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文脈に拘泥しないために逆読みしていたが、いまいち、よくわからないから、前書きから飛ばし読みしてみた。

そうすると、フランスで普通選挙が行われたころの大学生の話から始まって、それ以前の世代の闘争が止んだということを喜んでいるらしい。それがなぜか、カトリックの話で前書きの方は終わる。

以下はすべて、www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。

 10年か12年前、大学のカレッジで若い世代が育っていた。今日、一番年上の人は、まだ30歳にもなっていない。これでは、せいぜい科学や芸術の分野で名を成し始めた人がいるくらいではないか。そして、その大半は、社会がその指導や奉仕をしようとする者に当然要求する、15年や20年の勤勉な研究の限界に達しているとは言い難いのである。
 私がそれを考えていたあの遠い時代から、どれほど多くの激動があったことだろう。 しかし、何よりも私たちの魂の中で、どれほど多くの思想の転換が繰り返されたことだろう。当時、その世代の若者たちは、今日、ほとんど男性とは呼べないが、カトリック教徒としての知的・道徳的生活を始め、その教育も始まった。

 普通選挙を神聖な遺産として。
 1848年の世代は、普通選挙が、その仕事の報酬を社会に支払う手段を求めて学校にやってくる準備をしていたまさにその時に、このような形で誕生したのを見たのであり、その特徴は、忘れがたいものとなるだろう。そして、些細な闘争で消耗し、不毛な争いに見慣れた前の世代の男たちが、このようなことをすることはほとんどないのである。
 そして、ささいな闘争で消耗し、自分たちが通過してきた不毛な激動に、対立と党の逆転しか見ないことに慣れている前の世代の人々は、この偉大で今や議論の余地のない原則の出現が、私たちにとってどれほど啓示であったか、ほとんど理解できないのである。

 そして、まずは信者であること。そして、誠実な人間、自立した人間、誇り高い人間になりなさい。賢者が言ったように、美しいものを判断するには美しくなければならないとすれば、それは道徳的な世界に入り込み、その栄光を引き出し、その醜さを破壊するときではないだろうか。そうすれば、いつの日か間違いなく、後世の人々はあなたの名前を、人類への熱烈な使徒として、また偉大な芸術家として讃えることでしょう。 

そうして、本文も飛ばし飛ばし読むと、どうも結婚の話だ。
フランスの金色夜叉の話かと思ったら、金色夜叉アメリカの小説の翻案だったらしい。つまり、『グレート・ギャツビー』の前にも金に翻弄された話はあったのだ。

1980年代になって、硯友社文学全体の再評価の中で、典拠や構想についての研究が進み、アメリカの小説にヒントを得て構想されたものであるという説が有力になり、2000年7月、堀啓北里大学講師が、ミネソタ大学の図書館に所蔵されているバーサ・M・クレー (Bertha M.Clay) ことシャーロット・メアリー・ブレイム (Charlotte Mary Brame) の 『Weaker than a Woman(女より弱きもの)』が種本であることを解明した[7][8][9][10][11]。初出は、イギリスのen:Family Herald紙に、1878年8月17日から同年11月23日まで連載されたものである[12]。

金色夜叉 - Wikipedia

FRANCIS SAUVEUR” は1858年なので、似たような時期だ。

ところが、ワルラスの方は、金の話じゃない。不妊症は出て来る。どうも、結婚と子育ての話だ。

レオン・ワルラス     1834年12月16日 - 1910年01月05日
そうすると、ルソーが、当時のフランスで社会問題化していた「棄児」について提言していたことを思い出す。婚姻による解決である。

ジャン=ジャック・ルソー 1712年06月28日 - 1778年07月02日

これがなかなかピンと来ない話であるが、シャネルの生い立ちを知れば、フランスって「そういう国」なのだとわかる。まさにシャネルがそういう子※だったからである。シャネルは当時珍しくなかった、そういう子たちの施設で育った。何が問題だって、養育もあるが、そもそもすぐに死ぬのが珍しくなかったのだ。
※12歳のときに母親が死に、孤児院に引き取られた。

ココ・シャネル      1883年08月19日 - 1971年01月10日

そうすると、ワルラスの小説のこの言葉の意味が、説得力を増す。
デカルトの人生の62年後にルソーの人生があり、ルソーの人生の55年後にワルラスの人生があり、ココ・シャネルがデザイナーとしての最初の自分の店(帽子店)をパリで始めたころにワルラスは死んだのだ。

自然は、到達できないことを恐れて、その目標を超えてしまったので、その力を抑制し、その影響を公正な範囲に抑える必要があった。自然が情熱と愛だけを創造したのに対し、社会は結婚、つまり愛し合った者同士の不離一体化に基づく家庭を創造したのである。

愛とは、2人のわがままと定義されています。二人の夫婦が愛に酔うことをやめ、愛が実った魅力的な果実にだけ愛情を注ぐようになる、この深い無私の感情にはどんな名前が付けられるべきだろうか?これは、この弱く愛らしい生き物のために、二人のために捧げる献身ではないだろうか。この献身と引き換えに、しばしば私たちに大きな害をなす生き物がいるのだ。こうして考え出された結婚は、最も崇高な犠牲であると同時に、最も確実な幸福への道ではないだろうか。

現在のフランスの「婚姻」制度は、カトリックの独占への競争で定義づけられていて、そのフランスを考えると意外な感に打たれるが、近代制度としての「婚姻」は普通選挙とともに重要で、しかも特に婚姻に関しては、カトリックの説く道徳と不可分ーという「仕方がない」ことではなく―それ(道徳)を「接着剤」として社会的に後押しする必要があったのだ。つまり、近代制度が、カトリックへの対抗として生まれたのではなく、それを必須として成立せざるを得なかったのだ。

そうでもないと、このオスたちは、「自然」のまま、あちこちに子どもを作っては、放置し、死なせていたのだ。
内発的にも(すなわち、道徳としても)外発的にも(すなわち、社会制度の整備からも)、動物並みの性欲をいい加減にしろ、という話である。

それがアメリカに渡ると「金欲」の話になっている。
アメリカは最初から豊かだったのだ。
アメリカの独立国としての最初の戦争は、アメリカの豊富な森林資源を売りに出す船の安全な航行のために始まったのだ。よく売れたのである。

なんと。
そうすると、フランスは、貧乏でしょうがなかったから革命を生み、その欺瞞が遂には共産主義を生んだが、つまり、貧乏なのを「根治」するのをフランスは諦めたのだが、アメリカはかろうじて貧乏じゃなかったから、革命の代わりにイノベーションを生んだのだ。

そう考えると、わかりやすいではないか。


 ある晩、ヘンリー・グランビルが私たちに言った。「個人の道徳観からすれば、知性と活動の権利の名の下に、心の衝動に反対する主張は、お二人とも正しいのです」。しかし、私は、すべての感情が必然的に感情の誇張である情熱になる熱烈な魂があること、より正確に言えば、社会がその安全と我々の幸福のために我々に課している限界を超えて、自然の感情が発展していることを事実として記しているに過ぎないのです。
 学生生活を始めるためにパリに来たとき、私より数歳年上のフランシス・ソヴールというクレオールに出会い、彼が経験した友情の物語を話してくれたことがある。フランシスにとっては、友情そのものが、他の人にとっての愛であり、3、4年の間、彼の人生を満たしていたのです。フランシスは、この友情の中に、一時は自分の幸せのすべてを見いだし、穏やかでない日々には非常に鋭い痛みの源となっていたのです。
 彼は、自分が経験した一連の印象と試練を、たとえ遠く離れていても、彼自身に語らせることでしか近づけないような温かさと誠実さをもって、私に語ってくれた。私は、この方法で、彼が知っていた魅力をもっと簡単に見つけることができるでしょう。私に整理する心配をさせずに、私の記憶をあなたのために呼び起こすだけでいいのです。
 そして、おそらく、私がこの話を聞いたときの状況が、知らないうちに私の考えに影響を与えたのだと思いますし、思う存分この話をすることによって、この影響の恩恵を失いたくないので、あなたが求めている感情のために、あなた自身も同じ状況、フランシスが私にこの話の出来事を話したまさにその場所に移動することを許していただきたいと思うのです。

PP1-3(www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。)
Francis Sauveur - Léon Walras - Google ブックス
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