要は、今までも審理はしてきているのであって、今回審理するのにあたって、計画を立てられない。

    2. (上記は文科省内の審理だが、一方で)裁判所の審理への新たな材料に乏しく、憲法に抵触する司法の「法創造」(立法)を期待するしかないため

じゃないかと思うが、いかがか?

アメリカだと司法エリートによる立法が可能なんだけれど、「精密司法」と言われる日本では憲法で禁止されている。
昨今の、英米法への接近(特に、消費者保護法制を通じて。)があるわけだが、これは、かなり踏み込んだ政治運動で、司法が「民意≒政権に慮って」、「違憲状態」に言及するかどうかが見どころである(そういう各レベルで矛盾した状況を映し出すか)。

これについては、ジャニーズ問題もどうも翻弄されていて、

  1. 死者に対する訴訟
  2. 法人に対する訴訟

の原則を踏まえたうえで、法人の「組織的犯罪」を取りあげるときに、

  1. 被害者自身の、かつての加害責任(勧誘が幇助に当たるか)※
  2. アメリカでの訴訟準備に関して、エリック・ワインバーグ事件では、有罪判決が鍵となっている

※これも一種の「二世問題」となっていることが興味深くて、親子関係ではないが、先輩と後輩の「代替わり」である。そういった意味で、統一教会で問題視されることと親近性がある。統一教会の場合は、(「家族」という団体—権利能力なき社団—で)個人財産と区別される―扶養義務、扶助義務或いは相続から独立した―家族財産があるか(夫婦財産はある。「夫婦契約」という考え方もある。)、ということが根底にあり、やはり立法を待つしかないと思う。これはリベラル的な理解と保守的な理解で混乱しやすい法事実でないかと思う。
ことが巷の関心を引いていて、 国会を巻き込んだうえで 、、、、、、、、、、、 、その進捗を待たずに、なぜ、こういった強引な手に打って出るのか。おそらくこちらも、司法による「法創造」に期待するのではないかと思う。

そうすると、「憲法で禁止されている「法創造」を期待できるのか」という問題になる。
それは革命なんだね(法的レジテマシーの変更)。
歴史を見ると、「革命がなかったか」を見ると、それは嘘で、それが美濃部達吉だろうと思う。上杉慎吉も留学前は美濃部と同じか相当近い立場だったが、留学後には、近世近代的な「維新家(革命家)」からヨーロッパ大陸的な「革命思想家」に変わった。

ところが、彼らはやっぱりエリートであって、今行おうとしている革命は大衆革命なんだけれど、憲法がエリート司法を禁止するが故の大衆民主主義を標榜しているとすれば、根本的な「棄憲」ではないかと思う。

共産主義者が「護憲」というのは、かなり欺瞞的な表現で、所詮は、「黒いネコだろうと白いネコだろうと鼠を捕るネコ」ということであって、(社会規範の拠り所では決してなく)道具論に過ぎない(だから、共産主義者の言う「護憲」には、よくよく注意しなければならない。なぜなら、近代的意味における憲法とは、人権宣言のことだからである、保守的な立場で家族を人権と両立する価値と認めるとき、革新的な立場では労働者と人権と両立する価値と とりあえず 、、、、、 認めることである。「労働者」=「人権」だろうか、実は違う。いずれも前期近代思想に棹差す幾何的な世界観に近づく話であり、「労働者」≠「人権」に関しては、ホーリズムである)。

 

まぁ、大筋で失敗するのではないかと予想するが、どうだろう?
共産主義者には近づかないことです。騙して混乱させるくらいがせいぜいだ。
素人は騙せても、プロは騙せない。