👇は失敗しているのだけれど
これはあくまで補完すべき案分状況を指示していて、
〇中心Cは、{1/2,1/2,1/2,1/2}の点(で不可能)を指示している
〇モジュール化が進んで、制度間負担が保障されないと、それは例えばナチスの世界で、「アーリア人」による(規約的)、「自由」で「調和」の(分配的)世界。
〇すりあわせ(混合的)がうまく行くのは、ベルトコンベアーシステム(古典的)だからこそ。
〇
ちなみに、自由民主主義は自由主義と民主主義の経緯の異なる2つの思想の関連性を認めて結合する考え方で、よく言われる「権利と責任の不可分(性)」を指示する(ひとつの)考え方だけれど、上で言っているのは、自由のリスク(危険負担)であるから、責任を「事前の不利益命令」と考え、制度間負担で補完するなら、自由民主主義を支持することとなる(従来自民党が から「リベラル」まで、と言われるのは、こういった理由に依るものと思います)。つまり、自由主義と民主主義を社会資源の制度間負担で繋ぐ考え方です。したがって、万年与党の自民党に対し万年野党の各政党が行うのは、自民の提示する案分原案に対する調整です。したがって、自民党は本来「独裁」を指向しません(野党は独裁を指向し得ます。ただし、万年野党に甘んじることとなります。「危険」が大きすぎるからです)。
上の図でおそらく直観的に理解しづらいのは、「分配主義」という「自由主義」が行きすぎるとなぜ、「全体主義」になるのかだろうと思う。
これはね。ベンサム批判なんだね。