【世界三大奇文】

  1. 白馬非馬
     兒説,公孫竜(紀元前310年代頃 - 紀元前250年代頃)。兒説は公孫竜の少し前の人である。兒説は概念を指摘し、公孫竜はそれゆえの矛盾を指摘した。
  2. To be, or not to be, that is the question.
     William Shakespeare(1564年-1616年)。Hamlet(1601年頃)の一節で、”Frailty, thy name is woman.”も有名である。
  3. Ego cogito, ergo sum, sive existo(Ego sum, ego existo、ego cogito, ergo sum)
     René Descartes(1596年-1650年)。それぞれDiscours de la méthode方法序説、1637)、Meditationes de prima philosophia省察、1641)、Principia philosophiae(哲学の原理、1644)に出てくる。「ゆえに」は誤解を生む。

概念(の矛盾)、name、「ゆえに」がポイントである。偶有性の理解が求められる。

Cf.2人のジョージ(George Peel 1556 – 1596,George Boole 1815- 1864)ともう1人のバルザック(Jean-Louis Guez de Balzac 1597– 1654)

2006年1月から2007年7月にかけて、鹿児島在住の英国近代初期演劇研究者の仲間たちが集まって、月に1回の割合で、エリザベス1世時代の劇作家、ジョージ・ピールの『ダビデとバテシバ』の輪読会を行なった。一連の翻訳は、その輪読会の成果である。ジョージ・ピールは彼の劇作品に様々な題材を取り入れており、『ダビデとバテシバ』は、聖書のサムエル記下の記事を題材として扱ったものである。劇のあらすじは、基本的には聖書の中に書かれた内容と同じであるが、その描き方にはかなりの相違点が見られ、ピールの独自性が顕著である。翻訳に際しては、毎回、担当者が準備してきた試訳を全員で細部にいたるまで議論、検討し、その都度必要に応じて修正した。それを、丹羽佐紀が取りまとめて文体の統ーを図った。従って、原文の解釈については5名の共訳者が等しく責任を負い、訳文の文体および表現については、主に丹羽に責任がある。解説と訳注の執筆は、丹羽が担当した。

『ダビデとバテシバ』  ―翻訳と注解― (丹羽 佐紀,山下 孝子,大和 高行,小林 潤司 杉浦 裕子)|鹿児島大学リポジトリ

「ゲズ・ド・バルザックの雄弁と『手紙』-フランス語散文の曲がり角-」

ゲズ・ド・バルザック(1597-1654)は、近代フランス語散文の形成に寄与した17世紀前半最大の作家である。彼の友人であったデカルトは、1624年のバルザックの『手紙』刊行と同時に始まる「手紙論争」に際して進んでバルザック擁護の筆を執った。本論文では、ゲズ・ド・バルザックの手紙=散文作法の原理を探り、デカルトの哲学原理との共通点を明るみに出すことで、散文技術に関するデカルトの独特な見解の一端を提示した。

ゲズ・ド・バルザックの『手紙』は宮廷やサロンに集う文芸アマチュアのオネットムたちの間で大成功を収めたが、学問的伝統を固守する学識者たちからは逆に激しい非難が浴びせられる。従来、「雄弁」ジャンルにふさわしいとされた哲学・政治・宗教に関わる「高尚な」主題を、日常的話題に限定すべきとされる「書簡」ジャンルにもちこみ、加えて、本来「卑俗」とされるこの書簡ジャンルにおいて、それにふさわしからぬ「崇高な文体」をあえて用いることの是非が問われたのである。17世紀において「文体」といえば、「平易体」「中庸体」「崇高体」の三文体を指す。そのうえで各文体に見合う主題がそれぞれ厳格に定められていた。バルザックはこの規則をものともせず、独自の雄弁理念に奉じてフランス語による独自の「完壁な文体」を探り続ける。それは同時に、16世紀末すでに退廃の極みにあったフランス語散文に新たな息吹を与えるための模索でもあった。博識と規則の遵守をもってよしとする当時の散文作法を「偽の雄弁」と断罪するバルザックは、人間個人に具わる「自然の理性」をもってすべてを再審に付し、古代ローマ黄金期のキケロの文体に倣いつつそれを凌駕することを目指しながら、母語である「フランス語」でもって「自己」を探究し「自己」を表現しきることに「真の雄弁」の原理を見出す。この大胆な雄弁理念を通じて、ラテン語を知らないフランスの一般人に専門知識が開かれることをもまた目指した。これはデカルトの「理性」にもとづく哲学改革に符合するものとして注目に値する。反レトリック主義哲学者のデカルトが、修辞的文体に覆われたバルザックの文章を称えた理由も、こうした共通理念があってのことと知れば、よりよく理解されるだろう。

デカルトとレトリック (久保田 静香)|KAKEN