聖徳太子の三段論法】
第一段 ¬(天→日|→)        ;義の理(ことわり:白す)の否定の否定
第二段 (東ー西|ー)∧(¬子)    ;天子の否定→子の否定(子と男の否定)
第二段' 和(倭)皇ー皇帝         ;第二段を肯定的評価
第三段 天皇(女王)ー皇帝(男王)   ;子(男)を否定し、「天皇」を白す

高句麗の背後に位置する倭国を重視して

遣隋使 - Wikipedia

などは(近代国家じゃあるまいに;内陸部同士の争いなら「在りうる」が海を隔てた場合、当時の技術力では、まったく考える価値はないと思う。ましてや三国の中でも「高句麗の背後」などは)ほとんど意味不明である。むしろ、

エマニュエル・トッド - Wikipedia

における、直系家族の社会関係観と外婚制家族の社会社会観のすり合わせが行われ、

「掠取されたことにした」という事も推測される

という「外交技術」は朝鮮出兵における戦後処理にも見られ、納得しやすい説明である。こういった、それぞれの統治問題をずらして解決する仕方である。
それが文言にも表れていると考えると自然で、実質の弊害がない以上(互いに、攻められることを心配する必要が、そもそもない。日本が隋をおそれる必要がある、と言うとすれば、基地外沙汰である。どうやって攻めてくるのか?、元寇以上に馬鹿げている。唯一の問題は、統治であって、統治には「文物」と「交易」が必要なのである)、意味論上「平行」であればよい。平行とは、2点を通る直線が1点に交わらないことで在り、意味の中心を1つに持つのではなく、2つもつことであるから、それでよいのである。すなわち、「天子」は隋に譲って、隋の意味論では、それは皇帝であるが、日本の意味論で「天皇」こそ「皇帝」と理解して差し支えない。ここで忘れられているのは、「天皇」は天皇だけではなく、「天皇」「人皇」「地皇」といた中での、権威を保っている。「皇帝」が(天子と無関係に考えるならば)「王の中の帝」であるならば、「人皇の中の帝」でもよい。そう理解する必要まではないが、肝心なことは、意味を1つに統一する必要がないことである。またそれ以上に大切なことは、そもそも隋を求めても恐れる必要がないことである。

中国が無双だったというのは、かなり割り引いて考えなければならない
そもそも攻められなければ負けないのだ。そして、日本列島は、その「攻められる心配」がそもそもないのだ。

 

エマニュエル・ドットのこの項は以前も見たことがあって、あまりに魅力的であるにもかかわらず、専門家からの指摘をまだ見ていないので飛びつくまでもないと常識的に留保していたのであるが、飛びついちゃいました。


日本の古代史は極めてクレージーな理解に従っている。

こういった数度の文書の交換を通じて、文明国であることを伝えられればそれで十分なのである。少なくとも概念操作ができているだろうと思う。

近代主権国家どうしならば、平等を旨としなければ、国際法システムとは言えない。
ここでは平行で十分だっただけである。

おそらく勘違いしていることのひとつに、「侮られない(上から、下に見られない)」=「平等である」とは限らない、ことである。
中国や日本の古代の画法のように、数種類の斜線を巧みに組み合わせることも可能なのであった(斜線を否定した線が、水平線乃至垂直線とは限らない。別の斜線もありうるということである。45°の傾斜もあれば、30°、15°といったものもあるのであった。それが北野天神縁起絵巻のような、極めて繊細でかつダイナミックな構図を可能としたのである—水平線と垂直線以外が、すべて1つの「斜線」ではない)。

 

こういった言語構造の包含する、抽象性/一般性/具象性というのは、日本語では不備になりがちで、なんか知らないが「転売問題」にしても、ごっちゃにしているから意味不明なことを言いだすようである。これは基本的に契約問題である。

日本文化は、ジャニーズ事務所性加害事件もそうであるが、契約問題が苦手ということもあるかもしれない。とにかく、契約に帰着させる基本姿勢が欠如している。

 

ここでは存在を扱っていて、現代からすると当たり前すぎてよくわからなるのだが、アリストテレス、したがって、(カントの本当の仕事である「デカルト批判」の批判先である)デカルトにおいては、実在と存在の区別がそれほどなかったのではないか、ということである。「我 思う 故に 我 あり」はそもそも同一実在を説いているのだ。
デカルトの最大の仕事でありその微積分学の嚆矢となった偉業「曲線論」にしてもそうである。だから、デカルト”が”近代を作ったのではなく、デカルト批判から近代的学問が整理されたのである(「産んだ」というと、ジョン・ウォリスはどうなのか?となる)