昭和のお笑い

例えば、西加奈子さんなんか、凄い作家で、何が凄いって、明石家さんまさんが映画化したけれど

その解釈も違和感なく受け入れられる両義性で、本当は、そういった解釈をターゲットにした批評性ってあると思うけれど、それを読み解くには相当の戦略が要るよね。

だって、ダナエの絵から最後のセリフに至るまで、両義性がモチーフなんだもの。
そのうえで明石家さんまさんを感動させてんだから。

さんまさんの言っていることこそが、昭和の暴力性なんだよね。
腐しているわけじゃない。

すなわち、さんまさんは「演じ切らない」お笑いとはこれだっていっているんでさ。
抑圧的な社会では語尾で、、、ニュアンスを付けることが「自由」(括弧つき)に為るんだよね。
だからさんまさんもその限りで、、、、、両義性はウェルカムなんだけれど、それは社会構造のレベルでは危険負担の問題だから、肉子ちゃん「親子」にリスクが集中する。
それにニュアンスを付けるのがさんまさんの「お笑い」なんだ。
(だから、さんまさんは、この物語に感動するわけ)

で、西加奈子は、本当はその、、暴力性をターゲットにしているはずなんだ。
ダナエってそういう意味じゃないかと思うよ。
ダナエって単純に性暴力だからね。それにニュアンスを付けると神話になる。
それを押し付けると(どろ沼の)「歴史論争」になる。
だから押し付けない。
凄い作家だよ。

 

markovproperty.hatenadiary.com

 

ワシの言うとることは、まぁだいたい意味不明だけれど。
努力はしよう。

下のような社会観が根底にある(標準的な政治学上の説明ではない)。
「すり合わせ」が「ニュアンス」になる。すり合わせをする「自由」はあるわけだ。しかし、それには抑圧的な社会が背景にある。

まぁ、選挙期間中なので、やめとくか。