図書館で借りられた。

文庫で掌中に収まるが、伊藤清の『確率論と私』より分量がある。パスカル同等の独特の文体に読みにくいと感じることもある。

ラプラス著,内井惣七訳『確率の哲学的試論』
岩波文庫青925-1,1997.11

(前付け)
確率について    
確率計算の一般的原理 P033 ここで,パスカルの有名な論証がおのずと姿を現してくる.(略)ある証人が,しかじかのことに従うならば一つや二つではなく無限の幸福な生を享受できるであろうということを神自身から教えられたと主張するとしよう.この証言の確率がいかにわずかでも,無限に小さくない限り,その指令されたことにことに従う者の利益は無限大であることは明らかである.(略)したがって,人はこの利益を手に入れることを少しもためらうべきではない.
期待値について    
確率計算における解析的方法について    
確率計算の応用
運のゲームについて    
等しいと想定されている確率の間に存在しうる未知の不等性について    
事象が際限なくくり返されることから生じる確率法則について    
多数の観察結果から選ばれるべき平均値について    
死亡表と,生命,結婚および諸種の団体の平均持続期間について    
事象の確率に依存する利益について    
議会による選択と決定    
確率の見積もりにおける錯覚について    
確実さに近づくさまざまな方法について    
確率計算に関する歴史的注記    
(後付け)
訳者注    
解説    

これは「証言」に基づく確率が、「証拠」に基づく確率へ移行するための、準備の論証として機能している。ラプラスは、パスカルの主張した、(1/自然数)×(無限大)で表現される「その主張が嘘で在ろうと神に従う幸福の期待値」を、(1/無限大)×(無限大)に置き換えて、『パスカルの論証は壊されてしまう』(P34,同書)と主張した。

壺の中の数字の数で幸福な生の可能な総数を表せばこの数は無限となり,また証人が嘘をつく場合,そのうそを信用させるためには無限の至福を約束することが証人にとって最大の利益となる.

P34,確率計算の一般原理(岩波文庫青925-1『確率の哲学的試論』,ラプラス著,内井惣七訳,1997)

このとき、ラプラスは、形式的に『この積から無限は消える』と断言していて、それは厳密にはどうかと素人ながら心配となるが、数学の原理に言及するのは主題からずれるので置くとしよう。

 

伊藤清『確率論と私』
岩波書店,2010.9

Ⅰ 忘れられない言葉
忘れられない言葉 P004  
数学の研究を始めた頃 P008  
直観と論理のバランス P010  
Ⅱ 数学の二つの柱
科学と数学 P020  
数学の二つの柱 P023  
かわった学生 P026  
色即是空、空即是色 P030  
Ⅲ 数学の楽しみ
数学者と物理 11-2
オイラー応用数学 P046  
数学の楽しみ 13-2
数学の科学的側面と芸術的側面 14-2
Ⅳ 確率論とは何だろうか
確率論の歴史 16-2
組み合わせ確率論から測度論的確率論へ P092  
コモゴルフの数学観と業績 P109

 

Ⅴ 確率論と歩いた六十年
確率論と歩いた六十年 20-2
確率解析の研究を振り返って 21-2
Ⅵ 思い出
秋月先生の思い出 22-2  
近藤鉦太郎先生と数学 P164  
十時君のい思い出 22-2
河田敬義君の思い出 23-2

赤字強調は引用者。
伊藤清においても、宗教的感慨は、特に意味を持たず、せいぜい発想法に興味が向くくらいである(が、これは別に言及される古代の数学史に近く、歴史的な興味なのかもしれない。そうならば、岡潔と本質的に違ってー実はともに直観主義に親近感を抱いていると思うのだがー、アレクサンドル・グロタンディークの『ある夢と数学の埋葬』のようなことなのかもしれない)。