象は 鼻が 長い
は主題文と謂われ、主語/主題のイシューとなっているが。
むしろ、助詞そのものに着目して、「は」と「が」の区別から考えると。
副助詞「は」(対比,選択)は、主題化する文章、即ち文脈を導くと謂ったほうがよいように思う。
つまり、
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それが主体とすると、相変わらず、「主語」は中身を持っていることになる。
そうすると、作文で『僕は』の書き出しで始めなければならないのはなぜかが、少しわかる※。形式的には対比されなければならない。実質的には、「実質」たる中身を披露しなければならない。それはサブジェクトに関わることなので、理性的であるはずである。※小学生のころ、教師に聞いたことがあるが、答えられなかった(いつものように、小学生相手に答えるべきかで迷っていたような雰囲気もあったが、これに関しては、やっぱりわからなかったのだろうと思う)。これが腹立って、卒業文集では、『僕は』を拒否したーもういやいや付き合う必要を感じなかった。何に対してだかわからないが「ざまあみろ」という気分に満ちていたが、学校から連絡が行ったのだろうか、母親から厳しい態度で寸評を受けたーあくまで態度であって、寸評そのものではなく、「まぁまぁ、この程度なら仕方がない」「求められる水準から見て、許される程度」の評価で、一方、『僕は』の書き出しについては、おどろくほど幼稚(学校はこれを許しているのかー何のために学校があるのか)、であったのだが。
実はこの面接は、主に、模倣の疑いを晴らすために設けられた。小学校4年生のときの詩作で、ぞうきんをモチーフにした写実的な表現が、有名な詞に似ていたことがあったせいだと思う(当時は「知らなかった」と答えたがどうも、₍1年生のときに₎枕もとで寝物語として聞いたので、「忘れていた」「記憶として意識しなかった」が正しかったらしく、ただ考え方だけイメージとして残っていたらしい。そのように咀嚼された後なので、自分としては、ごく自然に思いついたのであって、「真似した」つもりはなかったが、影響を受けたのは間違いなく、評価するわけにもいかんわね。そのときは多少驚いて否定したが、5年生のときに思い出して父親の本棚を漁ったらハードカバーの詩集があって、頁をめくるとその詩が掲載されていた)
「模倣の疑いを晴らす」というのは小学生だった当時も興味深く感じたことである。『僕は』の書き出しを思慮無用に模倣させる、強制することは許されるが、それ以外の模倣はなぜ、許されないかを考えた時に、「国語」の意義を見出したような気がしたからである。
それが「人間」である。
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「人間」とは
ここで謂う「奇跡」とは文化論上の「奇跡」と同じだろうと思う。
ムカシは文化論で、「奇跡」と「呪術」とが比べられたものだが、ソレである。
世界の創造に関することで、被造物は、(創造の)法則に従うだけであって、世界を操作できないからこそ、それを為すことが「奇跡」と呼ばれる。
そのような世界の中で、人間は「主語」でなかった。
subject 意味と語源 – 語源英和辞典
又吉の『奇跡』はおそらく、『人間』が世界法則の抽象性と対比される、中身を持つ存在であるところの照射元である。
まつ毛に埃がぶら下がったとき、何を感じるか。距離であっても距離空間ではない。
影入平羌江水流(影は平羌江の 水に入りて流る)
夜発清渓向三峡(夜 清渓を発して 三峡に向こう)
思君不見下渝州(君を思えども見えず 渝州に下る)
峨眉山に半月がかかる秋に月の光が平羌江の水面に映って流れていく。
私は夜のうちに清渓を出発して、三峡へと向かう。
君を見たいと思ったが見ることができず、渝州へと下っている。
月の近さと心の近さ
我愛山中月(我れは愛す 山中の月)
炯然掛疎林(炯然として 疎林に掛かるを)
爲憐幽獨人(幽獨の人を 憐れむが爲に)
流光散衣襟(流光 衣襟に散ず)
我心本如月(我が心は 本 月の如く)
月亦如我心(月も亦 我が心の如し)
心月兩相照(心と月と 兩つながら相照らし)
清夜長相尋(清夜 長えに相尋ぬ)
私は山中の月が皎々と輝いてまばらな林を照している光景を愛している。 月は、世間から離れて独り静かに暮らしている私を憐れむかのように、その光を私に投げかけてくれる。 もともと私の心は月の様に純真で、なんの邪心もなく澄み切っているが月もまた私の心と同じである。 心と月とはたがいに通じ合って、照らし合い清らかな夜をいつまでも尋ね合っております。(自分の清き高き心境は、月と同じであると)