加賀の一向一揆は、意外なほど、面白いというね。

つまり、全国支配をする畿内の状況を反映しながら、京へ向かう流通の道程に於いては撰銭/不作の環境の中で、(反グレシャム的な)独自経済圏の中で生活を営み、中世と近世を繋ぐ過渡的な自治を形成した様子がうかがえるというね。しかし、堺ほど発展する契機を欠いていたがゆえに、むしろ、後の島原の乱のような抗戦を最後まで続けたのではないか、と。近江の堅田山科本願寺は加賀の一向一揆を考えるうえでも、鍵となるような気がする。