インドの成長を支えるもの

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英語の不思議なところは、被征服言語、すなわち、北欧に征服された経験と、フランスに征服された経験によって、世界性と普遍性を獲得したことだ。征服者のフランス語にしても、地中海世界を支配したラテン語にしても、限界があった。

言語観にラテン語、フランス語への不自然な偏りが見られるが、どう考えても、英語の合理性に勝てない。人工言語以前に人工的でさらに、適度にルーズであるため、今でもフレキシブルに対応し続けている。

また現代のヨーロッパ言語においては、屈折語的特徴が失われ、孤立語的・膠着語的性格が強まってきており、特に英語において顕著である。

屈折語 - Wikipedia

膠着語 - Wikipedia

孤立語 - Wikipedia

日本語は膠着語で、ベトナム語孤立語である。このとき考えるのが、

  1. ふた(つ)
  2. てふてふ

であって、1は日本の古代語の数詞であり、2は外来語で蝶々のことである。

 

1に関して言えば、倍数表現であり、対となっているのは、ひと(つ)であり、これは表音記号を無視して描くと(今よりも相当豊かな表現をしていたらしい。)、pu-i-to で、これが pu-✕-taと変化する(今では「ひ」「ふ」と合理化されているが、このとき、p は、ふぅと息を吹きかける音だったらしい。まるで忍者の呪文である)。つまり、或るマーカーの i を消去し、弱形音素の a を加える、2段階の変化を要請している複雑なものだ。これが、白赤黒青の色の変化、朝昼夕夜の一日の時間変化、春夏秋冬の一年の季節の変化とも関係しているようにも感じられるが、古代の日本語に関しては、思い付きは禁物だ。実際のところ、知らない。色などはいきなり抽象化された概念が4色出てきて、驚くのだが(おそらく最初は、薄い黄色を基本色としてその濁り具合だけであったところ、すなわち、薄い/濃いの二元的な脱色の判別であったところ、歴史的な順序で言うと、赤の染色技術が発見され、普及したのではないか、というところである。したがって、「色」とは自然界に見られるスペクトラムのことではなく、「工業」技術と関係が深いと思う。脱色から染色への移行である。「白」と「赤」の貴種性はこれにある。そもそも「白」はその色というよりも向進的な性格で在り、その意味で、「完全な白」は不可能な色である)、これらすべてが回転対称であることも際立った特徴のひとつだ。  
古代の数詞も最初はそのような複雑さを兼ね備えて、徐々に簡略化されていったようにしか思えない。おそらく、大陸から、概念を輸入したからだろう(反対に、古代の日本語表現は、極めて制限的であるがゆえに複雑で、興味がそそられる。日本とベトナムは中国を軸に考えると、歴史的に、興味深くて、元寇を始め、ともに戦争で中国に負けたことがないが、文化的な影響を大きく受けている。いや、日本は、白村江で負けて、元寇は返り討ちにし、朝鮮戦争では、戦術的には勝ったか―のちに豊臣の天下支配が弱体化し滅んだが、スペインの世界侵略を抑制した。このとき生き続けたのは李氏朝鮮だけである。歴史とは不思議だ)。

関係ないが、呼吸と生命の関係は、インドでも体系化されている。

古代インドにおける呼吸観と宗教的実践

いくらなんでも古代世界に、そこまでの広がりはなかったと思うが、👇

2に関して言えば、言葉の起源はどこかわからないが(中国の  部かもしれない)が、ベトナムにも見られる、ディエップディエップがもともとの音だ(言葉としては、中国からベトナムと日本に向かったのか、ベトナムから中国経由で日本へ来たか、判別できない)。「てふてふ」はもともとすべての蝶々を指すのではなく、在来種ではない、亜熱帯地方のアゲハを指すので、指示対象となる生物の方は、実際ここらへんからの外来である。
にも拘わらず、そういった指摘がなされることはない。それが不思議な言葉である。要は、学問上の裏付けがないからだろう。

何が言いたいか。言語に対しては、まだまだ偏見が根強いように感じられる。

 

数学に関しては、数学史上、もっとも天才的だったのは、インドのバースカラ2世であり、二番目がラマヌジャン(とハーディのコンビ)とフォン・ノイマンであり、三番目がガウスでないかと思っているが、オイラーも、どう考えてもサヴァンであるので、二番目に入れるか、三番目に入れるか迷うところである。ラマヌジャンは確かに天才的で印象が良いのであるが、業績から言うと(もちろん、優れているが)、二番目で良いか迷うところである(現代数学に影響を与えているからどうしても印象がよくなって、歴史的比較がそれでよいのかとも思うが、そもそもただの素人の億見であるから、あまり気にしない)。

インドはどうしても、「ゼロ」の発見があって、数学に関しては、神秘的な印象を抱きがちだ。「ゼロ」はもともと、「シーニャ」であって、哲学的な複雑な概念であったが、西(アラビア)へ向かうときに、「ゼロ」に簡略化された。
反対に東(日本)へ向かったときには、「シーニャ」の複雑性がある程度保存されたままで、「白」と「七」に分岐したのではないかと思う。実体の神秘性は「白」に、無体の神秘性は「七」になって、倍数上の「虚数」表現として定着したのではないかと想像している。
そもそも複雑な概念である「よ(つ)」の j系音から、倍数の「や(つ)」でもないし、「み(つ)」の倍数「む(つ)」でもない(ちなみに、m系が複雑化すると、「も」である☞その繰り返しが、百:もも)。「満(ちる)」の弱形が「無」となるのがまるで白黒のようで興味深いが、古代語は想像を受け付けない。
「み」と「よ」から倍数表現できない虚しい数として、「なな(つ)」という「ま」の隣接語の繰り返し表現を当てているようにしか思えない。

※「中」と「間」であり、これは歴史的に隣接していて、ブランクを強調するのが「中」で―「端」でないその合間、対象を強調するのが「間」であったらしい。今では区別がなくなったが。「み:満ちる」は万葉表現の革新とも関係しているらしい。万葉集は政治文書だったのだ。

「シーニャ」がアラビア的な「ゼロ」でないことは、極めて重要で、つまり、西洋数学では長らく「ない」ことを表現できなかったところ(天才のパスカルでさえ、そうであった。)、ゼロが与えられて、数体系の基礎となったと考えられているが、これが「ない」の代わりでしかないことが問題である。
「シーニャ」が「白」になったことが鍵で、これは黄色の脱色過程にしか現れない、極限的性格を表現するからである。あり得ないので(古代の技術では、どれだけ頑張っても完全に脱色できない。)、神々しくなった。

MIT研究者が「最も黒い物質」を偶然発見 99.995%の光を吸収 - ねとらぼ

現代になってこれである。

こう考えると、日本の4原色の不思議が回転対称にしかならないのが理解できるのである。白と黒の対置は分かりやすいが、なぜ、赤と青なのか。これが実体概念なら、もちろん、自然界にはスペクトラムが広がっていて、多様である。これが、人工的な概念であることが本質なのだ。
日本は、このような数概念を駆使してかどうかはわからないが、縄文時代に10進法を操って、土偶に刻んでいたらしい。

算術する縄文人—高度な数字処理の事例―
ちなみに、111=3×37となるところの37は、12番目の素数である。
古代の計算法の研究は当然、考古学的成果を待つしかなく、なかなかはがゆいところだるが、縄文時代の数概念については、3が限界説から5まで数えられた説、6まで数えられた説、12進法説を経て、今は10進法説が最新でないかと思う。

なんで人は12個で物をまとめたがるの?→争いが起きにくいから。いろいろな人数で分けやすいし、また販売時に並べやすい。 | チコちゃんに叱られる!
エジプトは分数計算がおどろくほど発達していたからね。

日本の土偶も未だに不思議な産物で、どうもプロと呼べる人もいたらしいが数多の素人物好きもいたらしい。上手い下手が顕著である(これが余計なロマンを掻き立てるが、単純に下手なのだろうと思う。それは技術的にもそうであるし、モチーフも適当だろうと思う。幼児の絵画を論じることに、どれほどの意味があるだろうか)。江戸時代の「塵劫記」と数額(絵馬)の奉納のような話である。
ただ、素人が参加していたの古代社会の形成を考えると意味があって、半ば神話的には、もともと死者の厚遇した人間をいっしょに埋葬していたらしいが、当然であるが、生きながら埋めるのでうめき声が夥しい。それに耐えられないということで、(大陸から伝わった新技術であっただろう)埴輪を代わりに埋めることとなったと伝えられている。まことに声というのはpowerfulである。文物も統治に必要なわけである。殺される方もたまったものではない。

土偶と埴輪の違い | 縄文ドキドキ会
東京国立博物館 - 1089ブログ

中国の清の始皇帝が有名で、中国では確かに地下に埋葬されたようだが、日本の古墳では、

秦始皇帝陵及び兵馬俑坑 - Wikipedia
日本各地に広まり、やがて消えた「埴輪」 その存在の歩みをたどる – 國學院大學

こんな感じで在ったらしい。2haというが?

ヘクタールがどれくらいの広さなのかを身近な例で理解する - 具体例で学ぶ数学


イギリスの黒人(というと、どういう語感を帯びるだろう。要は、われわれアジアの有色人種の内で、褐色の肌を持つ人々である。)は、数学で顕著な才能を見せるが、アメリカの黒人は音楽で顕著な才能を見せる(世界の音楽市場を席捲しているのは、もちろん韓国人の躍進は目覚ましいが―間違いなく、日本のエンタメの模範となっている。実際、素晴らしい―、韓国人ではなく、アメリカ人のうち黒人だ。彼らは広大で芳醇な、もっとも消費者の多い、ラテン市場も押さえている。アトランタが世界を制している。ボクシングの重量級と音楽市場は、アメリカの黒人の王座が揺るぎそうにない)。

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(1)世界の母語人口(上位20言語):文部科学省

ただし、中国のマーケットは、知らない。

 

この違いはなぜだろう。
アメリカでも教育支援を行っていて、もちろん、黒人でも大学進学はもとより大統領にもなれるが、教育の荒廃が言われることの方が多い。

インドが次の「超大国」として期待されるところは大きく、社会が充実してきていることとも無関係でないかもしれないが、よくわからない。