「器物損壊」を言うなら(これは「器物損壊罪」という刑法ですけれど—つまり、この時点で、トリッキーなのですが—、翻って、不倫は、不法行為に基づく)損害賠償でしょう(刑法上の「違法」と民法上の「不法」は近接的な乃至同等の概念で区別が難しいですが、これは、処理に明確な区別があります)。

「被害者」を認めないと、「損害賠償」は導けません。「損失補償」という考え方もあって、実際似たような考え方がこの場合もあると思いますが、減額されます。

これは婚姻が(精神および)経済共同体であり扶助義務を持つことの帰結だろうと思います。所謂「され」方の、責め帰すべき事由にない(期待に反する)不利益に、衡平観念に依拠して、措置を講じているのです。
だから、「多妻多夫」に不倫がないなんていえませんよ。実際に、あります。


私が、この度の最高裁の判断で危惧するのは、その結論ではありません。

自然言語で紡がれる法文でありながら、(おそらく裏で)様相的な相当高度な論理を使っていますので(本当に15人の裁判官全員がこれを理解していたのだろうか?少なくとも、法曹出身ならば、これに通じている必要がありません。彼らが医療知識に乏しいように、「論理」の知識に通じている保証は、実は、ありません。彼らは「法」の専門家であって、古典的です。15人全員が賛成したことを「画期的」と言祝ぐ向きもありますが、全員が「素人」に過ぎないかもしれないのです。これについては、判断理由を詳細に見る必要があります☟note。)、結論の如何を問わず、一般的な理解に資さないためです。

これが「困る」のは、これが政策であるために、「現場」をもつからです。


パッと斜め読みする限りでは、ポイントは、

  1. 心身二元論の現代医療上の位置づけ(脳と身体)
  2. 優生学の今日的意味(「身体の侵襲性」で言及される、社会的身体と人格の実現。人格的価値は社会コストを支払って獲得すべきことか)

であり、1は背後に自然法を持っており、2は背後に自然権を持っているように感じた。すなわち、身体と人格を分けたうえで、「身体への侵襲」を自然権の侵害に写して様相的に導くのだ。このとき、如何にして優生学自然権を侵害するかが問われるのではないかと思った。だから15人は(どうしても)、適切な論理展開の必要上、1の医療事実が欲しかった、というのは穿った見方だろうか?それについて詳細を見る必要がある(自分にとって)。