「和魂洋才」の「魂」は仏性的自由であり、「才」は神の授ける自由である ⑲

 

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西村さんの文章を読んだときに感じた辿辿たどたどしさが藤澤清造のものであったとしたら、藤澤清造は或いは長編向きだったのだろうか。

ひょっとしたら、それが、藤澤清造の不遇を招き寄せた、ひとつの原因ではなかったかと思う。

辿辿たどたど」などと言うのは憚られたが、西村さんの文を読むときに携帯が必須となる辞書で、語の成り立ちを調べて安心した。

山道で立ち止まる象形から成り立っている。

たどる(道をたずねたずねして行く、さぐり求める、筋道を追い求めて考える、迷い思う)

「辿」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習

立ち止まる前には梢々ややと必ず流れて来ていた。

かくてみち梢々やゝ半にいたるころ、日ざしは七ツにちかし、竹助しばしとてみちのかたはらの石にこしかけ焼飯やきめしをくひゐたるに、谷間たにあひ根笹ねさゝをおしわけてきたる者あり、ちかくよりたるを見ればさるて猿にもあらず

京山人百樹刪定 岡田武松校訂 北越雪譜 鈴木牧之編撰

赤字強調は引用者。

だから、概念的である。したがって、漢字が難しい。
西村さんに褒められるような気がする。

ピュタゴラス教団はそれを数字で表した。それが命題計算である。いつも言うことだが、数学の一つの源流に命題(言葉)があった。数詩(順序)から派生した「読解」、帳簿記録(突合)から派生した「表解」、うらない(巡回)から派生した「盤解」、作図(開閉)から派生した「図解」の4源流の最初である。今「順序」と書いたが、ここでは命題のことである。

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民話に於ける数の種類と役割(1)先行研究と日本民話に於ける数の用法 (竹中彌生教授 Martin A. Foulds准教授 退職記念号)

4は「不明」ということで、日本の「よ」ならば、これは混成を意味していたようで、対概念から「や」は広がる様だが、そもそもの話としては、占い博士たちの学究から発展したのかと思しき群的な抽象操作(対概念の入れ替え操作)だから、コミュニタスcommunitus な論証に用いる、ソクラテスアマルガムamalgameな中間項に匹敵する話で、なかなか誇ってよいことだと勝手に謳っている。

ひぃ,ふぅ,みぃまで足し算で済むが、よからは済まない。掛け算にいつ気付いたかは知らないが、それをべき乗と理解したのか興味深いところだ。なにしろももの次はよろずだ。順番に名を付けることをしていた。これは抽象概念なので中国に学んだと思う。一方、インド人はゼロを発見したと言われているが、実は、ゼロは「シューニャ」( サンスクリット語: शून्य, śūnya。うつろな)だったのであって、それを簡略化してゼロにしてしまったが、これは lack(of)であり、目的語を通じてenoghと連関を為すのが本義で、示(vector)/含(scalor)の両義的なところが哲学的に画期的であって、計算の便宜以上の内容を持っていたため、インド数学は驚くべき発展を見せていた。和語で謂うなら、白/黒、名(虚)/実 の両義で、前者は(青/赤を含む亜化回転ーヒを基礎概念に、白→赤→黒→青→白ーとして実証的に4!色を関係づけたうえで)

 

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ー私は、この自然のサイクルの原理に従っていると思います。

 

前者は0を後者は7の理解を生んだのではないかと思う。したがって、和語にもゼロが少なくとも概念上は「在った」のだ。ちなみに、縄文人は、土偶に10進法を刻んでいたと解釈する説があるらしく、後年、算額を奉納したことを考えると、興味深い。
※古フランス語。100年戦争のころの1400年代に出てきた言葉らしい。古ギリシャ語がとamalgama。フランスがイギリスを支配して、英語をフランス人に使いやすいよう合理的に変えてしまったころだ。爾来、イギリス人は、「合理的な英語」を支配地域に押し付ける癖がついてしまった。

著者の清美節子先生は面白いことを書くと検索してみたら、日本エドワード・サピア協会という学会に属しているらしいことがわかった。

1921年(引用者注:大正10年)、「使用する言語によって人間の思考が枠付されている」とする新しい言語観を発表する。

エドワード・サピア - Wikipedia

ただ、所謂「サピア・ウォーフの仮説」は

現代の言語学(言語科学)の主流派であるノーム・チョムスキースティーブン・ピンカーなど生成文法に近い立場からは、言語的相対論は批判的に扱われ、非科学的な理論とされることが多い。

言語的相対論 - Wikipedia

とのことであるので、取り扱いに注意を要する。

エドワード・サピア 1884年明治17年)1月26日 - 1939年(昭和14年)2月4日
ニールス・ヘンリック・アーベル  1802年8月5日 - 1829年4月6日
カール・グスタフヤコブ・ヤコビ 1804年12月10日 - 1851年2月18日
元良 勇次郎 安政5年11月1日(1858年12月5日) - 大正元年(1912年)12月13日

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藤澤清造と同時代の人で、フランツ・ボアズの弟子であり、コロンビア大学に学び、のちにシカゴ大学からイェール大学へ行った。フランツ・ボアズはユダヤ人で、彼らのうちでも学識を有する人たちにありがちと言ってよいのか一度数学に関心を持ってから、言語学へ向かうのだが、その間に、審美学、カント哲学、心理(精神)物理学へと興味が転々としていたらしい。

 

フェヒナーの金字塔であるが、Inは自然対数を著している(S=K logI)。夏目漱石に数学の知識があれば、F+f と言わずに済んだ。
つまり、微分(して「(経済)成長」に)すれば好いだけだったのだ(しかし、それはゴッセン/ジェボンズからワルラスを経てシュムペーターまで待たなければならなかった)。

実際、フェヒナーは、死後の世界を研究し、まるで護教的な言葉を残しているが、これは、『非宗教的かつ経験主義的な立場から死後の世界を考察』したらしい。要は、近代主義である(グスタフ・フェヒナー - Wikipedia)。

関係ないが、リーマンが素数の存在に関するリーマン予想を発表したのが、1859年であった。1901年(明治34年)にコッホがそれについての何かしらの証明をしたのち、コッホ曲線を著したのが1904年(明治37年)だが、この年に、日露戦争が始まり、清で最後の科挙が行われたらしい。アメリカのロサンゼルスに東本願寺の寺院が建ち、セントルイスの万博でハンバーガーが売られた。なんとも不思議な年である。
夏目漱石の主張した還元的感化は還元的環化 reductive cyclization からの着想だったろうかと思うが、要は、漱石は数学が苦手だっただろう。

アウグスト・ケクレ - Wikipedia
混成軌道 - Wikipediaは、四平方定理 - Wikipediaと関係があるようだ。

すなわち、漱石の夢とケクレの夢のことである。『夢十夜』(1908年・明治41年)、『羅生門』(1914年・大正4年)『藪の中』(1922年・大正11年)、『根津権現裏』(1922年・大正11年)、『機械』(1931年・昭和6年)と比べると、夏目漱石は早熟で、哲学に自覚だったからだろうが、ケクレの仕事は1850年代乃至60年代で、フレーゲラッセルは1900年初頭のことであるから、影響を受けるべくして受けているとも考えられる。こうしてみると、芥川龍之介は随分と誤解されているように思う。

 

さて、ギリシャ人は数字で表し、中国人は漢字で表した。中国人が抽象化能力で劣っているわけでない。ギリシャ人は神秘的で、中国人は明証的乃至公信的なのだろう。ギリシャ人は海路を行き、中国人は陸路を行く、交易の歴史を持っていたが、それが関係したかは知らない。

播州そろばんの歴史

「数字」には付属の説明が必要となるのが特徴だ。「数字」を選んだ以上は文章を選ぶことと等しい。そうでない漢字は孤立語と呼ぶのにふさわしい。算木は中国で発達した(算木 - Wikipedia籌算 - Wikipedia)。

日本語はもちろん中国語でないので、接辞を用いて文を流してゆく。込み入った荷(漢字)を運ぶ舟のようなものだ。
しかし、それを読むとなると、そこで淀みができる。
その淀みに狷介な性分を重ねるのが文体の流儀なのだろう。

漢字の覚え方 肙: 風船あられの漢字ブログ

漢字は正に内包であって、然るべく、概念であったのであった。

この間の事情を論理学では内包(intension)と外延(extension)との対応という考え方で説明するのが一般的である.つまり思い切って言ってしまえば,性質(条件と言っても,あるいは,概念と言ってもおなじことだが)が内包で,その性質を持つものの集まり(集合,あるいはクラス)が外延である.

P6 1基礎知識,フレーゲデデキント・ペアノを読む,足立恒雄

今ならばさしづめ、コーデックとコンテナのようなことかとも思うが、

コンテナ形式の動画は、圧縮された映像と音声が箱の中に入ったようなものと考えればわかりやすい。たとえば、コンテナ形式がMP4、ビデオコーデックがH.264、オーディオコーデックがAACの場合、図のような構造になる。

P92 COLUMN 動画のコンテナやコーデックって何?,You Tubeニコニコ動画をDVD&ブルーレイにしえTVで見る本2021,三才ブックス

文中『図のような』には段ボール箱に各コーデックを詰める意匠が描かれて在るのを見ると、in(tension)/ex(tenrion)の想像と反対になる。
なるほど漢字は忽然として在るし(孤立語 - Wikipedia)、数字は曲りなりにも在り得可うべし(屈折語 - Wikipedia)。
西村さんは能く日本語(膠着語 - Wikipedia)を扱ったということなのかもしれない。