肯ずる(かえ・に・す)から肯ふ/宜ふへと考える、「宜も」と(「げに」を挟んだ)「然も」との違い

 

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「尤」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習

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音からマ行〈m〉を考えることができるが、どのような意味上のニュアンスで〈m〉が選ばれてきたのだろうか?

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間/真 未/実/美 無/牟 迷/妹/目  毛/茂/尤

「宜(うべ)も」と「げに(現に・実に)」の比較から「うべもなし」を意味を受け取るときの主観性と「然(さ)も」との違い~態の分別をもとに実感の重ね合わせを表現するtoken文から抽象的なtype文へ(共同主観性としての「客観性」から、分析を導く「客観性」へ)


数学に「巨大数」という分野があるらしくって詳しくは知らないけれど、上代以前の日本語の成立を考える時、なぜか思い出す。

古代のヒトはどうやって日本語を創り上げてきたのか。

例えば、濁点を「打消」要素とみて≠で表記するなら

Ⅰべ 経(≠) 破(P)行による構成的距離 
Ⅱげ 気(≠) 彼(k)行による構造的距離

Ⅰ A ⇒ B  破から波(は・ば;伝達の有無)
Ⅱ A | B  此方と彼方(後代に、其方。kが剥落して貴方※)

と言った風に。
※反対に、mが付与されて、宜は郁子(m・うべ)に。m行は実態(の有無)に関わって当為/可能/手続/評価まで延長したような感がみられるように思うが、間(m-a)や目(m-e)のように抽象的ゆえに心理的側面もまた強いように思う。目はその場合、視線やいわゆる「目力」のことである。そうすると、述語に修飾されて、(間は)「在る」だし、(目は)「合う」である。

古代人が  寄せ寄せ、「(それは)m・o(やな)?」いや「n・o(やろ)?」とかごく少数の音から始めて意思疎通の便宜を求めていたとしたら面白い。