今でもみんなプレミアム商品券が大好き

蓮如は、本願寺が信長に負けたせいか、過小評価されていると思う(数ある宗派、宗教の中で、蓮如だけ評価するのも変と言えば変だが)。

逆に言うと、信長は評価され過ぎなのだが。

面白いのは、前田家に支配されると今度は、新井白石が出る。

悪銭・古銭の近江商人譲りの講(生活金融)経済圏から、良貨による国際経済(朝鮮人参のマーケット※)への維持へと向かう。

朝鮮人参が馬鹿にできるかというと、明治期の、アヘンーヘロインの国際取引の世界支配構造に繋がる。日本史は「リベラル」でも国家主義で、国際貿易論が弱いと思う。
国際貿易=中国、朝鮮、イギリス、オランダと国家単位なのだ。
これが「国家主義」でなくて、なんなのか。
実は、歴史に「リベラル」が居ないかもしれないという事実。

本願寺勢力を大勢力にした蓮如上人(本願寺蓮如)というカリスマ法主 – 武将人物情報・史跡情報「歴史観」

蓮如を「カリスマ」と持ち上げるのはあんまり賛成できない。

傑物ではあっただろうが、「成り上がりストーリー」の背景がぼやける。
やっぱり、興福寺を無視できない。既存勢力がパワフルだったから、それに乗っかったって面もある。既存巨大組織の支部レベルの競争がますます激しくなる中で「勝ちあがった」という方が実際に近いのではないかと思う。それはひとえに荘園支配の「名目」ゆえに実態を争う(余地が生まれる)特殊性によるもので、支配地の排他性が確立するとともに、時代も変わってゆくんじゃないかね。自治はその狭間で最盛期を迎えるのであって、その意味では、加賀の一向一揆も変わったところはないように思う。
信長、謙信、蓮如と比較したうえで、

 蓮如戦国大名にならなかったのは、なぜか

がこの時代を説明すると思う。


越前の長禄合戦,第二章応仁の乱への道,P.65,呉座雄一『応仁の乱

越前の国河口荘。越前守護代甲斐常治(守護請)。代官甲斐八郎五郎。甲斐八郎五郎との交渉役楠葉元次。越前守護斯波義敏敦賀代官大谷将監。

越前守護斯波義敏と越前守護代甲斐常治の合戦(越前の長禄合戦)。

甲斐八郎五郎は加賀へ遁走。

ところが、使者に幕府の命令書を持たせて越前に派遣したところ、越前北部を実効支配していた堀江利真は「義敏様の御命令がなければ、河口荘への直務代官の入部は許可できない。我々が管理する」と拒絶した。これは、尋尊・経覚にとって予想外の展開だった。

P.66,『応仁の乱

「理由はどうであれ謀反にほかならない」(P.66)。しかし、甲斐氏は「つまり、幕府の直臣に近い扱いを受けていたのである。」(P.66)「大守護の勢力削減に努めた。」(P.67)

河口荘10郷のうち、直務5郷、守護請5郷(大乗院尋尊から「あてがわれ」(P.65)た経覚の所領)になる。
「直務」は興福寺の直営。

地方の荘園を整理しないとよくわからない。
堀江利真はどういう存在で、支配地はどこだったのか。

赤穂事件を思い出して面白い。