エピゴーネンと文化専制

あ、これ、一見ありきたりですけれど、いま深刻な問題になっていると思いますよ。

エピゴーネン」かわかりませんが、文化専制に関して。

今のフェミニズム批判はまさにその系列と思います。

表現の自由」にはもともとそういう社会文脈があったと思います。

 

マルクス主義社会は「男支配社会」だったと素直に認めるべきだろうと思います
私は、戦前から戦後にかけてを「憲法学の時代」「第二憲法学(民法学)の時代」「商法学の時代」「刑法学の時代」「マルクス主義法学の時代」、一方で、「藩閥時代」「学閥時代」「軍閥時代」「省閥時代」にわけて、「マルクス主義法学の時代」がきわめて「男くさい」時代だったと気づきました(男だって「男」を内面化する時代)。それは戦前の「暗い時代」のせいばかりではないと思います(「人間像」しか提示できなかった初期近代社会が、避けていたはずの「人間観」を獲得した時代です)。


フェミニズム」と言うとラディカルフェミニズムマルクス主義と関連してくるかわかりませんが、「ケア」と考えると「侵害」を理解しやすくなるように思います。

そういった観点から「エピゴーネン」が主体に根差しているゆえに戦慄します。
それが文化専制だろうと思います。