今日のNew Chat(ChatGPT)

 

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タルムードに載っているらしい

< 三兄弟の三つの宝物 >

(福山ゆり. ユダヤ式教育の真髄・ハブルータ学習法: 「あなたはどう思うの?」1日10分!親の質問習慣が子どもの頭脳と心を育てる (p.86). Kindle 版. )

からの抜粋である。

ameblo.jp

 

https://chat.openai.com/からの回答。

 

ある三兄弟が、三つの宝をそれぞれ持っていた。
長男は、どこでも見ることができる望遠鏡を。
次男は、どこでも行くことができる絨毯を。
三男は、どんな病気でも治すことができるリンゴを持っていた。
三兄弟は絨毯に乗って、隣の国に飛んでいった。
お姫様は深い眠りに落ち、青白い顔で横になっていた。
三男がお姫様の横に行き、鞄からリンゴを取り出して、お姫様に渡そうとした。
すると、長男と次男は、それを止めた。
「弟よ、もう一度よく考えてみろ。お前のリンゴは一回食べたら、永遠になくなってしまうではないか」
「大丈夫です。魔法のリンゴよりも、人の生命の方がもっと大切ですから」
三男はそう答えると、なんの迷いもなく魔法のリンゴをお姫様に食べさせた。
すると、お姫様はすぐに目を開いて回復した。
王は、お姫様の病気を治してくれた三兄弟の中から婿を選び、王位を継承しようとした。
王は、どうしてこのような決定をしたのだろうか。

王が三兄弟の中から婿を選び、王位を継承しようとしたのは、三兄弟が持っていたそれぞれの宝が、王国にとって重要な力になると判断したためです。長男が持っていた望遠鏡は、王国の安全を守るために敵の動きを見つけ出すことができる重要なツールです。次男が持っていた絨毯は、王国の商業活動を促進するために、商品を運搬することができる便利な手段です。そして、三男が持っていたリンゴは、国民の健康を守るために、病気を治すことができる貴重な薬物です。

また、三兄弟が持っている宝の力を使い、お姫様を救うことで、王は三兄弟の人間性と勇気を認めたと考えられます。これは、将来の王として必要な資質であるため、王が彼らを婿候補として選んだのかもしれません。さらに、王が彼らを選んだことで、国民の信頼を得ることができ、王国の繁栄につながると考えられます。

王は、お姫様の病気を治してくれた三兄弟の中から婿を選び、王位を継承しようとした。
王は、三兄弟の中から誰を選びましたか。

与えられた情報には、王が具体的にどの兄弟を選んだかについての情報は含まれていません。物語の中で、王は「婿を選び、王位を継承しようとした」と述べられていますが、その後の展開や詳細については明示されていません。したがって、王がどの兄弟を選んだかについては、物語の外部の情報がなければ分かりません。

王は、お姫様の病気を治してくれた三兄弟の中から三男を婿を選び、王位を継承した。
王は、どうしてこのような決定をしたのだろうか。

与えられた物語には、王が三男を婿として選んで王位を継承させたという情報は含まれていません。そのため、この情報が正しいかどうかを確認する必要があります。ただし、一般的に、物語の中で三男が魔法のリンゴを使ってお姫様を助け、兄弟たちの中で最も人道的な選択をしたことが強調されています。このような場合、王が三男を選んで婿とすることで、人道的な価値観を重視した可能性があります。また、物語の中で示されたように、三兄弟がそれぞれ持っている宝物は王国の発展に役立つものであったため、王が三兄弟のうち誰を婿に選ぶかは、それぞれの貢献度や能力に関連している可能性があります。ただし、与えられた物語の中で、具体的な決定について言及されていないため、確かな答えはありません。

王は、お姫様の病気を治してくれた三兄弟の中から婿を選び、王位を継承しようとした。
このとき「選ぶ」とはどういう意味ですか

「選ぶ」は、複数の選択肢の中から1つを選んで決定することを意味します。この物語の文脈では、王がお姫様の病気を治してくれた三兄弟の中から、王位継承者を決めるために1人を選び出すことを意味しています。選ばれる人物は、王位にふさわしいと判断され、国をリードするための資質や能力を持っていることが求められます。

すると、長男と次男は、それを止めた。
この一文は文脈上何を意味していますか

この文脈では、三男がリンゴをお姫様に与えることを試みたところ、長男と次男が彼を止めたことを示しています。彼らは、リンゴを使ってお姫様を助けることが自分たちの持っている宝物に比べて価値が低いと感じていたため、彼らの行動は理解できます。長男と次男は、リンゴを使ってお姫様を助ける代わりに、自分たちが持っている宝物を使って、より役立つことができると考えたのかもしれません。

人格と王位がなぜ、交換可能だったと理解できますか

物語の文脈において、王位は王の個人的な属性や権力を示すものであり、それによって王が国を支配することができます。一方で、人格はその人の内面的な性格や品性を示すものです。この物語において、三男は高潔で勇敢であり、その優れた人格が彼をお姫様を助けるために行動することに駆り立てました。王は、彼の人格の優秀さと王としての資質を評価し、彼を婿として選びました。このように、物語の文脈において、人格と王位はお互いに密接に関連しており、王としての資質を持ち、高潔な人格を持った人物が王位を継承することができるということが示されています。

「望遠鏡」は”intelligence”を、絨毯は”skill”を比喩しているとしたら、「リンゴ」は?

物語の文脈において、「リンゴ」は「healing power(癒しの力)」を比喩していると捉えることができます。物語に登場する三つの宝は、それぞれが人物の能力を象徴するものであり、長男の望遠鏡は洞察力や知識を、次男の絨毯は行動力や技能を表しています。一方、三男のリンゴはどんな病気でも治すことができるという、身体的な治癒力を象徴しています。このように、物語において「リンゴ」は身体的・精神的な病気を治癒する力、すなわち「癒しの力」を象徴していると解釈することができます。

”intelligence”や”skill”と”healing power”の違いは何ですか

"Intelligence"や"skill"と"healing power"は、異なるタイプの能力を表しています。

"Intelligence"は、認知能力を指し、知覚、理解、推論、問題解決などの高次の知的活動を含みます。これは、情報の処理や抽象的な考え方、新しいアイデアや発見を生み出す能力を示します。

"Skill"は、ある特定の行動や活動を効果的に実行する能力を指します。例えば、スポーツ、音楽、美術、手工芸、プログラミングなどの技術や技能が該当します。スキルは、実際の経験や練習によって獲得されることが多いです。

一方、「healing power」は、身体的、精神的、または社会的な問題を治療する能力を指します。この能力は、病気や怪我の治療、心理的なサポート、人々の健康と福祉を促進することを含みます。

これらの能力は、異なるタイプの問題に対処するために必要なものであり、それぞれが重要であると考えられています。物語の中で、三男のリンゴが「healing power」を象徴していることから、この能力が物語の中で重要な役割を果たしていることが示唆されています。

「望遠鏡」は”capability”を、絨毯は”capacity”を比喩しているとしたら、「リンゴ」は?

「リンゴ」は"compassion"を比喩していると解釈できます。三男は、自分の持つ力を利用して他者を助けることを選んだため、その行為には深い同情心や思いやりが表れています。また、他人を助けることが自己の成長にもつながることを示しています。

"compassion"の意味と語源

"compassion"は、他人の苦しみや困難を共感し、同情し、助けようとする気持ちを表します。この言葉は、ラテン語の "compati" から派生しており、"共感する"、"共に苦しむ"を意味します。同じ語源を持つ言葉に、"compatible"、"sympathy"があります。"compassion"は、自分自身を犠牲にすることではなく、他人を支援することに焦点を当てています。この言葉は、個人レベルだけでなく、社会的・政治的な問題に対しても適用されます。

”capability”や”capacity”と"compassion"の違いは何ですか

"Capability"と"capacity"は、それぞれ何かを実行することができる力や能力を表すことが多いです。一方、「compassion」は、共感や思いやりの気持ちを表します。つまり、「望遠鏡」や「絨毯」が持つ能力や容量に対して、「リンゴ」は人々に対する思いやりや共感の心を表していると解釈できます。

接頭語の”cap”と"com"の違いを語源から説明してください

接頭語の"cap-"と"com-"は、語源的には異なるルーツを持っています。

"Cap-"は、ラテン語の"capere"に由来しており、"capture"、"capacity"、"capture"、"captivate"などの単語に見られます。この接頭語は、"take"、"seize"、"hold"といった意味を持ちます。例えば、"capability"は、ある人や物が何かを「できる」という能力を持っていることを表しています。

一方、"com-"は、ラテン語の"com-"または"con-"に由来しており、"communal"、"communicate"、"companion"、"compassion"などの単語に見られます。この接頭語は、"together"や"with"、"jointly"などの意味を持ち、人々が一緒に何かをすることや、ある感情を共有することを表しています。例えば、"compassion"は、他人に対して共感や思いやりを持つことを表しています。

つまり、"cap-"は主に何かを「できる」という能力を示すのに対して、"com-"は主に共同性や共感性を示す接頭語となっています。

Montague grammarに基づき1、2の分解の通りに「」内の文の
(1)NLの表現に変換して、引数を説明してください
(2)λ.H.O.Lの表現に変換して、引数を説明してください
上の(1)と(2)を比較して並べて説明してください
「すると、長男と次男は、それを止めた。」

(1) NL表現:Then, the eldest and second son stopped him.

  • Then:時間的な接続詞
  • the eldest and second son:主語。3人兄弟のうち、長男と次男がリンゴを止めた
  • stopped:動詞。止めることを意味する。

(2) λ.H.O.L表現: λf.∃x.(son(x) ∧ eldest(x)) ∧ ∃y.(son(y) ∧ second(y)) ∧ f(stopped(x,y))

  • λf:関数抽象。関数fを引数とする。
  • ∃x.(son(x) ∧ eldest(x)):長男をxとし、xが息子であること、かつ最年長であることを表す。
  • ∃y.(son(y) ∧ second(y)):次男をyとし、yが息子であること、かつ次男であることを表す。
  • f(stopped(x,y)):fに「止める」という意味の動詞を適用する。

(1)と(2)は、文法や表現の形式は違えど、意味的には同じです。具体的には、(2)のλ抽象の部分が(1)の「長男と次男」という主語の部分に該当し、その後ろの述語部分が「それを止めた」という動詞に該当します。

Montague grammarに基づき1、2の分解の通りに「」内の文の
(1)NLの表現に変換して、引数を説明してください
(2)λ.H.O.Lの表現に変換して、引数を説明してください
上の(1)と(2)を比較して並べて説明してください
「長男と次男ならば、それを止めた。」

(1) NLの表現:If the eldest son and the second son, then they stopped it.

  • 引数:
    • 条件:the eldest son and the second son
    • 結果:stopped it

(2) λ.H.O.Lの表現:$ \lambda x. \lambda y. ( (eldestson(x) \land secondson(y) ) \rightarrow stop())$

  • 引数:
    • 入力:$x$と$y$は個体を表す変数
    • 条件:$x$が長男であり、$y$が次男であることを表す述語 $eldestson(x)$ と $secondson(y)$
    • 結果:「それ」を止めることを表す述語 $stop()$

(1)と(2)の両方の表現は、同じ意味を表しています。条件と結果は、条件文に基づいて導かれます。Montague文法において、文は基本的に述語と引数の組み合わせとして表現されます。 (1)は、条件と結果が単一の文に含まれるように表現されています。一方、(2)は、条件と結果が関数として表現されています。結果として、(1)と(2)の表現は、構文的に異なっていますが、意味的には同等です。


前回はバカロレアから、今回はタルムードから問題を選んでみた。
とは言え、似たようなテーマの問題である。

  • 三兄弟の道具は、目的に関して相互に前提を供与して不可分な条件関係にあり、「選ぶ」ということが矛盾することとなる(...a≺b≺c≺a≺…)
  • それでも「選ぶ」とき、階層化が施される

構造となっているようだ。
すなわち、今まで3つの教材を見て来たが、

  1. 「言葉」は「世界」なのか
  2. 「言葉」は「道具」なのか
  3. 「世界」は「私」なのか

をそれぞれに考えたということである。ここに抜けているのは「貴方」である。

 

ラストを読みたくて、とうとうunlimitedに加入してしまった。
九蓮宝燈を自模って死んでしまった。

これだな。

表現レべルでも

👇は雰囲気に触れる程度。

イギリスとインドの関係はよく知られているが、それ以前に、フランスが随分と感心を持っていた。これは地中海世界の拡大の結果。インドは、地中海から遠くない。

cf.アラビア数学とインド数学の関係

あと。

辻希美さんが炎上しているらしいけれど、赤ちゃんはいい匂いがするからね。
「母性」に関するいくつかの研究がある。

LGBT法の根底にも「言語問題」はあって、図式化する努力ってあってもいいかもしれないと思った。上の図解ではそれぞれの文が1列しかないけれど、マトリックスにして、「概念」から「対象」へのプロセスを見える化すればよい。
要は、例の、「定冠詞が苦手」の話で、「定冠詞が苦手」なのは、具象と抽象を言語上区別してないからなんだろうということ。
法は(具体的な)実践だから、要素を以て、「対象」を定義できなければならない。
「法」と「道徳」は違うとはよく言われるが、「概念操作」と「対象操作」は違うとの理解が求められている。

定冠詞(the)を含む句の解釈(一二)が残っている。これらは指示句の中でも群を抜いて最高に興味深くまた困難なものである。「チャールズ二世の父(the father of Charles Ⅱ)は処刑された」を例にとろう。⋯

(一二)いわゆるラッセルの記述の論理と言われる内容である。⋯

上述した矛盾律の違反(引用者註「現在のフランス王」「丸い四角」)は、フレーゲの理論によって避けられる。彼は指示句に内包的意味(meaning)と外延(denotation)(一七)がと呼びうる二つの要素を区別する(8)。それゆえ「二十世紀最初の瞬時における太陽系の質量の中心」は、その内包的意味については非常に複雑であるが、外延はある一定の空間点であり、それは単純である。太陽系、二十世紀などは、内包的意味の構成要素である。しかし外延は何らの構成要素も全くもていない(9)。この区別の一つの利点は、なぜ同一性を言明することがしばしば価値のあることなのかということを、それが明らかにしてくれるところにある。われわれが「スコットはウェイヴァリーの著者である」というとき、われわれは異なった内包的意味を持つ外延の同一性を言明しているのである。

PP52.-56,バートランド・ラッセル 指示について On denoting

なお、ところどころ省略している(⋯で指示)。

要は、叙述から記号に変換するときに、(the)を(ͻx)で表すならば、「ラッセルは本質的に(ͻx)は不必要であり、(ͻx)(A(x) )を含む命題、すなわちC( (ͻx)(A(x) ))が、Aなるものの存在と一意性を内含する存在命題として解釈あるいは定義できることを」(P.77,訳注)主張するのである。

それゆえわれわれの目的のためには、theは一意性を内含しているものと考えていく。したがって、われわれが「xはチャールズ二世の父であった(x was the father of Charles Ⅱ)」というとき、xがチャールズ二世と何らかの関係をもっていたということだけではなく、同時に他のいかなるものもこの関係はもっていなかったことも言明しているのである。⋯

よって「xはチャールズ二世の父である」はつぎのようになる。すなわち、「xはチャールズ二世を子としてもうけた、そして「もしyがチャールズ二世を子としてもうけたなら、yはxと同一である」はyに関してつねに真である」⋯