お笑いの文化と進化—精神の帰郷                        根暗な松本人志の主張

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  1. ガラの悪い二人組
    これよく言われるけれど、一回も、思ったことがない。トミーズ雅の方がいかついからな。
    「ガラの悪い二人組」というより、ムカシで言ったら、「根暗」じゃないかな。
    実は「根暗」と言ったのは、ハイヒールももこなのだ。
    自分は、大御所芸人(のぼやき漫才)みたいな若手が出て来たって印象を受けた。元気がない。

  2. 癇癪持ちだった。割とたまにスベっていた
    これも意外で、「回すのが下手」とは思った。
    松本さんの「大喜利」は、お笑い漫画道場からじゃないかな。そのときは新人だから、「癇癪」はおこしたのかな。不満はあったみたいだけれど。
    それでメインを張るようになって、「メインを張る」というのは、自分が輝くように裁量で仕切っていくことだから、「松本」ありきの番組制作で当たり前だけれど、うまく仕切れてないなという印象は在った。だから、『IPPONグランプリ』が「正解」だよね。「回す」タイプじゃないよね。(既定路線としてある話の)「流れを変える」タイプだよね。だから、この番組は、構成がおかしかったと思う。『内村プロデュース』でもウッチャンがぼけだすと面白くないよ。
    西川のりおさんを見てたら、どうかな、と思った。

  3. 「松本的ファイトスタイルの大喜利
    そんなもんないよ。
    大喜利」が有名になったのは、『笑点』からで、もともとあった。それをテレビ的に大衆に受けるから、焦点化したのが『笑点』で、「それとは狙う客層が違う」だけで、松本さんの「大喜利」はむしろ、『お笑い漫画道場』やからね。
    このとき、松本さんて、さっきの「根暗」の話になるけれど、柔らかく言えば「内向的」なのと、ビジュアルに訴えるのが他の芸人ではちょっと見られなかったと思う。(大御所をぼやき漫才を除いて)芸人って基本「陽キャ」で「パリピ」でしょ?松本さんて、外観からは、一人だけ「陰キャ」で「オタク」なイメージだった(本当のところは知りません)。ただ、Mr.オクレさんみたいな、「いじられキャラ」ではなかった。たぶん、そこから「癇癪」という印象も引き出されたのだろうと思う(私は癇癪と謂うより、構成の拙さと、それもあって回しの拙さが目立ったのだろうと思う。理想の構成は『IPPONグランプリ』)。

  4. 自分が一番正しい!と言い放つ人だった
    ダウンタウンは基本構造として紳助竜介のパクリだと思う(紳助竜介はB&Bのパクリ)。紳助さんがすごかった。それまでは分かりやすく言うと、「おかしな人」と「普通の人」の掛け合いか、落語の延長で、地口を言うかだったけれど、「おかしく見えて普通の人」を演りだした。「ヤンキー」ってそういうトリックスターの仮装だった。これが決定的で、「存在論」から「認識論」への転回が起きて、その継承者がダウンタウンという位置づけだろうと思う。
    だから、(周囲がどう思おうが)松本さんは(「芸」の自認識として)「おかしな人」じゃなく「おかしなことを自覚的に言える人」だったんだよ(ちなみに、ハイヒールの漫才は、「女子大生」と「ヤンキー」で、伝統的な構図となっているのだが、「女子大生」が珍しかったのと、その組み合わせがさらに珍しかった。「女子大生」は当時バズワードだったんだけれど、パイレーツのように流行りに乗るのではなく、本格派だった。パイレーツも頑張っていたけれど、最初のイメージが強すぎて、ステップアップに苦慮していた)。それを漫才で始めたのは紳助さんだから。あくまで常識人であり、ときに教養もひけらかすわけ。
    そのうえで、「普通の人として言いたいことを言って行こうよ」というスタンスで、「俺が一番」というのは、「主張」ということの本質に過ぎませんよ。「自分が正しい」と思えない主張は主張でありません—間違っているところを直してから主張せえよって話で。つまり、彼がしたのは、それに限って言えば、「主張」であって、「会話」じゃないんだね。ただ、それが、説得的でなかったと評価されただけで。

(筆休め)

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