【フェア】本日より『批評の教室』(ちくま新書)刊行記念、北村紗衣さん選書「批評を楽しむためのフェア」を開始しました。『批評の教室』を読んで自分も批評をやってみたい!と思った方、ぜひお立ち寄りください。選書コメントPOPとブックリストもあり。4F大フェア棚にて12月12日までの予定です。 pic.twitter.com/jn75erzWJf
— ジュンク堂書店池袋本店 人文書 (@junkuike_jinbun) October 25, 2021
例えば、西加奈子さんなんか、凄い作家で、何が凄いって、明石家さんまさんが映画化したけれど
その解釈も違和感なく受け入れられる両義性で、本当は、そういった解釈をターゲットにした批評性ってあると思うけれど、それを読み解くには相当の戦略が要るよね。
だって、ダナエの絵から最後のセリフに至るまで、両義性がモチーフなんだもの。
そのうえで明石家さんまさんを感動させてんだから。
さんまさんの言っていることこそが、昭和の暴力性なんだよね。
腐しているわけじゃない。
すなわち、さんまさんは「演じ切らない」お笑いとはこれだっていっているんでさ。
抑圧的な社会では語尾でニュアンスを付けることが「自由」(括弧つき)に為るんだよね。
だからさんまさんもその限りで両義性はウェルカムなんだけれど、それは社会構造のレベルでは危険負担の問題だから、肉子ちゃん「親子」にリスクが集中する。
それにニュアンスを付けるのがさんまさんの「お笑い」なんだ。
(だから、さんまさんは、この物語に感動するわけ)
で、西加奈子は、本当はその暴力性をターゲットにしているはずなんだ。
ダナエってそういう意味じゃないかと思うよ。
ダナエって単純に性暴力だからね。それにニュアンスを付けると神話になる。
それを押し付けると(どろ沼の)「歴史論争」になる。
だから押し付けない。
凄い作家だよ。
markovproperty.hatenadiary.com
ワシの言うとることは、まぁだいたい意味不明だけれど。
努力はしよう。
下のような社会観が根底にある(標準的な政治学上の説明ではない)。
「すり合わせ」が「ニュアンス」になる。すり合わせをする「自由」はあるわけだ。しかし、それには抑圧的な社会が背景にある。
まぁ、選挙期間中なので、やめとくか。