シンどろろ ⑬

 

 

生活中心の決定 - 国立国会図書館デジタルコレクション

日本教育学原義 - 国立国会図書館デジタルコレクション

ハイネ氏独逸宗教哲学史 - 国立国会図書館デジタルコレクション

仏教とグノーシス主義 - Wikipedia

Buddhism and Gnosticism - Wikipedia

『英霊の声』と「仏教とグノーシス」は、偶然だろう、同じ1966年であるらしい。

暁烏敏の唯霊論はなぜ、「唯識論」と言われず、三島の唯識はなぜ、「唯霊」と言われなかったのだろう?
暁烏敏が『生活中心の決定』で説明している「唯心」はアリストテレスと同じ原因論であるが、唯霊論はそれを超えるらしい。

In any event, one can see that Aristotle’s initial contrast between matter and form grows quickly complex once hylomorphism leaves the domain of change. Although introduced as contrastive notions suited to explicate change and substantial generation in the absence of generation ex nihilo, any easy contrast between form and matter turns out to be difficult to sustain once it finds employment in its further applications. Even so, as Aristotle implies, and as many of his followers have affirmed, hylomorphism proves no less elastic than explanatorily powerful across a wide range of explanatory roles.

Form vs. Matter (Stanford Encyclopedia of Philosophy)

Chat君に聞いてみた。

 

hylomorphism is considered to be what?

Hylomorphism is considered to be a philosophical framework or theory that was developed by Aristotle. It posits that all things in the physical world are composed of both matter and form. According to hylomorphism, matter represents the potential or underlying substance of an object, while form represents the organizing principle or essence that gives that object its specific characteristics and functions. Matter and form are inseparable and together constitute the complete substance of an entity. Hylomorphism is often applied in the fields of metaphysics, philosophy of mind, philosophy of biology, and philosophy of science to understand the nature of objects, their composition, and their mode of existence.

—日本語で

ハイロモルフィズムは、アリストテレスによって発展された哲学的な枠組みや理論とされています。それによれば、物理的な世界のすべてのものは物質と形から構成されているとされます。ハイロモルフィズムでは、物質は物体の潜在的なまたは基盤となる物質を表し、形はその物体に特定の特性や機能を与える組織の原理や本質を表します。物質と形は分かち離せず、共に対象の完全な実体を構成します。ハイロモルフィズムは、存在の性質、構成、および存在の方法を理解するために、形而上学心の哲学、生物学の哲学、科学の哲学などの領域でよく応用されています。

アリストテレスの目的論を説明してください

アリストテレスの目的論(テレオロジー)は、彼の哲学体系の重要な要素の一つです。目的論は、自然や生命の現象を説明するために目的や目標の概念を用いるアプローチです。

アリストテレスは、すべての存在にはそれぞれの目的や目標があり、それがその存在の本質や最終的な目的であると考えました。彼にとって、物事の本質はその目的によって決まり、それぞれの存在は自然的な成長や変化を通じてその目的を達成しようとする傾向を持っています。

例えば、アリストテレスは生物の観点から目的論を適用しました。彼は生物の特徴や機能をその目的によって理解しようとしました。たとえば、鳥の羽は飛ぶために進化し、植物の根は水や養分を吸収するために発達したと考えました。生物の構造や行動は、それぞれの生物が生き残りや繁殖を目指して進化してきた結果として形成されたという考え方です。

アリストテレスの目的論は、自然現象や生物の特性を説明するための重要な枠組みとなりました。彼は目的論を自然哲学、生物学、倫理学政治学などの分野において応用し、宇宙の秩序や倫理的な善の理解に役立てました。また、彼の目的論は後の哲学者や科学者にも影響を与え、長い間重要な思考枠組みとして受け継がれてきました。

 

アリストテレスは魂を形相、肉体を質料と考えた。

アリストテレスのエイドスとヒュレーの分かりやすい例を知っているかた教えてく... - Yahoo!知恵袋

面白い間違いである。肉体は魂の入れもので、魂が本質である、と考えたとき、本質は現れるものであるが、(世界)精神に規定され変化によって現れる契機であるならば、ヘーゲルに、目的に規定され変化をもたらす規範であるならば、アリストテレスに近づく。

契機(けいき)とは? 意味・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書

アリストテレスにとって魂は或る目的が肉体として具体化する制限のことだ。だから単に「四角い」ということではない。肉体はそうあるべくしてそうあるとき、この「べき論」の起因を「目的」と呼び、経緯が表現形式を持っているとき「形相」と呼ぶ。物的原因は「形相」を通じて「質料」となる。
すなわち、魂は肉体の根源ではなく規範であり、肉体は魂の表現ではなく結果である。

  1. 魂は根本である。
  2. 肉体は個別で在り、心が肉体と共に滅びる時、心も個別である。
  3. 心が個別の時、心は根本となることができない。
  4. 唯心論の心は、深いところから いづる 、普遍的な心である。
  5. 即ち霊である。
  6. 唯心論は、より深まると、唯霊論である。

これはさきほどから見ているとおりアリストテレスと関係がないだろうか。
いや、アリストテレスの変化論と階層論を受け入れていると考えられる。アリストテレスが4元素論に立ち、原子論に立たないのは、元素は組成と階層を経て変化するからである。
これは非常にトリッキーで2つのレベルを同時に語っている。

  1. 心は魂になる
  2. 心は霊になる

「目的」「可能態」「現実態」と、「深さ」に応じて変化すると、平仄が合う。肉体と共に滅びるのは「現実態」である。
アリストテレス暁烏敏の違いを考える。

 

アリストテレスは神を信じていましたか

はい、アリストテレスは神の存在を信じていました。彼の哲学における神は、最上の存在であり、全ての運動や変化の原因であると考えられています。アリストテレスは「アクテュアス・パーズ(Actus Purus)」という概念を用いて神を理解しました。アクテュアス・パーズは完全な実在であり、全ての潜在性を実現し、変化しない存在です。彼は神を純粋な思考や自己思考の存在として捉え、理性的な実体であると考えました。

アリストテレスの神観は、彼の哲学体系の中で重要な位置を占めています。彼は神を宇宙の根源や最終目的と結び付け、自然の秩序や目的論的な観点から神の存在を論じました。神は彼にとって、全ての知識や真理の源であり、宇宙の運動や変化を支配する不変で完全な存在でした。

ただし、アリストテレスの神観は宗教的な信仰とは異なる点もあります。彼の神は純粋な知性や理性の存在として捉えられ、個別の信仰や崇拝の対象ではありませんでした。また、彼の神観は理性的な推論や哲学的な論理に基づいているため、宗教的な信仰や神秘的な要素は含まれていません。

したがって、アリストテレスは神の存在を信じ、彼の哲学体系の中で神の役割と性質について論じましたが、その信仰は宗教的な信仰とは異なるものでした。彼の神観は知性と理性の存在として理性的な論理に基づいていました。


或いは、アリストテレスではなく、プラトン(乃至新プラトン主義)だろうか(アリストテレスプラトンの考えも受け継いでいるので、アリストテレスを通じて、中途半端に、プラトンを見ている体だろうか☟noe)。
そう考えた場合、所謂「トン・ヘ」(流出論)で、それはアリストテレスではない。心は霊という根源と魂という側面或いは格を持つこととなる。このとき、一者から出(いづる)心は、個別でもある。〈芽〉の比喩で説明されるところである(一者の霊→個別の魂。ともに心である。)。しかし一方で、暁烏敏は「なる」「できる」という述語を使っている(心は魂の〈芽〉でありそのうちどうにかすると魂に「なる」のであろうか)。それについて言語学的な詳解がないのもあって、この群衆向けの簡易なパンフレット(説明文)からは理解に至らない。
ただ、暁烏敏は「唯物論」と「唯心論」と「唯霊論」を挙げ

  • この三つの見方があるが、そんならその中の何れが真理だらう

と述べている。これは仏教の鍵概念となる「真理」を用いた重要な指摘である。それは「見方」であり、「何れ」に対して問答が立てられている。「唯」が排他的選言を指向しているはずであるが、この3概念に関しては「そういうこと」ではない、と暁烏敏からは読めるように思える。

 

「三島の「道徳紊乱」の感想は、石原の「価値紊乱」の反論を受けて、「ストイシズム」に変化しただろうか。」

markovproperty.hatenadiary.com

tezukaosamu.net

1967年に『どろろ』は連載を開始する。

tezukaosamu.net

戦前の「生活」は、国家主義と「唯霊」のナチスへの接近により、本来顧みられなくなっても不思議ではなかった。
三島も霊に立ち返ったが、「唯霊」と言ったように聞かない。
一方、昭和元禄を文化面で支えた手塚治虫は、いかにして「生活」を復活させたか。


☞note
そうか、アリストテレスって、形相と質料とか有名だけれど、そういうことを言っていたのか。 本当、インターネット以降、知の革命でも起こったのか、全然違う理解になってきたんじゃないかな。特に自分が。 魂のイメージとしては「構造」に近いけれど、何しろ、原子論を採ってないから規範だよね(ベンサムで問題になった、「ある」と「べき」の混同って、結構根深い)。アリストテレスは、実は「べき論」だから、根底に「目的」が要る。そういう極めてロジカルな関係だ。すなわち、「目的」「形相」「質料」「元素(第一起因)」「論理」が全部ちゃんと繋がっている。「変化」は言われないけれど「実在」との関係で重要だ。原子論でなく、論理(弁証)的な実在論だ。

アリストテレスが(三段論法によって)「新しいものが生まれる」(『ロジコミックス』)と言ったのはレトリックではなくそのままの意味だったようだ。この飛躍が変化のことである。この「弁証的な実在論」が画期的で、ソクラテスから受け継いだ「科学」(ソクラテス・メソッド)だったようだ。「論理」(ただし、弁証)を採用するときそれが可能だったのだ(それが神でもある。だから自然科学とは異なるが、目的論にして経験的である。アリストテレスの論理の神は、ピュタゴラス教団の数の神と比較すると興味深い。また、プラトンにとって「数」とは2以上で在り、アリストテレスにとって「数」とは1以上であった。〈芽〉と〈鏡〉の違いだろうか。本質乃至本性と偶有性に関わってくる)。その点で、明らかに、プラトンと異なる。

このとき、「唯心」と言ったり、「唯霊」というと、「唯」の定義で、この「目的」との関係が曖昧になるように思えるが、いかがか。