「『源氏物語』とは何か」の政治学

源氏物語』は、(『枕草子』が葦原系、高天原系の政治教書であるのに比して※、)権門体制の成立を背景とした、「藤原家」の(正史ではない)「俗史」であると考えるとわかりやすい。道長を直接のモデルとしていても、どうもそれだけではない。不比等に遡る、「藤原家の歴史」のアナロジーである(藤原北家が編纂した六国史があるように、不比等がモデルであるともされる『竹取物語』などの物語がある※)。

源氏物語』は異様なほど文学に偏って理解されているのだ。
だから、少し、歴史学から考え直してみた。

※「四季」は日本だけのものではない、と聞いて、ピンと来るかどうかである。だから、推古外交は重要なのだ(聖徳太子の「日出処の天子」は、三段論法の、ほんの一部に過ぎない。推古こそ曙であると—否定されるべき—第一段目で主張されたのだ。騎馬民族の末裔からの「仏教伝来」とは政治的にはそういう意味である)。

※したがって、『源氏物語』が日本最初の小説と持ち上げるのは、半ば馬鹿げていると思う。極めて政治的である。

少なくとも、標準的には、

  1. 権門体制の成立
  2. 六国史の成立
  3. 物語の成立

の三方向から教えられるべきである。
文学研究は、この観点から見た場合、いきなり専門(個別領域)的(したがって、政治的)に過ぎるきらいがあって、バランスを欠いている。


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「いずれの御時にか」であって、天皇周辺の或る一族の歴史的な物語である。
それは真名に仮名があると拘ったように、形式論として、北家の出として、正史には俗史があり物語があるとの拘りであったように思う。

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余談ですが、妄語戒がそのように解釈されていた時代には、「紫式部は作り話を書いたせいで地獄に落ちた」みたいなことも広く信じられていました。

大鏡・今鏡・水鏡・増鏡の「四鏡」にはそれぞれ何が書かれている? - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

紀伝体 - Wikipedia

編年体 - Wikipedia

日本三代実録 - Wikipedia

六国史編年体である一方、『源氏物語』は、もちろん、「いづれの御時にか」であり、それは否定されている(「いづれ」による時間軸の措定の否定でなお、「御時」による人物主体の—紀伝的—物語の措定の二重性と同時に、天皇が物語上の主体であることの否定。当時の歴史的時間が「天皇の治世」として系列化されていたことの反対効果。これほど効果的な始まりはなく、その点『枕草子』と双璧であるが、紫式部の才能をいかんなく発揮している)。
そういうことが大事であると思う。