正しく問うことの大切さ、私教育が公教育を凌駕する時代

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 答えを得られるかどうかは、正しい質問をできるかどうかにかかっている、といってもいい。正しい問いは、それ自体が答えの手がかりを与えてくれるのだ。p.20

時として自分で解を見つけるより、他の人がまとめた解を理解するほうが難しいことがある。他の人の解を理解するには、数学的な内容を理解するだけでなく、その人の物の見方や表現法の癖につきあわなくてはならないからだ。p.205

数学ができる人はこう考える―実践=数学的思考法

数学ができる人はこう考える―実践=数学的思考法

 

 👆児童に問うべきではない。教職に問われなければならない。教職は、問題文を作成するにあたって、「正しく問う」ことが求められるのである。

悪問とは問題を隠す問題というのが、以前から主張しているところであるが、問題の中にすでに「答え」がある(演繹できる)問題が求めらることになるだろうか。
推論形式の問題文(問題文から回答への飛躍を求める問題)と演繹形式の問題文(問題文から回答への飛躍を求めない問題)ということがあるだろうか。
いずれにしても、問題文が、メタ数学的、即ち形式的に記述できなければならないと思う。子どもの読解力の前に、大人の読解力、大人の読解力の前に大人の文章力が必要と感じることの裏には、その文章力とは形式的な記述のことを指していることがある。つまり、「日本語が上手い」こととは別のことである。

👇レビューを見ると、この方はかなり特殊な学習履歴を持っているので、一般的には参考にできないらしい。
しかし、社会を見た時に、すでにそのようなアプローチが確立されていることを知ると、何かしらの参考になる。
地方と都会の情報ギャップこそが或る「格差」の原因として考えられてきたのではないかと思うが(実際に地方にいると、驚くほど意識の差はあって、到底埋まらないことを実感する。)、情報社会。。。というよりむしろ、情報技術を活用した(遠隔授業など。)塾が大きく伸びて、地方に居てもその恩恵に与れることから、その「格差」はもはや気にするようなことではない、と思っていたら、都会はさらに先を行っているのではないのか?という話。k会に地方の子が入会できるかどうかは知らないが、これを知っているかどうか、或いは、それと学校の授業とを十分うまく折り合いが付けられるかどうかで、「格差」は生じ得るのではないかと思う。葛西さんは「桜蔭」出身らしいので。
東大がここ数年地方に門戸を開放した一方で(地方の受験生と都会の受験生の情報格差に配慮した問題作成ー基本的能力をより見るように)。

東大医学部生が教える 本当に頭がいい人の勉強法

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 👇21世紀の公立教育をもリードすることになるか
飛び級」などというおためごかしよりも、本来は、こちらの方が求められているのではないかと思う。将来は、k会出身の〇〇賞受賞者が出てくることになるのだろうか(葛西さんは2年連続でのメダリストなので、すでにそのレベルにはある)。
つまり、これは、東大推薦入試の話でもあるー東大の入試の回答公開も併せて考えると、「一般的な東大生」と「特別な東大生」を、東大自身が、明確に意識するようになったような気がする。そう考えると、公立高校からのクレーム(推薦のハードルが高すぎるというもの)は、ちょっと違うような気がする

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見方を変えると。
ようやく「体育」の環境に「知育」の環境も追いついてきたのかな?と言う気もする。

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