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ただ、「12分割する」のと「12進法を使う」のは、かなり様相が異なるように思う。

土偶の印数ともかかわって来るが、「12分割する」方法である。割り算ありきでなく、かけ算ありきになってくる。正確に12分割するのが難しいからだ。

完全数 - Wikipedia

6進法なら、まだわかる。12進法説は、こじつけに思える。
いや、そういう考古学的照明ができるなら、別。

ちなみに、1×2×3×4×6=122であり、1+2+3+4=2×5である。

縄を使うと、累乗計算ができる。
すなわち、計算道具が、小石か縄かで、計算の仕方が異なってくるのだ。
12進法は、その後の便宜じゃないかと思う。
そもそも、なんで、5で割ったらダメなのだ。
6進法か8進法と10進法が混在していたと考えるなら、自然である。
日本においても、土偶と古代語の両方において、「み(つ)」を特別視して(「よ」を変化を現し、「や」を広がりを現すとし)いたのとも平仄があう※。
意外に複雑な概念を操っていたと考える方が納得できる。

※「なな」は「虚しい数」であるが実は√72、「ここ」は粉々だろうが、32で、「も」じゃない。「もも」は102で「とと」じゃない※。同音の繰り返しは累乗である。これがなぜ鍵になるかというと、三平方の定理の理解へ近づくからだ。ちなみに、200は「ふたほ」で、「ひ」「ふ」の次の「ほ」が当てられている。これは実は不思議で、1000は「ち」であるところ2000は「ふたち」である。次の位の10000は「よろづ」であり、「よ」が再登場する。後はこの組み合わせで、八百万は、「やおよろず:やほよろづ」である

「十つ」ってなんて読みますか? - 一つ→ひとつ二つ→ふたつ三つ... - Yahoo!知恵袋

実は、なぜ、10が「ひ」「ふ」の次の「ほ」でないか。
これは、5が i マーカーのついた、i-to-uo で、10が ✕-to-uoなのであるが、3段階目の変化である、語順の逆転が起きているらしい。ひとつ、ふたつの「つ」が先に来て(語音も変化し)、なお i マーカーが ついている。どうもここから推測する所、本当は、「ほ」(po)なのだ。
ならば、100は「ほほ」でいいじゃないかと思うが、そこはそうはならずに、「ほ」で百を現し、200が「ふたほ」と成っている。それでいて、10000が「ほほ」とならずに(或いは「も」の次の)「よろづ(よろ・づ)」と成っている(「よ」は使っているので、「ろ」で補っている)。

顔のパーツは植物と関係が深いが、頬の語源がわからない。
「ち」は霊と関係があるかもしれない。

古墳時代の後が飛鳥時代で、聖徳太子はすでに三平方の定理を知っていた。
古墳時代の大きな円を描くにも、それなりの測量技術を用いて、杭打ちをしなければならない。これは中心から縄を張ることができないから、順に隣の杭を打ってゆくこととなる。そのときに、三平方の定理を使ったかどうかなのである。

石原莞爾はそのような計算に打ち込んだことがある。おそらく陣地構築の練習であろうが。