小2の生徒が算数の文章題を作ったというので休み時間に聞くことに。「1個60円のりんごがあります。1個60円のみかんは何円ですか?」と問われ理系のプロは即答の問題だと思うがド文系の私はフリーズしてしまう。何とか60円と答えを導き出したが不正解。正解は120円。私は何を試されているのだろうか?
— 雇われ教室長 (@s_kawachi33) June 14, 2022
1個60円のりんごがあります。1個60円のみかんでは何円ですか?
現代国語例解事典(P1579)によると、助動詞「では」は、1⃣「教室では禁煙だ」「この風では船を出せないだろう」のように「で」のつく語を取り立てて示す。2⃣「失礼しましたでは許されない」のように確定条件または仮定条件を示す。
確定条件とは、確定された事実を以て、続く陳述を説得的に導く語法なので、2⃣の例示の場合、「失礼しました」との言明に対して(例えば、「そう貴方は言うのだけれど」が、続いて)、(主体的に)許すつもりはない、或いは(客観的に)許されるはずがないとの判断を示している。
事実:1個60円のりんごがあります。
事実:1個60円のみかん(があります。)
陳述:何円ですか?
が説得的に繋がっていなければならないことを示している。
6歳になると、(2種のものの)数の比較ができるようになります。7歳になると、さらに発達しているわけですが、このとき大事なのは、具体的な条件想起と言葉での表現です。2種の違いを明らかにして何を求めているのかをきちんと言葉で説明できるように指導するのがよろしのではないかと思います※。
このとき、「いくつあるの?」は少しいじわるじゃないかな。
確定している事実は、「ある」ですから、(少なくとも)1個あるときに、本当は「2個ある」のでしたら、説明不足で、話者が「間違っている」ことになりますから、「1個ある」ことを信頼することが、問う者と問われる者の関係として、当初求められているものではないでしょうか。
間違っていないかどうかを確認するのは、社会技術(応答に関する人対人の規範力)であって、文理的な問題(文本来が持っている規範力)ではないと思います。
ここで謂っているのは、「人対人」と謂うときの、「対」で示される対立利益です。
※なお、この問題が、「算数の問題」であるか「国語の問題」であるかの判断は「算数の問題」の中に含まれませんので、「国語の問題」における判断力を問うことは少なくしておいてよいと思います。