身を清めて断罪を静粛に待つべきか、あらん限りの弁解を行うべきか

渡辺直己被告が誰も訊いていないのに(なんなら「本件と関係ないので…」と遮られたのに)」ということなのだけれど、

  1. 誰も聞い訊いていない真実だからこそ
  2. 本件と関係がないとは思っていない

のだろうね。ここで思い出すのが、#MeToo運動で、

フランス人がこんなにも性愛を大切にする理由 『フランス人の性』プラド夏樹氏インタビュー Wedge ONLINE(ウェッジ・オンライン)

この世界的に有名なフランス人女優は、これは「偶然」とも関係してくると思うけれど、「自己の意図せぬ関わり合い」と「侵害」は必ずしも同義ではないことを主張したわけだ。

これはまさに、「見る」ことの侵害性を問われた事件において、キリスト教神学における姦淫の定義に沿う話だ。あくまで外形から判断される行為について、その様態が問題となっている。要は、程度問題だ。そこに、どちらにも帰属しない、中間利益(不利益)あるというアイデアが根底にある。

すなわち、「川上未映子」は、その関わり合いの、紛れもない成果であるとの主張を構成している。

ここで注目すべきは、カトリーヌ・ドヌーヴは、あくまで、私的な領域における「自由」を擁護する主張をしたのだが、それが真に自由なのかが問われた。すなわち、それは見せかけだけの、「押し付けられた自由」ではないのか、ということだ。
或いは、それは、往々にして無自覚ですらある。
だから、「証言」(主観;私)に頼り切るわけにはゆかない。ひとつの証拠(客観;公然)主義だ。つまり、〈私〉と公然のねじれた関係が、議論を生む。〈私〉への侵害性も公共(で擁護されるべき)価値という権威を必要とする。

渡部直己はこの議論を反転させる。
非私的な領域においても「見出す」という述語が成立する関係が正当ならば、そこに一方の主体に「意図せぬ」行為も、不胎化する中間利益(不利益)として存するということだろう。要は、結果論じゃないか、ということである。

性暴力事件でよく見られる主張や見解で問題視されるものに

  1. 合意があった(乃至、反意を見せなかったことが、黙示の合意である)
  2. 利益があった

黙示の合意(だまっていたことによる合意の成立) /名取市の弁護士コラム| しらとり法律事務所

ということがあるが、これとも抵触してくる。

しかし、渡部の主張の構成はそうなっていない。「見出す」という述語の社会的含意にかかっているのだ。

すなわち、


私などは、異動発表※1後の内部の、、、あいさつ回りすべてを、環境的暴力(乃至その温床)として、即座に禁止してペナルティーを設けるべきだと思っている※2が、なかなか実現しない。力関係を前提とした「交渉」が有益な関係が内外に、、、あるからだ。

※1 異動は辞令なので、期限を設けた「仕事」なのだ。「仕事」は決められたとおりに処理するものであって、それ以外は余計なことである。勤務時間中の喫煙とさほど変わりがない。喫煙だって、コミュニケーションなのだ。しかし、そんなことは、勝手な言い草である。反社会的な存在であることを吹聴したいのでなければ。
トイレへ行くのに挙手性を採るという刑務所並みの人権感覚で(刑罰は、人権の停止なので、それが許される。学校の授業ならば、教師に、教室の円滑な運営についての監督行為としての指示権が認められ、特に、一斉授業という外形、実聴講時間で計上される単位という制度から、授業の進行の妨げとなる行為についての判断が委ねられているが、それでも生理行為については基本的な人権として擁護され、その制限も必要にして最低限に抑制されるべきで、より有益な代替措置が優先されなければならない。だから、大講義の場合には、静かに離籍するというマナーもあり得る。挙手すること自体が、講義に水を差すからだ。それを踏まえてもそもそも本質的に「学校ではない」のであるから、挙手性などは常軌を逸していると言わざるを得ない。)、なぜ、喫煙が許されるのか。。。。「喫煙」という身体への攻撃がなぜ、始められるのか。これは、「成人儀式」(承認行為)とも関係するが、無頼或いは悪漢(ピカレスク)であることが「人として」推奨されるロマンがあるのだ。ビルドゥングスロマンピカレスクロマンは紙一重である。

ちなみに喫煙は、トイレのような生理現象とは違って、依存という病的な様態である。
ただし、無駄口と同程度には、ストレス緩和になる(些末な怠業時間を勤務時間中にどれだけ割いてよいか、、、、、、は使用者の裁量によるかもしれない)。しかし、喫煙がトイレより優先されるとしたら、喫煙時間がアンフォーマルな監視下にあるからである。陰に陽に監視を強めることで、多チャンネルなー要はがんじがらめのー、つまり、「ルールの適用外」を敢えて(公然と)設けることで、支配を強化しているのだ。
これは別に私の妄想でも卓見でもない。

インフォーマル・グループとは - コトバンク

 

要は、暴力は日常的なのだ。
学校で、人権教育が喫緊の課題であるのも、放っておいても「頭で理解できない」からである。

※2 引継ぎもすべてマニュアル化して、問い合わせについては、異動後に行うことが理想である。生産性を妨げているのが何かを管理職の責任(不利益命令)で検証しなければならない。すなわち、「交渉」の利益を吐き出させなければならない。