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あらためて『リヴァイアサン』を読んでみたら、そういう話じゃなかったというね。

昔から、アンチョコ読んでても、ホッブスの理解って持て余すようなところがあって、不思議だったんだけれど、やっぱりそうだよなって。

簡単に言ってしまうと、ホッブス、ルソー、ロックって、全員、立ち位置が違うから、ひとつにまとめるのが、奇妙なんだよね。

ホッブス 政治家
ルソー 作家
ロック 学者

くらい違うんだよな。ホッブスが実際に代表として議会に出たかはまだ調べていない。
ここで謂っている「政治家」とは文体のことである。まるでそうだということだ。
ホッブスとルソーって、おそらく「言う目的」が全然違うんだよ。
それを無理やり、「社会契約論」でまとめているんじゃないかと思う。

ホッブス 政治家 キケロマキャベリ)ボダン(ポリティーク)、グロチウス戦争と平和の法)、メッテルニヒ(コングレス・システム)、クンツェ(合同行為論)、カント(永続平和論)
ルソー 作家 (ミゲル・デ・セルバンテスダニエル・デフォーゲーテバルザック
ロック 学者  

なんじゃないか、というね。したがって、

ホッブス 政策
ルソー 物語
ロック 理論

くらい違うんだよな。


だから、ホッブスの『リヴァイアサン』って、政治パンフレットに近いよね。
ホッブスの「闘争」って、観察に基づくレトリックだよね。要は(今は)「動乱期」乃至「戦国時代」の様相だってことで。

ホッブスの「社会契約」は実質「国際条約」だよね。
主権というアイデアが初めて出て来たに、「コモンウェルス」がまさに目の前にあって、或いはメッテルニヒの「コングレス・システム」や後の「カントの永続平和」と比肩されるような具体的なアイデアだったと思う。
小沢一郎が主張したことだけれど、(国連への)主権の(一部)譲渡を含む、事実上の「世界政府」の構想で、そこでは主権に変わって、人権が支配の基軸になる。

このとき、スーフィズムの影響があったかもしれないと読んでみたけれど、そんな思想の話じゃなく、むしろ、アリストテレスの『形而上学』をこき下ろして、その非現実的な内容を一切認めていなかった(それどこころ、自然学についても、後の「重力」のを先どるような「地球の中心への「努力」」も認めなかった。なぜなら、ホッブスにとっては、万物はオブジェクトに過ぎないからだ。モノが「努力」するはずがない。おそらくホッブスの考えていたことは「影響」のことなのだ。つまり、徹底した機械論であり、おそらくエーテル論で、何かの「影響」がなければ「下に行く」なんてことが「起こらない」のだ。それは人間についても言える。人間というモノが自ずと「努力」するなんてないのだ。モノにあるのはモノであることだけである。これを自然権と言う。すなわち、現にそこにモノがある以上、「ある」ことが認められているのである。自然法という導きは、その上での、「影響」なのだ(☟note)。
そうであれば、ホッブスが「自然状態」と呼んだのは、ローマ人ならばローマ法に遵うと言った話で、実は、それで「よい」と言っている。問題はイギリス人はローマ人でないことで、自然状態ならば、当然に戦争となるが、平和のために契約を締結すべしということである。これは決してローマ人がローマ法を棄てることではない。ローマ人がローマ法を棄てるのなら、法自体が信用できないので、契約を守るはずがないからだ。契約が守られるに 足る 、、 ためには、ローマ人はローマ法に遵うべきである。

この利益の共有がコモンウェルスと呼ばれる。
なんのことはない。国際法である。ただし、統治機構をそこに含む。

つまり、帝国である。

ChatGTPに聞いてみた。

—Why did the British respectfully refer to the Kingdom of Poland and the Grand Duchy of Lithuania, which existed from the 16th to the 18th centuries, as the "Commonwealth", even though the Poles did not believe so?

The use of the term "Commonwealth" to refer to the Kingdom of Poland and the Grand Duchy of Lithuania (Poland-Lithuania) during the 16th to 18th centuries can be attributed to the unique political and historical characteristics of the union, as well as to diplomatic conventions of the time. It's important to note that the term "Commonwealth" was not necessarily intended to reflect the beliefs of the Poles or the inhabitants of Poland-Lithuania but was rather a description of the political structure and the shared governance of these territories.

Here are some reasons why the term "Commonwealth" was used:

  1. Political Structure: Poland-Lithuania was a federal state that united two separate entities, the Kingdom of Poland and the Grand Duchy of Lithuania, under a shared monarchy. This unique political arrangement involved a complex system of governance, with a dual monarchy, a common parliament (the Sejm), and a nobility-dominated political system. The term "Commonwealth" was used to describe this political structure, emphasizing the shared governance and cooperative aspects of the union.

  2. Historical Precedence: The concept of a "Commonwealth" in European history referred to a political entity in which different regions or states shared certain aspects of governance while maintaining their individual identities. This concept had historical precedents in Europe, and the term "Commonwealth" was used to align Poland-Lithuania with this tradition.

  3. Diplomatic Recognition: European powers and diplomats used the term "Commonwealth" as a diplomatic convention to refer to Poland-Lithuania. It was a way of acknowledging the political entity and its unique character in international diplomacy.

  4. Multinational and Multiconfessional State: Poland-Lithuania was a multiethnic and multireligious state, encompassing various ethnic groups and religious communities. The term "Commonwealth" highlighted the inclusivity of the state and its recognition of diversity.

While the Poles and the inhabitants of Poland-Lithuania may have had their own perspectives and beliefs about their nation, the term "Commonwealth" was widely used in European diplomatic and historical contexts to describe the political structure and characteristics of the union. It's important to recognize that the use of this term was not necessarily intended to reflect the internal beliefs or opinions of the people within the state.

なぜイギリス人は、ポーランド王国リトアニア大公国ポーランド・リトアニア共和国とも呼ばれる)を、ポーランド人自身がそうではないと信じていたにも関わらず、「コモンウェルス」と尊重して呼んでいたのでしょうか?

16世紀から18世紀にかけて存在したポーランド王国リトアニア大公国ポーランド・リトアニア共和国)に対する「コモンウェルス」という用語の使用は、この連合の特異な政治的および歴史的特徴、および当時の外交的な慣習に起因します。重要なのは、「コモンウェルス」という用語が、ポーランド人やポーランド・リトアニア共和国の住民の信念を反映するものではなく、むしろこれらの領土の政治構造と共同統治を表すものであったことです。

以下は、「コモンウェルス」という用語が使用された理由のいくつかです:

  1. 政治的構造:ポーランド・リトアニア共和国は、ポーランド王国リトアニア大公国という2つの別々の実体を共有の君主のもとに結びつけた連邦国家でした。このユニークな政治体制には、二重君主制、共通の議会(セイム)、貴族主導の政治体制が含まれており、この連合の政治構造を表すために「コモンウェルス」という用語が使用されました。これは、共同統治と協力の側面を強調するものでした。

  2. 歴史的な先例:ヨーロッパ史における「コモンウェルス」の概念は、異なる地域や国が一定の統治の側面を共有しながら、個々のアイデンティティを保持する政治実体を指しました。この概念はヨーロッパの歴史に先立つものであり、この連合をヨーロッパの伝統に合わせるために「コモンウェルス」という用語が使用されました。

  3. 外交的な認識:ヨーロッパの大国や外交官は、国際的な外交においてポーランド・リトアニア共和国を指すために「コモンウェルス」という用語を使用しました。これは、この政治実体を認識し、国際外交におけるそのユニークな性格を示す方法でした。

  4. 多国籍および多宗教国家:ポーランド・リトアニア共和国は、さまざまな民族グループや宗教共同体を包括する多民族および多宗教国家でした。この用語は、国家の包括性と多様性の認識を強調しました。

コモンウェルス」という用語の使用は、ポーランド人やポーランド・リトアニア共和国の住民の内部の信念や意見を反映することを意図したものではなかったことを認識することが重要です。この用語の使用は、この連邦国家の政治構造と特徴を説明するために、当時のヨーロッパの外交的および歴史的な文脈で広く使用されました。)。

webcatplus.nii.ac.jp

すなわち、ホッブスは、リアリティのある話を「流暢」に「聞かせて」いたのだ。
かつてのキケロ―のように。


ameblo.jp

合同行為論について ―岡松参太郎博士の所論を中心に— 中山 知己

合同行為と契約の区別がつかないとしたら、約因論が欠けているためではなかろうかと思うのである。


note

ガザ―リーは、天体の運動について、3つの可能性から哲学者に反論する。

われわれはいう。運動の要請が対象そのものであって、場所に向かうためではない、ということは不可能ではない。何がそれを不可能とするだろうか。彼らが述べたことは、他の可能性よりも蓋然性が高いと考えるとしても、他の可能性を否定するほど確定的なものではないことが明らかとなった。こうして、天体について、それを生き物だとする判断はまったくの独断であり、何の根拠もないということになった。

p.239,第十四問題,〔第一部〕,哲学者の自己矛盾

まさに天体の運動について「哲学者の自己矛盾」を指摘したようだ。

ざっと読んだところでは、

  1. エーテルの可能性
  2. 神の意思による万有引力の可能性
  3. 運動が天体の属性である可能性

のような気がするが、気がするだけである。難しくてよくわからない。

2のときに、質点の特定を役割とする属性の定立について説いている。

3のときに、引力と斥力について述べて、それを回転から説明していると思うが、哲学者がそれを別々のことと考えるのは、哲学者自身が否定する場所の数的な分割から矛盾すると説く。

要は、「中心へ向かう「努力」」とするときの、自由と独立(自立)と分割を否定しているのであって、それは、強制であり、無差別であり、統一的な運動自体が天体の属性であると述べていると思う。また、そのとき、それらが欲求で理解されるのは間違いで在り、(回転を引力と斥力で)想像することできるに過ぎないとする、と思う。

このとき、質点の特定の役割は、神の意志の役割から説明されている(ここでの証明はあくまで哲学者が「不可能である」とすることの論駁であるから、特段強調されないようだ—この時点では、「不可能」とする論拠がその可能性から無矛盾的と言えるほどには十分背理的でない、と反駁している)。

山本義隆が「魔術」と呼んだのは、おそらくガザ―リーの反論を知らなかったか無視をしたのではないかと思う。