【寄り道】ポストモダンとは➁

チョウチョウと生まれて始めて耳にして、奇妙に思わない日本人、、、がいるのだろうか。
自分は最初、聞き間違いかと思って問い質した。
間違いではないらしく「そんなはずがない」と衝撃を受けたものである。
その後「蝶々」という漢字があてられていることを知って、その字面の美しさにようやく安心したことであった。

カワヒラコ※1の日本人の感慨に沿う響きは、tieptiep(ティエップティエップ乃至ディエップディエップ※2)という口先で鳴らす洒落た外来語に採って変わられた。いつの時代も似たような話がある。そしてそれは便宜であるから、どんどん変化して、気付けば書き言葉と読み言葉の分離がそれぞれの二元として固定化されていた。tiepがテフと表現されていることからして、今より表現の限られていた当時の苦労がしのばれるが(フとプの区別などない。)、そのようなことは幕末にも起こった。とにかく聞こえてきた印象をありあわせの道具で「とりあえず」賄わないことには伝えられない。おたがい、そんなものか?、そんなものかと、半ば訝り、半ば許しているのである。興味が勝るということもあるだろう。融通を利かせるには逸脱を許容しなければならないが、冗談気質や滑稽を尊重する態度は社会生活において大切な資質である。侮辱に繋がらないよう気を付けられる繊細な注意の持ち主には。
※1 カワヒラコはカワホリノコ、すなわちコウモリの子との説があるらしい。
※2 一応、「てんてんー日本語究極の謎に迫る」( 山口謠司著 角川選書)書評の説を採用した(というのは、以前、youtubeでその手のことが流行ったらしくて、ムカシの人の発音を再現することをやっていたのを聴いたから)。ただ、それがtiepのことなのかは確信が無くて、というのは、ベトナム語だとTiep 語 ベトナム でどう発音するか | HowToPronounce.comなのだから、耳には、「テフ」と聞こえるのだ(ともすれば「チェフ」とも聞こえる※3)。じゃあディエップはどこ?となるのだが、やはりベトナム語胡蝶 ( こちょう ) hồ điệp/ベトナム旅行スケッチトラベル 実績20年の現地旅行会社 ベトナム旅行なら「スケッチトラベルベトナム」あったりする(実際の発音はđiệp の発音: điệp の ベトナム語 の発音)。tiepの意味はベトナム語辞書・検索ページ - ベトナム旅行スケッチトラベルなのか、tiepの意味 - ベトナム語辞書 - Weblioベトナム語辞典なのか(そこではなぜ発音が「ティップ」なのか。それどころか、tiepには「ティップ」も「テフ」も「ティエップ」も「ティフ」も「ティーフ」もある。tiếp の発音: tiếp の ベトナム語 の発音tiếpの発音 ( trực tiếp から buồng tiếp khách へ))。古代中国ではなぜtiepだったのか。いや、古代中国のtiepはベトナム人にはどのtiepで受け継がれたのか。
※3 グリムの法則 - Wikipediaのようなことに関して、外来前に起こったのか、起こりつつあるものの尾を捉えて「聞き間違い」として起こったのか、外来後の日本語内で起こったのか、ということを言っている。

いい加減なものだが、ここでは、ご容赦願いたい。  

crd.ndl.go.jp

(このほか、揚羽蝶に対して、家紋との比較から翅を伏せるものが在来種ではなかったか、と疑問を呈している人もいた。ただ、どうだろう?日本の野生動物(昆虫類・在来種) - 昆虫図鑑 - 動物図鑑 - 動物写真のホームページ。ちなみに、モンキチョウは「紋黄蝶」であって中国からの帰化種であるらしい。胡蝶(húdié)のピンイン(発音記号)と読み方: 中国語の発音インフォ。現在の中国語で「蝶」はーと言ってもどの地方かは知らないがーディエ⤴であるらしい。そうすると、ベトナム語の方が外来語として伝わった当時の発音に近いような気がする。「胡蝶」はあったが、「蝶々」はない。これも不思議な話である。そんなルールがあったのだろうか👉日本語諸方言の四モーラ畳語を比較する試みfile:///C:/Users/Owner/Downloads/ggr_e34002.pdf
UTokyo Repository - 東京大学学術機関リポジトリ
によると、蝶々はⅰⅹ群に属し『ⅰⅹ群は(名詞、副詞、感動)は所属27、参考1(ⅰ群の擬音語から生産的に名詞を派生可能)』らしい。少々、ケンケン片足飛びなど。本当かな。「ごらんなさい」「わー! びっくり」勘違いで名前を付けられたかわいそうな動物は? | GetNavi web ゲットナビの疑いが濃いのだけれど。日本人「あれなんだ」中国人「diep」日本人「tiep?」中国人「diepdiep」日本人「tieptiep」日本人学者「"d""i""e""p""d""i""e""p"(と一文字一文字表記)」日本人貴族「d-i-e-p-d-i-e-p(一文字一文字発音)」じゃなかろうかと思えてきたが、表記方法が乏しいと上に自分で書いていた。ただ「感動」というよりも「冗談(或いは、滑稽を尊ぶ気風)」乃至「好い加減」の方がしっくりくる。会話では、「あれ」と共有するイメージを指して言うよりも、「アレアレ」とイメージの想起を促す場合がある。

ジップの法則 - Wikipedia的にも「お得感」がある。つまり、一般的に「チョウ」と「アゲハ」が競合していたとすると、チョウチョウは2回カウントされて頻度を増やし、分布に占める割合を稼ぐことができる。) 

モダン社会とはポストキリスト教社会であるなら、ポストモダンはもはやキリスト教社会の残滓が残っていない社会である。「工業化」を謂うとき、その巷間の説明には「キリスト教」を必要としていないので、ポストモダン的であるが、一方で「ライシテ」と言ってしまえば、ポストモダン的ではない。それらが同時にあるのは、モダン社会である。こういう時に何が不都合かというと、「近代化」という言葉があるにも関わらず、「モダン化社会」(近代化社会)ということばがそれほど一般的ではないことである。

「モダン(近代)社会」の始まりとはいうが、始まってしまった以上、モダン社会に勘定されてしまいかねない。これが高齢化社会と高齢社会の区分と異なることで、何が言いたいかというと、傾向と目的がうまく分別されにくいのだ。そこで言われる目的は、キリスト教社会であることをやめる消極的な(後ろ向きの)目的であって、その反映としてモダンを志向している時期を経過して、その反映が残ったまま社会の変化が収まりを見せているのであるから(それが仮に病気であった場合には、「治癒」に至った状態。症状が固定化されている)、それに至った社会を「モダン化社会」と呼ぶのに違和感がある。だからと言って、それを排除して「工業化」だけで「モダン社会」を定義づけるのは無理があり、いささか本末転倒の観がある。これは「権利」や「権力」と類似して、「定義」にそぐわないのかもしれないとの注意が必要である。
こうしてポストキリスト教社会であるモダン社会はモダン化社会を欠いて、同様にしてただちにポストモダン社会に成り得るので(必ずなるとは限らない。)、書き言葉と実感が分離してそれぞれになってしまっているのではないかと思う。
ヨーロッパはいまだにやはりモダン社会だと思うし、ポストモダンなのは、アメリカや日本のような国だろうと思う。特に日本は最初から、ポストモダンオルタナティブなモダンを目指していたのが事実だろうと思う(目指していただけであって、当初は相当程度キリスト教を学んだ)。

そのうえで、戦後の流行として、ポストモダンムーブメントがあった。


掲示板で、"Bia Tuoi Tiep"とのベトナム語の意味を聞かれて、「チェコスロバキアの生ビール」飲んだことないなぁと回答した人がいた。

ベトナム語はほとんどわからないが、日本人の感覚だと「生ビールあります」か、tiepの意味をしっかり読み込んで、「生ビール尽きません」くらいの説明になるだろうか。
チェコスロバキアの生ビール」は「Bia Tuoi Tiep」の看板を掲げている(かもしれないーサイトの紹介では「店名」としてリンクが張られている)或るお店の「売り」であるようだ。

質問した人今頃苦笑しているだろうか。