独善的に正義を語り戦争に敗れた日本は、戦後に国際的正義を擁護することを憲法前文で掲げて、再出発しました。その重要性を、拙著の『国際秩序』などで強調しています。その意味は?こちらのnoteをどうぞ。■ @Yuichi_Hosoya #note https://t.co/U7UPtesIew
— Yuichi Hosoya 細谷雄一 (@Yuichi_Hosoya) April 16, 2022
👆を踏まえた上で
鳩山さんが、軍産複合体を言って、細谷さんは、プルーラリズムを説明するのだけれど、これって必ずしも無関係じゃないんだよね。
図表1 権力構造の分析
レベル\見解 | 権力集中 | 権力分散 |
---|---|---|
全体社会 | ミルズ | リースマン |
地域社会 | ハンター | ダール |
マルクス主義とは方法を異にしているが、得られた結論は似たものになっており、ミルズは厳しいトーンで、リンカーンの「丸太小屋の伝説」に象徴される〈階級なきアメリカ〉という《アメリカン・ドリーム》に終焉を告げ、階級社会化した現実を告発しているのである。
鳩山さんが言っているのは、こういうことなんだけれど、この文章自体は図表1の説明になっていて、第三章は、1⃣マルクス主義の見解、2⃣プルーラリズム、3⃣パワーエリート、4⃣地域社会の権力構造、5⃣権力構造の調査方法、□原典紹介□マルクス=エンゲルスの階級支配論ー『共産党宣言』ほか一遍よりー、と進む。味噌は5⃣の社会調査で、リースマンとダールを『プルーラリズム(多元主義pluralism)の論者と紹介している。
実は、これで話は言わらなくて、政治的多元主義ということがある。
【コーンハウザーの4つの社会類型 共同体社会/全体主義社会/多元的社会/大衆社会】
この議論は、民主主義の社会的基盤としての多元的集団の意味を強調したものであって、「社会的多元主義」と呼ばれることがある(政治的多元主義という場合は、多元的国家論のことであるので、注意されたい)。
ここで言っているのは、コーンハウザーを取り上げ、自由民主主義(リベラル・デモクラシー)を支える多元的社会集団を欠く社会は、個人がむき出しで不安定なため、エリートの操縦に乗りやすく、ファシズムや共産主義が生まれる、という話。
1⃣市民・公衆・群衆・大衆、2⃣大衆民主主義とその脆弱性、3⃣多元的社会、4⃣政治的無関心、□原典紹介□W・コーンハウザーの「社会的多元主義」ー『大衆社会の政治』ー、と話は進む。
ここでようやく(ファシズム、共産主義の、左右の全体主義に触れ)「主権」を匂わすけれど、もっぱら国内政治、就中一般的社会或いは地域社会の話に過ぎない。
次に、H・ラスキ、E・バーカーを取り上げて、「多元的国家論」を説明するが、実はコーンハウザー(ら戦後の議論)の前段の(戦間期の)話だったりする。
両者のは見解の相違は、①加入脱退が国家と団体ではどう異なるか、②国家と団体では関与する領域がどう異なるか、目的の範囲がどう異なるか、③成員に及ぼす強制力がどう異なるか、などの点をめぐって分かれる。
一元的国家論では、これらの相違が決定的だと見るのに対し、多元的国家論では、それらは程度差に過ぎず、(中略)個人の自由の防壁としての社会集団の意義に着目している点は「社会的多元主義」にも引き継がれるが、国家主権の抑制に力点があり、あくまで国家論なのである。
PP238-239,5⃣多元的国家論と一元的国家論,第二二章 現代社会における国家,スタンダード政治学,芦書房,1991
赤字強調は引用者
1⃣国家と国民の概念、2⃣国家の起源についての学説、3⃣大衆におけるエリート、4⃣現代国家と独裁、5⃣多元的国家論と一元的国家論、6⃣兵営国家化の危険、□政治学の誤解□レファレンダムとプレビシット、と話が進むのだが、興味深いのが6⃣で、総力戦(total war)、全面戦争(general war)に言及して、「軍産複合体」で締めるんだね。
もどかしさを感じるのは、
- 国際法との関係がわからない(特に、この議論が、「延長国内法論」の時代なのか、「二元論」の時代なのか、よくわからない)
- 国際政治との関係がわかならい(主権論であるが、国際法の単位としての「主権」との兼ね合いがわからない)
からであり、注意が要るのは、
のであり、勉強したことない人が混乱するのは、或る意味で「当たり前」なんだね。
だから、(国内法と国際法の)「ダブルスタンダード」を建設的に述べるのは、大事なんだよ。
このような国内法の議論が、国際法の議論に転写できるかが問題となる。
「できる」と考える自分は、その具体例を「抵抗権」に求め、それは主権の(由来する能力の)表現型に過ぎないから、国際法(の表現)に転写できると考える。
そして、それは国際法上は、主権者の「性格」の問題として表現される。
このとき、国際法が主権体系とは、主権がモナドであることを言っている。
「抵抗権」が事実上の権利であるとは、そういうことである。
これがトートロジーでないことが重要で、効果的に記述可能であることを保障している。すなわち、事実上の権利にとどまらず、実定的な権利として(国際法に)記述可能である。
そのとき、侵略者の統治に関する〈判断〉に実効的に対抗できるのである。(侵略を企図する)主権者には実定的に責任(自己に意思に反する不利益命令)が課されているからである。
意外なほど、誰も無根拠ではないけれど、正しく理解して適切に解説しているのかどうか、(無根拠でないだけに)かなり注意が要る。
そもそも混乱しがちなんだね。