紫式部事件

本居宣長は、一方で歴史文脈からの評価、一方で折口信夫との比較から評価されるべきではなかろうかと思っている。
要は、源氏物語を『もののあはれ』からのみ評価するのには違和感を覚える。

一条天皇が作者を褒めて』云ったことが面白くなかったとあるが、紫式部には嫌味に聞こえたのか或いは文化人として名高い一条天皇の無理解に失望したのではなかったか。すなわち、「日本書紀じゃなくて古事記だろ」と。

「内裏の上の源氏の物語人に読ませたまひつつ聞こしめしけるに この人は日本紀をこそよみたまへけれまことに才あるべし とのたまはせけるをふと推しはかりに いみじうなむさえかある と殿上人などに言ひ散らして日本紀の御局ぞつけたりけるいとをかしくぞはべるものなりけり」(『紫式部日記』)
https://ja.wikipedia.org/wiki/紫式部#日本紀の御局

そんなことを考えるのは自分だけなのかな?と不思議に思っていたら。
杉浦一雄という先生が『源氏物語』と『古事記』の類似性を指摘しているらしい。
物語論であるが、紫式部の当時、『古事記』はどういう扱いだったかに注意を要する。
「偽相関」でないことを願うばかりである。研究が進んで欲しい。