「和魂洋才」の「魂」は仏性的自由であり、「才」は神の授ける自由である ㉜

 

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クリスティン・ラッド=フランクリン 1847年12月01日 - 1930年03月05日
フリードリヒ・ルートヴィヒ・ゴットロープ・フレーゲ
                  1848年11月08日 - 1925年07月26日


1879年 『概念記法』を刊行。
1883年『論理代数について

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P25,ON THE ALGEBRA OF LOGIC. By Christine Ladd .

STUDIES IN LOGIC.
BY MEMBERS JOHNS HOPKINS UNIVERSITY .
BOSTON : LITTLE, BROWN, AND COMPANY. 1883.

芥川龍之介が『歯車』で苦しんだ is-wholly/is-partly がある。
クリスティン・ラッド=フランクリンの完成した「論理代数(アリストテレスの論理学)」を使えば、聖徳太子の三段論法を説明できるのではないかと期待している。

二千数百年に渡って西洋思想を支配してきたアリストテレス論理学(名辞論理学、伝統的論理学、三段論法論理学、とも呼ばれる)は、ゴットロープ・フレーゲによる論理学革命によって、述語論理学に取って代わられて今日に到っており、 その支配は未来永劫続くだろうと信じられている。しかし、この革命は一夜にし て成就したわけではなく、少なく見ても、一八七九年のフレーゲの『概念記法』 (註1)の出版から、一九一〇年のアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドバートランド・ラッセルの『プリンキピア・マテマティカ 第一巻』(註2)の出版 までは、新旧両体制が入り混じっていた革命期と見なせるだろう。この革命の最 中に登場したのが、クリスティーン・ラッド=フランクリン(註3)である。彼女 が一八八三年に発表した論文「論理代数について」(註4)は、当時の論理学界 ・哲学界に大きな驚きを与え、彼女はこの論文一本で当時の論理学の世界的権威 と見なされるようになった(註5)。彼女は旧体制に属する論理学者であり、アリストテレスの論理学がまさに終わろうとするその最期の瞬間に現れ、アリストテレス論理学を言わば完成させた人物であると言うこともできる。当時、ハーバ ード大学で論理学・哲学を教えていたジョサイア・ロイスは、よく授業中に「アリストテレスの時代から研究されてきた分野の最後を飾る仕事が、アメリカ人女性の手になるものであることは、非常に注目すべきことです」と述べていたということである(註6)。しかし、旧体制側の人間であるが故に、述語論理学が一般にも普及するにつれて、彼女の名前は徐々に消えていき、今では論理学や哲学の本で目にすることはほとんどなくなってしまった(註7)。

アリストテレス論理学の完成者としてのクリスティーン・ラッド=フランクリン,橋本康二

赤字強調は引用者。
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Christine Ladd-Franklin - Wikipedia