ホッブスとルソーの二人史

Those Whom We Call Ancient were Really New in All Things

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どういうことか?

Modem history furnishes us an example of the same thing which then took place in Eome : and this is very noteworthy ; for, since men have had the same passions in all ages, the occasions which produce great changes are different, but the causes are always the same. As Henry YII of England increased the power of the commons for the purpose of humbling the aristocracy, Servius TuUius before him had extended the privileges of the people in order to humble the senate." But the people — become at once more bold — overthrew the one and the other monarchy.

Montesquieu's Considerations on the causes of the grandeur and decadence of the Romans; a new translation, together with an introduction, critical and illustrative notes, and an analytical index; : Montesquieu, Charles de Secondat, baron de, 1689-1755 : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive

Here's the translation of the provided text into Japanese:

「近代の歴史は、かつてローマで起こったことと同じことを提供しています。これは非常に注目すべきことです。なぜなら、人々はすべての時代で同じ情熱を持っているため、大きな変化を引き起こす機会は異なりますが、原因は常に同じです。イングランドのヘンリー7世は、貴族を屈辱するために下級市民の力を増強しましたが、彼の前にセルウィウス・トゥッリウスは元老院を屈辱するために人々の特権を拡大しました。しかし、人々は一気に勇敢になり、その一つと他方の君主国を打倒しました。」

第10講マキャヴェリホッブス—政治権力の理論家—

マキャベリホッブスの対照的な人間観

ホッブスはイギリス大革命の中で著作した。すなわち彼は、歴史的には、イギリスの立憲主義的伝統に対するピュリタンの挑戦と、これと時を同じくして伝統を変えようとする国王側の努力というコンテキストの中で著作活動を行った。したがって、ホッブス〔の時代〕のイギリスの社会的 背景 コンテキスト は、革命的民主主義勢力に挑戦された伝統的君主制のそれであった。

PP.171-172

実はホッブスの議論、実のところ、ガーザリーの説明は、そのまま

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シモーヌ・ヴェイユに繋がる。実際に、『政治学入門』の第11講(P.183,政治的平等とコモン・マン)は、若干の前置きの後、シモーヌから始められる。これはホッブスによる自然法の解説を終えた後のことである。

ホッブスによると、重力の法則が自然の法則であるのと同じ意味で、すべての人間は安全を追求し、暴力による死を避けるという自然法が存在するという。人間が計算し、予測するのは他ならぬこの自然法についてである。』(P.175,〃)

松岡にはこのままでは残念ながら永久に理解できないだろう。

面白いのは、孤独について述べていることである。
「さて、マキャベリホッブスが国家の起源を強調した理由は何であろうか。私は、これは一つには彼らが二人とも徹底した個人主義者であることによると思う。この点で、彼らは、ある程度まで彼ら自身の時代の産物である。」(P.178,〃)

それでは「いかにしてそのように孤立し、自立した人間が一緒になるのであろうか」(〃)それは近代国家を存在させるにいたった革命的発展に関して「どうしてこのような事態が起こりうるのか」(P.179)という問いと同じであり、「義務の抽象的基礎を強調する」努力であったと書かれている。

要は、よくわからないのであった。
ともかく、「孤独」を政治的基礎として考えるようになった。

Carl Joachim Friedrich - Wikipedia

カール・ヨアヒム・フリードリッヒ - Wikipedia

カール・ヨシアム・フリードリッヒはナチスの迫害を逃れアメリカに帰化したユダヤ人で、弟子にズビグネフ・カジミエシュ・ブレジンスキーが居る。
なるほど、ホッブスの項の最期のテーマは、全体主義である。
フリードリッヒは否定する。「イデオロギーとその担い手である党という二つの中心的特徴は、二〇世紀になって現れたユニークで動態的な フォース である。なぜなら、このイデオロギー全体主義運動に特殊なものだからである」(p.180)と書いている。
このとき、(日本語だとわかりにくいが)この「 フォース 」と「 パワー 」を言い分けているらしい。ホッブス自然権が「 パワー 」である。
「彼は 人間の活力の根源 ライツ パワー につぐ パワー への永続的な絶え間なき欲望として述べているホッブスは人間の条件を絶え間ない パワーの追求と考えた」(P.173)
ホッブスはこの見解により「時代の哲学者」とみなされたのだが、それが孤独と関係していた。その孤独は克服されるべき義務を要請した孤独だった。

実は、本当に、これがホッブスの「発明」だっただろうか?、これを考えるヒントは、『リヴァイアサン』本文とブラックストンにある。前者はネイティブ・アメリカンの家庭の観察と後者は「カヴァーチュア(coverture)」と謂う女性に関する法的原則である。ここに実は「社会契約」はあった。

William Blackstone - Wikipedia

ウィリアム・ブラックストン - Wikipedia

この説明量の違いには驚くものがある。

「ブラックストンは英国法を混乱から始めて救い出した。彼はクックが150年前ほどに酷く下手なやり方で達成したことを十八世紀の終わりにかけ、それを達成したのだが、酷く上手に達成して見せたのである。」
PP.89(593)-90(594)
英米法におけるダイシー理論とその周辺―ダイシー「ブラックストンの英法釈義」―

John Selden similarly thought that the common law was the proper law of England. He argued that this did not necessarily create judicial discretion to alter it, and that proper did not necessarily equal perfect. The law was nothing more than a contract made by the English people; this is known as the "appeal to contract".[212] Thomas Hobbes and Francis Bacon argued against Coke's theory. They were proponents of natural law, created by the King's authority, not by any individual judge. Hobbes felt that there was no skill unique to lawyers, and that the law could be understood not through Coke's "reason" (the method used by lawyers), but through understanding the King's instructions. While judges did make law, this was only valid because it was "tacitly confirmed (because not disapproved) by the [King]".

Edward Coke - Wikipedia

ジョン・セルデンも同様に、一般法がイングランドの正当な法であると考えました。彼はこれがそれを変更するための司法裁量を必ずしも生み出さないし、正当であるからといって完璧であるとは限らないと主張しました。法律は単なるイングランドの人々によって締結された契約に過ぎなかった。これは「契約への訴え」として知られています。トマス・ホッブズフランシス・ベーコンはコークの理論に反対しました。彼らは自然法の提唱者であり、それは王の権限によって作成され、個々の裁判官によってではありませんでした。ホッブズは、弁護士に固有のスキルはなく、法はコークの「理性」(弁護士が使用する方法)ではなく、王の指示を理解することによって理解できると感じました。裁判官が法を制定したとしても、これは「(王によって不承認されていないため)暗黙に確認された(不承認されなかったからこそ)」ものであるという理由でのみ有効でした。
(ChatGTPの翻訳)

エドワード・コーク - Wikipedia

本当だろうか?その前段でこう書いている。

Coke argued that the judges of the common law were those most suited to making law, followed by Parliament, and that the monarch was bound to follow any legal rules.

コークは、一般法の判事が法を制定するのに最も適しており、次いで議会であると主張し、君主は法的規則に従わなければならないと論じました。
(ChatGTPの翻訳)
このとき、「君主」に着目するか、「議会」に着目するかである。

ホッブスの反対した「コモンロー(一般法)」は、ブラックストンでは、どうだろう?

「しかるに、古き良きコモン・ローを好む下流階級の人々の間では、未だに彼らの古来の(※夫の妻に対する矯正的行為の)特権を要求し続けているのである」
P.84(588)とのことだが、このブラッグストンの弁明を著者は敷衍する。
「確かに、ここでブラックストンの大胆さは(体制の)擁護者の英知といったものより突出している、つまり、市場の呼び売り商人がかみさんの鼻を殴ってへし折るのはコモン・ローへの情熱に突き動かされたゆえであると彼は言っているのである。」
英国人への標準的な理解だとこれは皮肉であるが、要は、この「コモン・ロー」は「(万人の)闘争」を生む辺境の法であって、この「情熱」は自然権の「欲求」である。すなわち、コモン・ローは変わったのだ。おそらく革命によって。あの論争は結局、ホッブスが勝ったのであるようだ。であるとすれば、ブラックストンの「コモン・ロー」はホッブス自然法を反映しているはずである。実際ブラックストンはメインに影響を与えた。

Henry James Sumner Maine - Wikipedia

ヘンリー・メイン - Wikipedia

しかし、それでもなお、ベンサムは許さなかったらしい。

They only constituted one body through a common obedience ; and, without being compatriots, they were all Eomans.

Montesquieu's Considerations on the causes of the grandeur and decadence of the Romans; a new translation, together with an introduction, critical and illustrative notes, and an analytical index; : Montesquieu, Charles de Secondat, baron de, 1689-1755 : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive

Here's the translation of the provided text into Japanese:

「彼らは共通の従順を通じて一つの体を構成していただけで、同胞ではないにもかかわらず、彼らはみなローマ人でした。」


ttps://nihonwiki.sanhouten.com/china-buddhism/

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無宗教じゃない!日本人が知らない現代の中国人と仏教
投稿日:10月 7日, 2022

リンク貼ろうかと思ったが、用心して。
無宗教じゃなく、むしろ、仏教が流行り始めているらしい。法輪功じゃない。
本当かどうか、今の中国政府は、「仏教推し」ということである。

なぜ、このサイトを見たかというと、アメリカ人のローマ好きを書いていたからだ。

news.stanford.edu

こちらはスタンフォード大学のサイト。
まだ読んでいない。

政治学ローマ帝国は、近代国家建設にあたって参照された、”all against all

”を(いったん)克服した(にも関わらず、古代ギリシャと同じように滅んだ)からである。

Those Whom We Call Ancient were Really New in All Things.

Great shorter works of Pascal : Pascal, Blaise, 1623-1662 : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive

And so, without contradicting them,we may assert the contrary of what they said, and no matter what influence this antiquity had, the truth must always prevail, even though it be newly discovered.For the truth is older than all the opinions which men have held of it and we should be ignoring the nature of truth, if we imagined that truth began at the time when it began to be known.

P.54,Preface to the Treatise on Vacuum

真空論序文(結語)ChatGTPの翻訳
『したがって、彼らの主張と矛盾せずに、彼らが言ったこととは逆のことを主張することができ、この古代性がどのような影響を持っていたとしても、真実は常に優勢であり、それが新たに発見されたとしても問題ありません。なぜなら、真実は人々がそれについて持っていたあらゆる意見よりも古いものであり、私たちは真実の本質を無視してしまうでしょう、もし真実がそれが知られるようになったときに始まったものだと想像したならば。』