九鬼周三って、元祖「日本スゴイ」なんじゃないかと思うけれど、これが新渡戸稲造の「武士道」と違うのは、「武士道」が、ヨーロッパの、フィクションとしての「騎士道」を踏まえたうえで、ヨーロッパの「知的サロン」のパロールとして「わかっている感」を出すためにやっただけのことであって、「いきの構造」は、むしろ、日本の世間体に新しい修辞をもたらしただけなんだろうと思う※。徹頭徹尾「内向き」で、吉本隆明と同類(吉本は、ヨーロッパの学者と、根本的に話がかみ合わなかった。偶々でなく、原理的に当然)である。
こんな連中を有難がっていたのであるから、日本人は、本当に日本が好きである。
根っからその程度の連中が、なぜか、「日本スゴイ」の、ただのマーケティングに過ぎないことが嫌いなのであるから、年寄りの偏屈も甚だしい。
鬱陶しい、面白くない。飽きた、ならまだわかる。
要は、上下関係でしか生きられない前世代の、下の世代へのマウンティングに過ぎないだけで、「〆る」話である。暴力癖を隠さないのであるから、まことにくだらない。

※そういった意味で、「世間体」とは、絶妙な表現である。「世間」と呼応する「体」があるのだ(呼応は呼吸の類義語であるから、九鬼の、「コト・バ(言葉。或いは、言の花)」と呼ぶ、内心の支持対象である具象物乃至それとの関係の表象として、違和感がない)。そういう体で行っているのだ。ある種の実在だから、それを「実存」なんて、新たに名付けるのは、もとよりキリスト教徒でないのだから、馬鹿馬鹿しいだけの話である。キリスト教の伝統に根差すロジックであって、そういう風に学ぶなら意義深いが、日本で実存主義なんて無意味である。日本で「ライシテ」なんて言っても、肝心の対抗すべき元がないのであるから、無意味なのと一緒である。参照はできるが、元本がないのに、利子だけ一生懸命計算している徒労のようなハナシである。ただの落語である。


ヴィトゲンシュタインは、カントの流れに沿いながらも、カントへの原理的な批判者であることが本質的に重要で(この点で、意訳しようとした西田幾多郎らと根本的に違と思う。モダニズムの旗手と言われた横光利一が一瞬輝いたのも、カントから逃れて、籐澤淸造※をさらに洗練させたからであって、籐澤淸造が当時の流行りを、素人走りで外連味なく、うまく表現に落とし込めたところ、それを対象化できた賜物である。だからその後、一転して、「新保守的」になった。批判対象を見失ったのであり、ミイラ取りがミイラになった体である。籐澤淸造の方は、「素人」がたたって、行き詰まってしまった。)、「規約主義」じゃらなんじゃらなんて屁理屈は、どうでもよいのでないかと思う。

※四字とも旧字なので、気が向かない限り、せいぜい「澤」に変換するくらいである。「淸」ですら変換が手間取るのである。

つまり、例えば、和語の数詞ひとつ取って見ても、これこそ「言語ゲーム」であって、(ペアノ的に)実証的でないのである。具体的には、{1, 2} と {1, 2,3} と {1, ~,10} と {1, ~,100} はまるで違って、いわば泥縄的な構成である。
それでも「呼称」として十分で、これは原理的に法制度であることを示している。
法とは、その成立経緯と、原理的効果が、分けて考えられる代物だからである。経緯がそうであろうと、成立したら、無視して差し支えないのである。
すなわち、1,2までの考え方と、3の考え方が、経緯的に齟齬をきたそうが、かまわないのである。

これは発展的な考え方で、独特な古墳と埴輪文化を、どうも支えたようである。土木計算も素晴らしいが、この頃に、10進法をすでに使っていたことが、謎の埴輪に刻まれているのである(江戸時代の「数額」文化、絵馬の奉納の元祖だろうか)。
聖徳太子の頃の数学には中国からの輸入で三平方の定理がすでに周知で、伊達に五重塔を建立したのでないことがわかるが、古墳などでどうしていたか、日本独自に発展を遂げただけに、不思議な話である。盛んにつくられた謎の埴輪も謎である※。

※憶測すると、どうも「素人作家」による流行があったのでないかと思う。
「素人」だから「下手」なのである。塵劫記を思い出させると感じるのは、勝手に思い出しているだけであるが。

これが抽象化の機序であって、ヴィトゲンシュタインの謂う「一般化」と対照にある関係である。

日本人はどうも、この「抽象化」と「実証化」の二本立ててバランスを取って曖昧にやってきた、というのが私の主張である。


「いいえ」の語源 - 仏教を楽しむ

「な」を整えるために「いな」となり、それがなまって「いえ」となり、やがて「いいえ」となったと云うのだが。
「ぬ(ぬぉ)」→「な(ぬぁ)」→「い・な」→「い・や(ゆぁ)」→「い・え(ゆぃあ)」→「い・い(ゆぃ)・え」
これは無理があるが、

ん - Wikipedia

「ん」の代用表記として「む」「い」「う」があったり、一方で、伊勢物語の「えに」の表記から「に」が代用されていたらしい。

「な」も実は「(ん)な」だったかもしれないのだ。
もちろんそんなことは知らない。

 

7(なな)8(や)9(ここ)からの想像である。