オッペンハイマー事件と反共主義者フォン・ノイマン

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ノイマンを登場させていたら、キャラ強いからね。

  1. 愛国心にあふれるノイマンは、市民権を取得をして早速、陸軍兵器局予備役士官試験を受けて「陸軍組織試験」「陸軍規律試験」でともに満点を取り、最終試験を残すのみと成ったが、陸軍の試験の作成が間に合っておらず、翌年に持ち越された結果、最終試験でも満点を取ったにもかかわらず、士官任用に関する35歳未満の年齢制限に引っかかって申請を却下された。ノイマンは前年の12月に35歳になっていた。
  2. 「標的委員会」でノイマンは全科学者を代表して出席している
  3. プリンストン高等研究所で爆薬研究の技術面の最高責任者と成った(国家非常事態管理局関連)。そのほか、「国防研究協議会」顧問に就任し、「科学顧問委員会」委員に任命され(戦争省)、また、海軍兵器局の要請により衝撃波の研究を行い、そのためのコンピュータ開発を進めた
  4. ちなみに、ノイマンは、皇居への投下には断固反対し(戦後統治が難しくなる)、一方、京都への投下を強く主張した(歴史的文化的価値が高いため、継戦意欲を殺ぐ)。

ノイマンは、コンピュータの開発でもそうだったけれど、純粋な科学者である以上に、他機関との折衝が得意な、極めて優れた官僚的能力があって(大向こうを唸らせる資料作りが抜群にうまい。)、オーガナイザー、或いは、ボスの顔を持つし、ほかの科学者と異なりいちいち悩まなかったとも(☞P.97,『囚人のジレンマ フォン・ノイマンとゲームの理論』)。

こんなエピソードがある。ノイマンはENIACのディケードリングカウンターのプロトタイプを見て「真空管は10本もいらない。5本で足りるではないか」といった。エッカートが「それは無理です。どうしても10本必要です」というと、「では、説明しよ う」とノイマンは黒板に回路図を描き始めた。その回路図は正しかった——論理的には。「やはり無理です」とエッカートは反論した。「そのやり方では、最初の真空管が1マイクロ秒以内に発振できません。インバーターが必要になります。そのため、余分に真空管が1本ずつ必要になってきます」。つまり、真空管の性能が優れていれば、ノイマンの考えは正しかった。ところが、そんな鋭敏な真空管というものは存在しなかったのだ。議論を戦わせた後、ノイマンは素直にこういった。「なるほど、君のいうとおりだ。確かに真空管は10本必要なようだ。5本はロジックに。5本はエレクトロニクスに」。

牧野武文.真空管と十進法:世界初のコンピューター、ENIACレトロハッカーズ(p.30).MakinoTakefumi.Kindle版.

そんなノイマンでもゲーデルには一目置いていた。ノーベル物理学賞を受賞したプリンストンの重鎮ウィグナーは「天才とは 私たち、、、 ではなくただひとりノイマンだ」と言ったが、ノイマン自身は「天才とは私ではなくゲーデルだ」と言った。でもオッペンハイマーに対してはどうだっただろう?

ENIACの開発はノイマンが主導権を握ることで、自由な雰囲気は失われた。

それがノイマンが関わるようになって、やたらにミーティングが増えた。進捗状況が報告され、次の課題が設定され、地位によって決定する権限が定まっていき、分業体制が確立したフォーマルな空気になっていったという。

牧野武文.真空管と十進法:世界初のコンピューター、ENIACレトロハッカーズ(pp.30-31).MakinoTakefumi.Kindle版.

やがて、 天才的な官僚として、、、、、、、、、 110頁に渡る「EDVACに関する報告書——草稿フォン・ノイマン著」をまとめて、科学者に配った。実は、ノイマンのアイデアとは限らない、またノイマンのアイデアではない核心的な内容も含まれていた(前者は「コンピュータ」の本質を為すプログラム内蔵方式であり、後者は水銀遅延線メモリーである)。

あと、

  1. 「いろいろな職場で秘書のスカートを覗き込む癖があったので、机の前を段ボールで目張りする秘書もいたという。」(P.88,『ノイマンゲーデルチューリング』)

もろもろ映画にしにくい。