「和魂洋才」の「魂」は仏性的自由であり、「才」は神の授ける自由である ⑬

 

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👆を読もうと思うと2店ほど寄ったけれど、いずれにもなかった。

十翼の向こうに孔子の姿を思い描いて読み継いできた数千年の歴史を素直に受け止めるためには、孔子が書いた、という気持ちになって読んだ方が、よほど豊かではないですか。人間が長い間大事にしてきた言い伝えには価値がある、と小林秀雄もどこかで言っていたよ。

Himino - 易疑

ということで、この氷見野さんは富山(県富山市)のヒトだったりする。

易経への関心では

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ゴットフリート・ライプニッツ - Wikipedia

 

ライプニッツが主に考察の対象としたのは、個別命題のほうであった。この命題にあっては、述語はあらかじめ主語の中に含まれている。これは今日の記号論理学で言えば、主語と述語とは包摂―内包の関係にあるということだ。ライプニッツ自身によれば、述語の指示するものが、主語によって指示される実体概念の一部をなしているということになる。

ライプニッツの論理学

藤澤清造を考えるうえで、

  1. ラングデルのケースメソッド(ソクラテス・メソッド)
  2. オルポートの方法論的個人主義
  3. サーストンの心理測定(「刺激」と「態度」)
  4. オリファントのリアリズム法学
  5. ベントレーの統治(集団)過程

が参考になるとして(5は、反対に、ウォーラスの理想主義を参照して。)まずは、ソクラテス・メソッドを見ていたら、

  1. ソクラテスの対話者がある命題を提示する。例えば、「勇気は魂の持続である」など。それをソクラテスは偽であると仮定し反駁を試みる。
  2. ソクラテスは対話者にさらなる前提(例えば、「勇気はよいものだ」、「無知の持続はよくないものだ」)を持ち出し、同意させる。
  3. ソクラテスは議論を展開し、さらなる前提が本来の命題とは反対のこと(この例では「勇気は魂の持続ではない」)を暗示していることを対話者に納得させる。
  4. そしてソクラテスは、対話者の命題が偽で、その反対が真であることを示したと主張する。

問答法 - Wikipedia

  1. ∀勇気〈は〉∀持続(である)     L1
           ↳魂の        L2
    A〈〉B  〈〉:同格の措定辞   
  2. ∀勇気〈は〉P(だ)
  3. 持続〈は〉¬P(だ)
     ↳無知の 
  4. したがって、P≠Pであり、1は偽(0)である。

このとき、3の「無知」は1の「魂」に含まれて、「魂の持続であっても、無知である限り」といった程度のことだろう。
これが面白く感じるのは、上のライプニッツのように、述語が主語を修飾するわけでもなく、フレーゲのように主語が述語を修飾するのでもなく、同格であることで、「持続」の含意する離散的性格が「∀」と平仄化されていることである。
これは奇妙なことで、持続は「いつでも」で、∀は「どれをとっても」であるから、前者は時間的広がり、後者は量的広がり乃至そのニュアンスはないかのいずれだが、「逐一」というアルゴリズムを挿入することで、達成しているのである。
「逐一」確認できる限りの「持続」であり、それと同格の「すべて」であることが宣言されている。そのとき反例として「無知」が挙げられる。

2と3の〈は〉は、本当なら可能な反証として、〈が〉であることが望ましいと思えるが、評価が措定的だから(テキストによって可能なこととして与えられていない。)、こうなったのだろう。それは後代まで待たなければならないようだ。

なかなかの発明ではないかと思う。

基本形式は、論理と事実を検証すべく形成された一連の疑問文であり、

問答法 - Wikipedia

背理法に至っていないという意味である。

解が存在するとすると、最も「小さい」ものが存在する。先の構成法から、より小さいものが得られるが、これは最も「小さい」という仮定に矛盾する。

無限降下法 - Wikipedia

この方法は『言論』に最初に現れたと言われるが、アレクサンドリアのエウクレイデスは紀元前3世紀と思しき人で、ソクラテス(紀元前470年頃 – 紀元前399年)の100年ほど後のヒトである。論理と数理は「最初」から緊密で、緊張する関係にあった。

ソクラテスフレーゲを繋ぐのが、『確率』である。

アリストテレスはこの定義と帰納の方法の発見者をソクラテスだとし、科学的方法の基本と見なした。

問答法 - Wikipedia

『確率』の出現以前に『証拠』はなく、『証言』しかなかった。言葉でプロバビリティー(蓋然性)を論証するしかなかったのだ。
したがって、

しかし、奇妙なことにアリストテレスはこの方法が倫理学には不適であると主張した。

問答法 - Wikipedia

プロバビリティー(蓋然性)は、知識と対照されることであって、権威に支えられていた。
どうもアリストテレスソクラテスの方法が三段論法ではないと喝破したらしい。

https://www.tuins.ac.jp/common/docs/library/2005kokusai-PDF/mizuta.pdf

ここらへんは、アリストテレスの三段論法よりも、星一徹の(コミュニタス communitas なーcf.ターナー)三段論法の方がわかりやすい。

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つまり、三段論法は、アリストテレスの最初から、倫理的な問題を、或いは、倫理的な問題をも含んでいたのだ。
むしろ不思議なのは、アリストテレスソクラテスの方法を「産婆術」と呼んだことで、生み出していないからこその『倫理学には不適である』との評だったはずだ、私の誤読でないならば。
いや、「産婆術」と呼んだのはプラトンで、要は、アリストテレスプラトンの見方を斥けたのだ。ここにプラトンアリストテレスがともにたつことになった。

ソクラテスが自身の問答法のことを、有名な産婆だった母親パイナレテーの技術になぞらえるくだりがある

問答法 - Wikipedia

そう言ったのは、プラトンである。それを「仮託」という。


【課題】ラッセルのパラドックスと集合族

ラッセルのパラドックスで起きる矛盾は割と素朴なものなので,あまり複雑な例は作れないですね。

ラッセルのパラドックス - 現実と数学の区別が付かない

なるほど(いや、わからんけれど)。どうすれば複雑な例を作られるのだろう。
いっつも思うけれど、こういう方って、何から何までわかるんやろうか?

ユークリッドの互除法の回も見たけれど、よかった。

集合族 - Wikipedia
族 (数学) - Wikipedia


www.youtube.com

 

そうか。なんでラッセルのパラドックスは「展開」から考えないのだろうと不思議(不満)だったんだけれど、集合族から(添え字付き)で考えてたんだね。
なるほど(いや、わからんけれど)。
よかった。
わからないことより、ちゃんと「理由がある」ことの方が大事だ。
わかればいい。
そうか、そうだったんだな。