「ごく少数」にすぎないというあたりは、少数だったらいいのだろうか

性同一性障害と「女湯」問題-性器の外観要件も「違憲」と反対意見をつけた3人の裁判官はどう考えたのか?(千田有紀) - エキスパート - Yahoo!ニュース

これはよい指摘だと思います。

つまり、これは、「ごく少数」にすぎない=事実上居ないとの(可能性ではなく、蓋然性に関する)主張です。

ならば、「1人いる」ことが反証となります。

なぜ、それでいいのか。
これは社会の経済性(効率性)を問うているのではなく、人権を問うており、人権は個人に宿るからです。

これは彼らの根拠がそれほど頑健ではなく、期待に従っていることの証左になります。
これが問題なのは、「性的被害者が訴えるハードルが高い」からです。
つまり、「たかだか一人の被害者に過ぎないならば、泣き寝入りしろ」と言ってるのに等しくなるため、特に、このような人権を擁護するための判断においては失策と言えるかもしれません

彼らは政府ではなく司法なのです。


彼は、知りませんが、検察出身なのですか?
ならば、身に就いた行政経済を無自覚に表出してしまったのかもしれませんが、検察出身者が相応しくないと言っているのではなく、抑制が効かないものがこのような大法廷にはもっともふさわしくない人物だったかもしれませんね。

案外もろいロジックなのかもしれない。
好い指摘だと思います。

そもそも、もともとあまりロジカルなことが得意ではなく(したがって、権力仕事を得意としていたのかもしれず)、トイレに関する考察はほとんど参考にならないように思います。トイレで問題なのは、(もちろん性暴力の可能性であって)それはペルソナ問題だからです(ペルソナと性的秘匿の交錯問題と、その反対に(それらが暴かれるときの)、事後検証に対する事前のリスク内部化=警告或いは、犯意の委縮の問題。やはりこの問題は心身二元論を経由せざるを得ないのかもしれない)。「見るわけではない」から問題となるのです。

属人論証は避けなければならないが、この人物のこの程度の主張を見ると、本当に、少なくとも彼らの依拠したものは、案外もろいロジックなのかもしれない※。
彼らは権威論証を裏から導入しているのではないのか、いや、少なくともこの権威的な人物に関しては?

※本当は、様相論理を駆使して、形式的操作が相当必要な高度なものとなると思う。それに関して私は結論に必ずしも不満を抱くものではない。ただ、この問題を解くと、数学の問題を解くのと同じ快楽を得られるが、だから、法曹には無理だろうと思う。


これChatGTPに聞いてみた。

 ハッキリしていることはこうです。MtFビアンがトラブルを起こすのは、不特定多数の女とやりたがり、それが普通のLさんたちの価値観と折り合わないから。

 つまり、わかりやすい普通の男たちなんですね。

「レズビアンたるもの、相手にペニスあっても女だと思ってヤレ」世界で広がる狂ったLGBT議論を東大教授が斬る!#木綿の天井ーオカルトニュースメディア トカナ(4ページ目)

—哲学者の三浦俊彦が言ったらしいよ。
そりゃ単に、性自認は女性だけれど、性欲は男なんじゃないかね

三浦俊彦(Miura Toshihiko)は日本の哲学者で、ジェンダーや性に関するテーマについて研究していることで知られています。彼の発言や論文の詳細は、私の知識のカットオフ(2022年1月)には含まれていません。しかし、この発言からの一般的な理解は、性自認ジェンダー アイデンティティ)と性欲(性的指向)の間には異なる要素が存在し、個々の人の経験やアイデンティティが複雑で多様であることを指摘している可能性があります。

性自認性的指向は、同じ人でも異なる要素であり、一致しないことがよくあります。つまり、性自認が女性である人でも、性的指向異性愛(男性への性的魅力)である場合もあります。これは、ジェンダー性的指向が異なる側面であることを示しています。人々は異なる方法で自分の性自認性的指向を経験し、定義します。

三浦俊彦の発言は、このような複雑な性に関するテーマに関心を持っている哲学者としての彼の研究と議論の一部であるかもしれませんが、具体的な文脈や詳細な内容については情報が不足しています。彼の論文や発言についての詳細な情報を知りたい場合、彼の研究を紹介した文献やインタビューなどを探すことが役立つでしょう。

性自認性的指向は、同じ人でも異なる要素であり、一致しないことがよくあります。つまり、性自認が女性である人でも、性的指向異性愛(男性への性的魅力)である場合もあります。これは、ジェンダー性的指向が異なる側面であることを示しています。人々は異なる方法で自分の性自認性的指向を経験し、定義します。

三浦もこういえばよかったのにね。そうすると、エビデンスが必要になるから、避けたんだと思うよ

提供された文言にあるように、性自認性的指向は別々の要素であり、一致しないことがよくあります。ジェンダー性的指向が異なる側面であるため、人々はそれぞれ異なる方法でこれらの要素を経験し、自分自身を定義します。このアプローチは、性とジェンダーの複雑さを説明するのに役立つものであり、個々の経験が多様であることを考慮に入れています。

三浦俊彦がこのような説明を行えば、性自認性的指向に関する理解がより詳細で包括的になるかもしれません。ただし、複雑なトピックに対する理解を深めるためには、適切な文脈やエビデンスの提供も重要です。確かに、この種のトピックに関する説明や議論には、エビデンスや科学的な情報の提供が役立つことがあります。

—脳みそでつかさどる機能が違うんだから、そんな人もいるよね

その通りです。性自認性的指向が異なる要素であることは、脳の異なる部位や機能と関連している可能性があります。ジェンダーに関する研究は、脳の機能や構造と性自認性的指向の関係に焦点を当てて行われており、一部の研究では性自認性的指向に関連する神経学的な特徴やパターンが見つかっています。ただし、これらの研究はまだ進行中であり、結論が確定的ではありません。

さらに、性自認性的指向は、個人の感情、アイデンティティ、自己認識に関連する複雑な心理社会的要素も含んでいます。個人の経験は非常に多様で、一般化が難しいため、異なる人々が異なる性自認性的指向を持つことは自然なことです。

言うまでもなく、性自認性的指向に関する科学的研究は、人々の多様性と個別の経験を理解し、尊重するために重要です。しかし、これらのテーマについての研究や議論は依然として進行中であり、確固たる結論には至っていないことに注意が必要です。

—だって、単なるDVじゃんね。

"DV" とは、通常 "Domestic Violence"(家庭内暴力)の略語を指すことがあります。家庭内暴力は、身体的、精神的、性的な暴力を含む暴力的な行為が家庭内で発生する現象を指します。家庭内暴力は重大な社会問題であり、被害者に対する身体的および心理的な危害をもたらす可能性があります。

しかし、前の文脈からは、具体的にどのような状況や関係に言及しているのかが明確ではありません。"単なるDV" という表現は、具体的な状況に対する詳細な説明を欠いているため、その文脈や主張が正確に理解できません。

性自認性的指向に関連するテーマについて議論する際に、慎重で尊重のあるコミュニケーションが重要です。特定のトピックについて明確に伝えたい場合、詳細な文脈や具体的な事例を提供することが役立つでしょう。

—それを「ふつう」と言っちゃよくねえよな。三浦は反論したらしからそれも読みたいね

三浦俊彦が "ふつう" という言葉を使用して、性自認性的指向に関連して何か反論したかどうかについての詳細情報が提供されていないため、具体的な反論や文脈を知ることは難しいです。彼の反論がどのような内容であったかを理解するためには、彼の著作、発言、または反論の全文を確認する必要があります。

"ふつう" という言葉は主観的で一般的な基準に依存するため、その文脈や具体的な使用によって異なる意味を持つことがあります。性に関するトピックにおいては、異なる人々が異なる性自認性的指向を持つことが一般的であり、個別の経験は多様であるため、"ふつう" という言葉の使用には慎重さが求められます。

三浦俊彦の具体的な反論や主張について詳細な情報があれば、それに基づいてより具体的な議論や理解が可能となります。

 

要は、侵害は行為に宿るのだ。


行為の問題と言うことは、実は、外形の問題なのだ。
とうことはそれがペルソナに係るということは、この場合刑事事件から離れ民事上のリスク負担の問題となる。
要は、性犯罪の被害者にリスクオンされ、それはトイレの自己負担というコストとなって現実化する。それだは「トイレの共用」という(人権問題と異なる)社会効率の達成を充たさないのだ。

したがって、これは、ジレンマである。
したがって、このジレンマを正しく構成することが最初の目標となる。
具体的政策ならば、行政問題であり、法曹は明らかに素人なのだ。