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もちろん、上杉の学説には共感しないけれども、当時の学問状況、特に前期近代におけるヨーロッパの「キリスト教的」な学問の受容は興味深い。
それはいいとして、上杉の講義時の格好である。
紋付き袴に関しては、特段、珍しいというほどのことはなかったらしい。
なぜなら、それが「正装」に適うからだ。
(スーツの起源はどこの国のどんな服?ラウンジスーツ・ラウンジコートの歴史を追う | BOTTONE)
ボヘミア国王はブーツを履いている。
さて、問題は、ボイコットに発展した乗馬服姿である。「天下の上杉が」については
よくわからないが、
ウェリントン・ブーツは19世紀にイギリスで広まった。
全国から選りすぐって集まったカッペ連中が、海外の洗練されたオシャレを理解しなかっただけではないかと訝しく思っている。
ウェリントン・ブーツと呼ばれ、19世紀後半に、もっと短いアンクル・ブーツが主流となるまで、お洒落な巷の男性達にも取り上げられ着用されるようになります。
「19世紀後半」というと1851年以降なので微妙であるが、「ブーツ」と言われていないところを見ると、やはりそんなことじゃないかと思う。
~"イングリッシュ・ジェントルマン":英国スーツに込められた意味~ | DAKS(ダックス)公式ホームページ
上杉が明治大学で教えていたころのレッド・ウィング(アメリカ)のブーツ(1920年代)。
今なら「夢がある」話になりそうである。
何しろ、夏目漱石『坊ちゃん』が1906年(明治39年)である。
夏目漱石の坊ちゃんに出てる赤シャツに関して疑問があります。この教頭... - Yahoo!知恵袋
レオナード・フジタが教壇に立っていたら、なんて言われただろう。
夏目漱石の11年後に上杉は生まれ、上杉の8年後に藤田嗣治が生まれた。
フジタのブーツ姿。
https://www.polamuseum.or.jp/wp-content/uploads/2021/07/20210718171730.pdf
教授陣のファッションショー。👇参考
単純に上杉は二枚目である。
「天下の」という修飾語もひょっとして、やはりこの頃は、「天下」観がまだ支配しており、士族の子弟連中の何かしらの敏感なところを刺激したのか、それ以上に庶民の何かしらを刺激したのだろうか。暴力沙汰と言えるかはわからないが、不満があると吹きあがるところが、むしろ、当時の状況を伝えているように思う。
上杉には変人伝説が付きまとうが、師匠筋の受けが頗る好くて、イエリネックに可愛がられて(どれほどの人を招待したかわからないが、日本人留学生では一人)葬式にも招かれているし、穂積八束も上杉の訪問をまだかまだかと待ちつつ亡くなったということである。論敵の一木喜徳郎の評価も上々である。
一方で、酷い「虐め」の対象でもあったし、それは学閥の問題だけでなく、学生にもボイコットを受けている。