田中耕太郎の思想形成を読んでいると、眠くなる。

あれは長野に住んでいたころだったから、幼稚園の年長か小学校に上がったころだと思うが、東京への進学を冗談めかしていうときに絡めた話だったか、「パパ」「ママ」の呼称の話が出てきて、「おとうちゃん」「おかあちゃん」をそろそろ卒業してどうしようかと考えたことがあった。

歳をとると身に沁みる。
イイ感じで年を取ろうとなると、「歴史」に行き着く。穏当である。急ぐ必要がない。
もう「終わった」話だからだ(将来的に新発見があるかもしれないが)。
眺めると、特に、近現代史は政治的理由で言われていないことが多いし、古代史もまた、イデオロギーの関係で言われていないことが多い。
自分のような素人が言いたい放題言える「マーケット」となっていて盛況だ。
大衆の反乱のようにも見える。ええじゃないか、程度かも知れないが。

この本であるが、坂本龍馬のKISSの話が出て来る。
なるほど、日本人はなかなかI love youと言わなかった。与謝野晶子も言わない。
誰か言えと思ったら、男同士なら言う。上杉慎吉のような進歩的な人なら家庭で子どもたちには言う。
シェークスピアでもなかなか言わないが、ようやく言ったと思ったら、ジュリエットはまだ「子ども」だったりする。或いは、ハムレットは、もう違う、と言う。
ややこしい。

そう言えば「パパ」「ママ」にも似たようなニュアンスがあった。
「汽車」は電車のことだが、電化が進んで久しくとも「電車」となかなか公には言えない。世間の大人はみんなそれが電車であると知っている。
ただ、原動機付き自走長距離輸送カーゴを伝統的に総称して「汽車」と呼んだのであって、それが蒸気だろうが電気だろうが、おそらく地方の発展の緩急とも関係して、言及しなかったのである。後年茶化されるネタとなったが、実際は憚られたと言う方が近かったか。一億総「汽車」の時代であったはずだが※、若干、例外もあった。
東京に行くと反対に、「汽車」なんて言えば、馬鹿にされた。
そう言った私が都会に出て一番驚いたのがモノレールだったりした。モノレールってモノレールじゃないと言ったら、アタマがオカシイと思われたものだ(一部軌道がmonoになるだけだから、カーゴを指して或いは乗り入れ可能な運行システムを呼称するには。要は、「環状線」「モノレール」という管理乃至営業区分のことだが、複線的なシステムに慣れていなかったのだ。実際のところ「どこからどこまでがモノレールなのだ」と言うこと自体が馬鹿馬鹿しかったのであった※。そんなことを気にしても意味がないのであって、むじろ区分への理解ではなく、システムへの慣れが求められていたのだ)。
「パパ」「ママ」なんてことは「愛している」と公言しているようなもので違和感を覚えたのだ。
だからと言って、家(ウチウチ)ではそう言うけれど人前では、いう話もあったが、家の中だろうと親もやはり嫌がったのだ。秘め事感があった。
幼少のころであったので、ここらへんには多少教育的配慮があったと思う。目指すべき成長曲線の上昇カーブを尻目に泥濘に足元を取られたような「ここからどうしたらよいのだろう」「だからどうしたというのだろう」と思わせる何かがあった。
親愛感情の表出、性愛表現ならそれ自体が目的だからよいのであるが、用事があって呼ぶ以外に呼ぶことがなかったことに気づいたので、確かその「呼称利便説」を報告し提案を引き下げることとなった。

※人口が一億に到達したのは、昭和42(1967)年らしい。
※これがカルチャーショックであって、田舎だと、それを「モノレール」と呼ぶのは瑕疵があるだろう(不味い)と言い出すものである。おそらく取り扱う情報量が過少であるから差異に敏感なのである。情報量が増えると適度に脳の消費エネルギーを省力化してゆくものであるし、それに慣れてゆくものであるし、むしろ日々訓練してゆくものである。なぜ、吉本新喜劇が廃れないか、今わかった。田舎者が大阪に上るときには、まず吉本新喜劇から入るのがどうも正当のようである。


さて、何が言いたかったか。
ヘーゲルである。
要は、ドイツ人の言うことは、日本人になかなか理解しづらいものがあることを素直に認めたがらないのは、明治以来あるらしい。
ヘーゲルの言っていることはただのホーリズムであって、彼はカント哲学に一矢報いたかったのであるから、カントが二元論なら、ヘーゲルは一元論であって、要は、カントがアリストテレスなら、ヘーゲルプラトンに過ぎない。
ただし、ギリシア古典の受容については、長い歴史がある。
特に、キリスト教神学が重要で、一方でその対抗馬として、人文学があった。
これをシステマティックにシンプルに理解できるかどうかが、おそらく、肝で、シンプルに言うと他愛がないから、ドイツ人は「神秘的」に言うだけである。

ヘーゲルは、神無きあとのホーリズムについて、アリストテレスの三段論法で謂う「飛躍」を、一元論に差し戻して表現しただけで、マルクスは「論理」の代わりに「(複式)簿記」に隠して言っただけである。
例えば、プラトンは世界を4次元で捉え、アリストテレスは3次元で捉えたというのは、4次元目を、認識の外に置いたから、アリストテレスは「飛躍」と言っただけで、後世に於いてはそれが主体問題(乃至観測問題)となったに過ぎない。
反対に謂うと、ヘーゲルでは、再帰問題が起きて必然であるから、「矛盾」と謂われやすい。マルクスはそれをも逆手に取ったかもしれないが、別に卓見というほどのことはない。屁理屈とは言えるが。要は、実際は社会進化論のバリエーションである(神無き後の善の存在問題)。
それをイギリス人ほど直截に謂わないのが、「ドイツ流」なだけである。
ただし、ラッセルでさえ、(特に、有名なたとえ話では)「存在」を扱うとごっちゃになっていたので、そこらへんはまだまだ整理されてなかったと考えることはできる。

 

結論である。
「存在」と「情報」がよりよく理解できるようになった今日では、かつては(陰に陽に)「負けるな」と教えていたところを、「騙されるな」と教える必要がある、ということから、「論理国語」が求められているということである。

だから、「論理」と「論理的文章」は分けて考えなければならない。
「論理」とは評価システムのことであって、「日本語」を利用する場合、「文章的論理」である。
「文芸国語」では、三島に代表されるように、「論理的文章」を扱うことができる。
三島の文章に裁判官は居ない。それを読解しても文脈に裁判官は現れない。
それは外部に居るからである。
東京大学法学部法律学科卒業の「弁護士」三島の云うことを、法廷の外で鵜呑みにすることはできない。