論理のミステリ要素

そうじゃなくて、松田青子だった。

 

なんか、読みにくいとの評価がある。

最初のセリフ、「ア行」が多いね。
これ、普段からこういう話かたしていると、相当発声に力は言っているぞ。

あなた先ほどから私たちが今いる給湯室の、社員たちが各自持ち寄ったカップをてんでに置いている流しの横のスペースを落ち着きなげに見つめてっしゃるようにお見受けましたが、そこに何がある言うですか?

『スタッキング可能』の冒頭文

これイライラをぶつけたいわけじゃないよね。
brokenな調子でしかし、ア行ではっきりと、また動詞に主体性を感じるーつまり、放って置いて欲しい。

松田さんは劇団出身なのかな?
状況を破る思い切りの良さを感じる。

星新一ならどう描いたかな。

 

失礼ですが、よろしいですか。
シンク横に無造作に置いてある社員の持参したカップに視線を落としてせわしなく巡らしていらっしゃるご様子ですが、お探しものはございましたか。

 

すなわち、スタッキングを試みたわけだが、そういう話なのかね?
購入しようか迷っている。

アリストテレスプラトンを生んだギリシャであるが、シャーロックホームズとアリスを生んだイギリスである。

論理学とは新しい必然的な推論である。新しいのは、これまで知らなかったことを学ぶからで、必然的なとは、結論が不可避的だということ!分るかな?

(PP99-100 ロジコミックス)
これを論理の「ミステリ要素」と呼ぼう。
ここで「論理」と「文理」は明確に分離する。「文理」は言葉同士の表現上の関係のことだが、「論理」はその言葉を生み出す不可避な構造のことだからだ。
その意味で、野矢の論理観の表明『「論理」とは、言葉が相互に持っている関連性に他ならない』(論理トレーニング)には若干の違和感がある※。
※野矢の立場を、専門的には、根源的規約主義と謂うらしい。
規範と自由――野矢茂樹の根元的規約主義考[前編]|山口尚|note
それにはクリプキの指摘したヴィトゲンシュタインパラドックスを踏まえるのが至当らしい☟(下掲図書)。

「それゆえ、〈規則に従う〉ということは一つの実践である。そして、規則に従っていると信じていることは、規則に従っていることではない。 だから、ひとは規則に〈私的に〉従うことができない。さもなければ、規則に従っていると信じていることが、規則に従っていることと同じととになってしまう だろうから。」(邦訳、p.163)

ウィトゲンシュタインのパラドクス:Wittgenstein's paradox

 

要は、原文では、語用を語意に置き換えて、殊更に説明的になっているので、機能から再び語用に戻してゆこうということだ。

原文「あなた、」(呼びかけ)→「失礼ですが」(問いかけ)

ということであるが、実はこの間に、

原文「あなた、」(呼びかけ)→あなた〈は〉(語意)→「失礼ですが、」(問いかけ)

つまり、読点にコピュラが隠されていたのだ。これは論理的な(措定辞)〈は〉であり、「あなた」の初期設定の宣言である。これを「取り立て」と謂うこともできるが、それは、解説的な説明になる。
この〈は〉を当事者間の対話に在る対等性が保障している(非第三者性)。
この〈は〉は文脈上は本来作者が与えるものなので、謙譲のマナーを挿入してみた。

といった具合である。

聖徳太子を生んだ日本であるが、イギリス人の方がよくわかっているのは、まったく残念至極である。日本の状況は「異常」とも言える。

therefore X must be true 故に、Xは真でなければならない

thereforeの意味・使い方・読み方 | Weblio英和辞書

It follows that either one of the theses x or not-x must be true. Hence, if I disprove not-x, x is affirmed.

PRINCE SHOTOKU'S CONSTITUTION P87 LL1-2

イギリス人も「聖徳太子の三段論法」に気づいていた。

☟は表題に関わらず、法哲学者に拠る法哲学の解説であるらしい。
法哲学は古くは「法理学」と呼ばれた、実のところイギリス人の発明した「実践科学」であり、この哲学者が「なかなかわかっている」のはケルゼンを扱うことで実のところ、イギリス人の伝統に従いつつ日本の近代国家建設を取り上げ、おそらく批判の俎上に載せていることだ。


キッチンシンクの設計がよくわからない。各部の名称はないのかね。
space というよりも plate じゃないかな?

www.google.co.jp

room だね。space japanglish か。
英語に翻訳したとき、どうしたのだろう。

eikaiwa.dmm.com