悪の華』の続きをやろうと思ったけれど

 

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さすがに、「平気の平左」はいかがなものかと思う。
語感ってあって、当時のヒトの受け取り方になるけれど。
精いっぱい好意的に評価すると、落語調のもつ反権威的なニュアンスが、『悪の華』のもつそれへのアプローチとして当時の日本人の間尺に適ってただろうかという程度。

sustanableの含意する(sus-tain-able即ち)base-hold-operation(もとより「operationできる」から「operationする」のであるから、able自体のことは言うまでもなく、、、、、、、その性質を胚胎して、ableの表象となっている)からそれを「基層保持活動」(基層自体は操作外であることから)「環境保持活動」と言うのは、翻訳ではなく敷衍であって、言葉を別に尽くしていて誤訳となるのかどうか。
※多様な「可能」の意味のうち何を指示するのか。

「平気の平左」となると、或る特殊な場合に於いて同様の機能をもつ言葉に置き換えているが、過剰に帰納的であるがゆえに誤謬であって、誤訳ではないのか。
ということである。ただ当時は、「なるほどそういうことか」と、膝を打ったかもしれない。

その「膝を打つ」、受け取り方について感じるところがあった。

このたびのノーベル文学賞の受賞者は詩人だそうである。
第1回の受賞者も詩人だったらしくって、フランス人だった。
さて、この詩人でフランス人の言うことが、さっぱりわからないのである。
一番有名な詩で代表作と呼ばれるものを読んでみた。

シュリ・プリュドムは割れた花瓶は過敏であるから触るなと言うけれど、触らなわからんやろ、気付いておらんのやから。

とまぁ、こんなドキドキ感を「吊り橋効果」で楽しむわけだが、『花瓶は過敏』と落語調に受けとりしつつ、多少の性的なニュアンスがあるならロック調に受け取りしつつ、なんとか腑に落ちるーような気がしないわけでもない、わけである。「わけでもないが、わけでもある」ようなことが芸術であると言いたいのだろうか?
アモーレとジュテームで済む(セクハラと不倫の)国のヒトの言うことはよくわからん。
metoo運動への反論でカトリーヌ ドヌーヴの言ったことが近いような気がした。それを「セクハラ」と断言すると彼女を誤解することになって失礼なので、お詫びします。セクハラになってしまったらダメなんだね。「触らなわからん」というのが不躾だ。セクハラが嫌いな自分でも、そう言ってしまう「罠」というか、緊張がある。セクハラは目前にあって許してはいけない。まさに文化だー「愛」と「愛している」の。
ノーベル賞授賞の理由はおそらく違って、『高尚な理想主義と芸術的完成度の形跡、心情と知性の両方の資質の珍しい組み合わせを与える、詩的な構成物に対して』とまぁ、「ローマ人が来た」のだろうかと訝しんでも仕方がない。もうあげちゃったもの。

湯川秀樹も愛唱したとはいえ、フランス人に『広く親しまれている』(👇)『花瓶』はハードルが高かったようだ。 👇P427,阿部良雄

新潮 世界文学小辞典

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ほかにないのかと探したら、桂冠詩人ワーズワースとよく似た詩もあった。
ワーズワース『郭公』と似ているのは、『プリズム』(1886)である(ウィリアム・ワーズワース1770-1850)。カッコウ(『郭公』)とミューズ(『プリズム』)は同じだろう。ロマン主義のようだ。
ロマン主義現代社会にも影響を与えている。市場であれ、科学であれ、教育であれ、自由を信奉するときには、根底にこれがあることが珍しくない。

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モーパッサンと言えば、 『女の一生』だが

女の一生 (新潮文庫)

女の一生 (新潮文庫)

 

シャネルの人生がある。孤児院育ちで、親父がジゴロ。フランスの社会生活史にもなっていて、資料代わりに読むと興味深い(ココ・シャネルの「戸籍」を調べたり、当時の孤児の状況、環境に触れている)。