ホッブスとルソーの二人史

 

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It is sometimes said that the Hellenic world possessed no conception of international concord or ethics, without which even the most perfect diplomatic machine is bound to prove unworkable. It is true that the average Greek’s loyalty to his own city was so intensive, that he regarded all other Hellenes as potential enemies, and all barbarians as natural slaves. It is true also that he drew a sharp distinction between private and public morality, and that it would never have occurred to him that Demosthenes was being cynical in asserting that: ‘Our purposes and our actions must invariably be just: yet we must be careful to see that they are also attended with advantage.’

以下は、日本語への翻訳です:

ヘレニズム世界は、国際的な調和や倫理の概念を持っていなかったと言われることがあり、それが最も完璧な外交機構でさえ機能しないことがある。確かに、一般のギリシャ人は自分の都市への忠誠心が非常に強く、他のギリシャ人を潜在的な敵と見なし、野蛮人を自然な奴隷と見なしました。また、彼は私的な道徳と公的な道徳との明確な区別をつけ、デモステネスが次のように主張したとしても、それが皮肉であるとは考えなかったでしょう:『私たちの目的と行動は常に正義でなければならない:しかし、それらが利益とも調和していることを確認することも慎重に行わなければならない。』」

私たちがホッブスを教わるとき、この世界観を教わらない。

この'(the war)all against all'がどう変わっていったかが、"all"に着目すると、見えて来て、結構面白かったんだけれど、なかなか進まない。

 

ただ、もともとはラテン語で書かれたものを、英語に翻訳したもので読んでニュアンスが取れるのかってある。

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そうするとね。
ヴェンゲルは”Box to Box"と言っているわけだ。

ホッブスを「闘争」から捉えて、ロック、ルソーと並べるのは、あまりに「分析的」なんだよね。そうじゃなく、これがキケロ―ら古典に連なる政治的な修辞だとすると、また保守的な統治意識が見えるというね。

こうすることの効用の一つは、フランスの庶民階級出身であったルソーとのコントラストに輪郭がでることだ。そうすると反対に、当時のフランスにあって、庶民はどう考えていたか。いや、革命がなくても、「新階級」が登場していたんじゃないのか、ということ。
しかし、新階級は、一方で保守的だったのではないかということ。
つまり、ギリシア・ローマ的ではなく。
ここでルネサンスを思い出すと、ドイツ帝国の画期は、①ギリシア・ローマ哲学(ヘレニズム)②キリスト教ヘブライズム)③ゲルマン民族の融合だったじゃないかということ。
だから、若い新婚のフランス人大工が、エロ神父けしからん、牧師に変えろと憤る落書きが大事なわけ。
「新階級」のルソーはと言えば、エロ神父とやっていることとそんなに違うか?ということ。ルソーを見ていると、藤澤清造を思い出すんだけれど、ルソーって教養ないよね。いや、藤澤に教養があったなら、ルソーにもあったかな?という感じ。
なんでそう言うかというと、教養があると、横光利一になるから。
藤澤とルソーの決定的な違いって、一番は金だろうなって。二番は文才だけれど。教養はないけれど、ルソーには文才があった。不思議な人だよね。人格はおそらく、ある程度破綻している。
ルソーも確かに貧窮したんだけれど、一介の譜面起こしが(いや、専門機関で訓練を受けたスペシャリストとして雇用されたとは考えにくく、当初は間違いだらけだったところ、努力で克服したらしい。つまり、たたき上げの技術屋だった。もともとは、時計屋の家柄。なんだろう)、なんで、オペラを書いて上映できるようになったんだろう?ルソーが死ぬ少し前にベートーベンが生まれた。シャルル=ジャン・バティスト・サンソン(Charles Jean Baptiste Sanson、1719年 - 1788年)は7つ下。

また、何が言いたいか
世界最初の(近代的な意味での)プラグマティストってホッブスじゃないの?ということ。

あとホッブス(1588)の15歳(14歳)で進学って早いのか、普通なのかってのもある。

サー・アイザック・ニュートン(1643-1727)は18歳。ニュートンの師匠のアイザック・バロー(1630-1677)は13歳。どちらもトリニティカレッジ(ケンブリッジ大学)。ニュートンはその時分、「キングス・スクール」というグラマースクールに通っていた。「ニュートンの再来」と言われた、ダブリンのアイリッシュ、ウィリアム・ローワン・ハミルトン(1805-1865)も18歳でトリニティ・カレッジ(ダブリン大学)。
ギボン(1737-1794)も早く、マクダレン・カレッジ(オックスフォード大学)に15歳。
ジョン・ロック(1632-1704)は、ウェストミンスター・スクールに14歳で入って、20歳でクライストチャーチに進学したようだ。
オリバークロムウェル(1599-1658)は17歳でシドニーサセックス・カレッジ(ケンブリッジ大学)に入ったようだ。

ジョン・ミルトン(1608-1674)は12歳でセントポール・スクール、17歳でクライスツ・カレッジ(ケンブリッジ大学)に入ったようだ。

王権神授説を唱えたサー・ロバート・フィルマー(1588-1653)は入学年は不明だけれど、トリニティー・カレッジ(ケンブリッジ大学)に通っている。

サー・バートランド・ラッセル(1872-1970)は18歳でトリニティ・カレッジ(ケンブリッジ大学)らしい。

年齢計算については1年の誤差があるかもしれない。誕生日と入学月まで確認していない。
あと誰が”sir”なのかもあやふやである。